another 5
「承太郎!」 ずるずると突然崩れ落ちる承太郎に花京院はひどくあわてた。その崩れ落ち方はまるで魂が抜けるようなものだったからだ。承太郎の体がのしかかってきて、支えきれずに地面に座り込んだ。 心臓がどくどくと鳴ってうるさかった。のろのろと起き上がる屍生人をひどい苛立ちに苛まれながら睨みつける。一人があやまって結界の糸に触れて全身を穴だらけにして倒れこむが花京院にはどうでも良い事だ。 承太郎の首に手を差し込んでも当然の如く脈は無いし、冷たい。息もしていなくて、花京院は泣きそうになってしまう。ただ力をもってこめられて離されない掌だけが彼が動いていた証だと思い込んだ。花京院の腕の中にあったのは、まぎれもない死んだ体だった。動かない、息もしない、未来も無ければ、人々の思い出の中でしか生きていけない、死んだ人間だった。 「承太郎?」 震える指で頬に触る。髪はいつか眠気の狭間で考えたようにすこし柔らかく、そして頬が心底冷たいのに、花京院は絶望していた。何をどうしたらいいのか、花京院にはまったくわからなかった。息を細く吐いて、小さく吸って、酸素は容易に頭にしみこんで、絶望を際立たせるだけだ。 「こんな」 あっけない終わりがあるはずもない。花京院は呆然と座り込んで空を仰ぐ。星が瞬いて、花京院は思う。あの星は本当に希望だろうか。この闇は本当に恐怖だろうか。 答えるものは誰もいない。いなくなる。 うっすらと瞼を上げると花京院の泣きそうな顔があった。その頭の向こうに広がる空は夜明け前の青い光で満ちている。朝か、と承太郎は思い、笑った。息を吸うとしなびていた肺が無理やり動いているのが感じ取れた。痛みはない。便利なものだ。 「花京院」 やっと帰ってきたのかと、眠気にぼんやりとした頭で承太郎は花京院の頬に指を滑らせる。柔らかく暖かく、花京院の表情はぎょっとするものに変わった。そしてまた眉をひそめて泣きそうな顔になり、最後には何もかもを諦めたような空虚なものになった。死人のようだと思って、承太郎はまた笑った。 「何が、そんなにおかしいんだ?」 「いや」 なんでもない、と承太郎は答える。眠気は重かったが、さきほどのものよりもずっと穏やかだった。 「眠いんだよ、最近」 「あんまり眠ると脳が溶けるよ」 「そりゃ大変だな」 ゆっくりと瞼をとじようとすると、花京院が息を吸った。ひゅうと喉がなるのがよく聞こえる。 「帰ろうよ」 「どっちへだ」 花京院の表情を見ると、彼はもう笑っていた。無表情の上に仮面をつけたような平坦な笑い方だった。 「わかんない」 「子供みたいなこというなよ」 空は青くて、日の光がだんだんと強くなる。世界が動き始めているというのに、人々は眠っていて、まるで置き去りにされているようだ。花京院は笑っている。 「変な顔すんな」 「失礼だな…元からだよ」 承太郎、ホテルまで帰らなくちゃだめだ、とそう花京院は呟いて、承太郎を助け起こした。ぐらぐらとした頭が揺れるのが面白くて、承太郎はまたかすかに笑う。何か張り詰めていたものが緩んで、だらだらとこぼれていく。 本当に戻れない。もう何もない。終わりにむかって疾走している。仕方がない。しくじったのだ、どこかで。今も動けることの幸運を喜ぶ。 「また近いうちに」 会うよ、と予言のように言い残して花京院は去った。 「帰ってきたのか、花京院」 DIOに話しかけられたそのとき、花京院はひどく驚いた。動揺したせいかひどく感情が無防備だ。会いたくないときに限ってそれを嗅ぎ付けてくるDIOに嫌気が差して仕方が無い。こうなるとわかっていて、すっかりはまる自分も相当に情けない。 「えぇ、申し訳ありませんが帰還いたしました」 「かまわんよ、予想していた」 そうですか、と花京院はベッドに突っ伏しながら思う。持っていった骨が真っ二つに折れている。握り締めれば粉々になりそうだ。慎重にベッドサイドに置くとDIOはふと骨に気がついて笑う。 「大分崩れてきたな」 「勝手に崩れるんです」 喉が渇いたと花京院は思う。絶望が心臓の裏でまだくすぶって、感情を波立たせる。目をきつくつぶっても瞼の裏でちかちかとなにかが点滅している。 「血の繋がりというものは不思議だな、花京院」 唐突にDIOは話しはじめた。もっともDIOの言葉などいつだって唐突だったので花京院は聞き流すつもりで耳を傾けていた。この男はそれでも話を聞かれるのを好むのだとわかっていたからだ。 「ジョースターの血統にはさんざん苦しめられる」 時折DIOはかつて人間だった頃の話をした。彼が帝王DIOではなく、ただのディオ・ブランドーであったころの話だ。もっともそれはいかにして吸血鬼になり、如何にしてジョースターを破ったのかという話でしかなかった。DIOに父親がいたとも母親がいたとも信じられない。 「その骨はこの体のものだ。この体は元々ジョナサンのものだった」 「何がおっしゃりたいんです?」 花京院がそう聞くと、DIOは結論はそう急ぐものではない、と鷹揚に笑った。 「その骨はジョースターと繋がっている。だからこそ探知機になる」 承太郎もそろそろ危ういな、とDIOは笑う。花京院はぎくりとして真っ二つに折れた骨を見る。ヒビがはいって崩れ落ちそうな、脆いそれ。反映している。もう一人のジョースターなど眼中にもない様子。奥歯をかみ締めて、花京院はDIOを睨んだ。 「この骨は最初から、彼しか探知しないのですね」 「言っていなかったかな?」 花京院はDIOの赤い瞳が光るのを見て、美しい光だと思った。妖しくて、闇に疲弊した心には優しく感じられる。全てを預ければ何の不安もなくなるだろうと確信できた。花京院は自分がひどく切り立った崖のぎりぎりを歩いているのだと自覚していた。緩み、足を滑らせれば、あの赤い瞳に一直線に落ちていってしまう。 「えぇ、僕は、彼にあってひどく驚いてしまいましたよ。自分の不運を笑ってしまいました」 けれど必然だったのですね、と花京院は言った。DIOは花京院の素直な物言いにすこし驚いたようだった。 「戻りたくでもなったのか?」 「まさか」 あぁ、でも、と花京院は笑う。 「貴方が死ねばいいと少しだけ」 DIOは嬉しそうに笑う。手を叩いて、まるで極上の見世物でも見たように。あるいはつまらない出し物でも眺めて、あまりの馬鹿らしさに笑わずにはいられなかったように。 「では、お前が断ち切ってみるか。可能性を与えてもいいぞ」 朝の白い光すら届かない館の奥で、蝋燭の光に照らされてDIOは笑い続ける。 「天秤にかけて選べ。お前の憎しみ、お前の望み。お前の未来と、承太郎の未来、それが世界の理だ。人間はどちらも手にする事は出来ない」 DIOが密やかに喋る。骨はばらばらに砕けてしまいそうで、花京院は焦る。いつだって物語の中では、悪魔に縋ったものは煩悶し続けている。 そうして花京院は世界の秘密を知る。 |