another 4
目を覚ますとうっすらと光が差していた。ベッドの上から起き上がって、その光に掌をかざすと暖かかった。太陽の光だと花京院は思って、この光にかざすとDIOは死ぬのだと思った。承太郎は光を浴びてもなんともないけれど、死んでいていずれ動かなくなるのだと思うとどうしようもない気持ちになった。 骨は細かくヒビがはいり、自壊寸前なのが、うっすらとさした光によって見えた。それは自分の立場のようにも感情のようにも、そして承太郎のようにも花京院は思えたけれど、何の根拠も無いただの想像だった。花京院は寝すぎてだるい体を起こして、差している光に近寄る。そこは緑がかった黒い暗幕がたらしてあって、引くと窓があった。自分にあてがわれた部屋だというのに花京院はその窓の存在を知らなかった。 「…っ」 窓からはまるで待っていたかのように光が差し込まれて、花京院の目をやいた。暗がりになれた目にはすこしきつすぎる光だった。花京院は幾度か目を瞬かせて、ゆっくりと窓を開けると、砂っぽいが乾いた空気が頬を撫でて、それはひどく暖かい。掌を窓の外へと差し向けると、光に暖められて間接が緩むような気持ちになった。何もかもがばらばらに落ちていく。気持ちが良かった。 「…カイロに、入るのか?」 承太郎たちがもうすぐにカイロ入りすることに花京院が思ったことといえば特に何もなかった。心の底に薄皮が張られていて、それに透けてなにかが蠢いているのはわかっていたけれども直視するのは避けていた。見ても良いことなどひとつもないだろうと花京院は思っていたし、自分の心から後悔を見つけたとして何の贖罪にもならないとわかっていたからだった。 全ての責任はあの日決断をした自分に集約されていて、言い訳もなにも存在していなかった。それでも。 「暖かいな」 それでもこの泣きそうな気持ちにもまた、言い訳もなにも出来なかった。 けれど花京院は掌をすばやく引っ込めて、窓を閉めた。暗幕のようなカーテンを引いてベッドに沈み込む。頭の中でかちかちと今日やるべきことを考えていた。幾人かの屍生人を連れて行こう。夜、一人になったところを狙おう。誰を?誰から? 探知機代わりといわれて渡された骨はすでぼろぼろで、しかも曖昧にしか機能しない。完全にランダムだ。誰に当っても不思議じゃない。花京院は凄惨な顔で笑う。 「承太郎だったときは」 自分の不運を笑おうか。 夜の街は死んでいると承太郎は思う。生きているものの気配が感じ取れない。日本のように暗闇になにかいそうでもない。あるのは永遠の空洞の、その虚ろさだけだった。そしてそれはひどく恐ろしいものだ。 だからのろのろとそこから死人よろしく(まさしく死人なのだろうが)這い出てくるゾンビにはむしろ感謝さえしていたといってもあながち間違えではないだろう。承太郎は自分めがけて襲ってくるそのゾンビを全身粉々する勢いで殴りつけてはいたからそれは些か苛立ちを伴った感謝ではあっただろうが。 「次から次へと、きりがないぜ」 言いながら殴る。スタンドの拳が以前よりも強力なことも、殴られるその体が自分とあまり変わりがない事実も承太郎を彼自身が思っているよりも苛立たせていた。犬のようで、浅ましい。獲物はここだとぶらさがっている気分か。さぁ、とっていけるものなら取っていけ、お前の主人の喉首を狩りとってやろう。治らない傷口がうずく。 圧倒的な感情だった。苛立ちはおさえられない。どうしても。 「……怖いなぁ」 暗闇を裂いて声がした。路地裏の塀の上から聞こえたその声に承太郎は振り向く。 「か、きょういん?」 自分の発している言葉がひどくたどたどしい気がしたのは、気のせいだろうか。花京院は塀の上で器用にしゃがんでにこにことしている。月の光の下でその顔はよく見えた。 「やぁ、久しぶり、承太郎」 片手をあげて、ひらひらと翻す。花京院の後ろではハイエロファントがうすく光っていた。月の光にはよく似合う、緑の光だ。花京院は承太郎の驚いた顔が本当におかしいらしくてくすくすと笑う。君の驚いた顔なんて、めずらしいなぁ、とのんきに呟いている。 「てめぇ、今までどこに」 承太郎の言葉に花京院はこれ見よがしに首をかしげた。指を顎にあてて、くすくす笑い続けている。 「ごめんね、承太郎。僕は君達を裏切ったよ」 言葉が簡単に喉から滑り落ちたことに花京院は驚いていた。承太郎は一瞬息を呑んでから、すっと目を細めた。綺麗な瞳だった。生きているものの目だった。 「そうか、ならやることは一つしかないな」 「承太郎のそういうところ、僕は好きだな」 夜に承太郎と花京院は対峙しあっていた。互いに手のうちを知り尽くしている二人はただ沈黙してにらみ合う。のそりと起き上がった死人が承太郎に襲い掛かる。承太郎はスタンドでそれを殴り飛ばた。 「ねぇ、承太郎」 が、と生身の腕を掴まれる。いつの間にか懐に入られている。左手から刃物が飛んでこめかみをかする。首筋に手を添えられて、それをスタープラチナが折るつもりで取った。腕はみしりと悲鳴をあげて、花京院は顔をしかめる。 「スピードじゃ敵わないことくらい、もう知っているよ」 動いたら、ハチの巣だ。花京院がそう呟くのとなげたナイフが何かにあたってエメラレルドスプラッシュが発射されるのは同時だった。気がついてみると路地にまるで赤外線の装置のようにハイエロファントが細く張り巡らされている。 承太郎は呆れたようにため息をついた。 「本体がここにいたら意味がないだろうが」 「まぁ、そうなんだけどさ。あんまり君を傷つけたくないんだ。傷、治らないだろ?殺すつもりも無いしさ」 承太郎の体の冷たさに花京院はぎょっとしていた。手元が狂ってナイフが思いのほか深くこめかみをえぐったのにも動揺していた。ひどく深く切れているというのに、血はわずかしか出ていなかった。花京院はまるで涙をぬぐうような仕草で血をぬぐって、血液そのものの冷たさにまた驚いた。 「なにがしたいんだ」 「僕にもさっぱり、とか言ったら怒る?」 「怒るより呆れるな」 じゃあ、言わないでおくよ、と花京院は笑った。へらりとしたしまりの無い笑みだった。首に置かれた手が暖かいと感じることが承太郎をなぜか安心させていて、承太郎はすこしだけ困惑していた。 「君の体冷たいね」 「死んでるからだろ」 「本当だなーって実感してるんだよ」 承太郎はため息をついて、馬鹿らしいとばかりに腕を放した。花京院は放された腕を意外そうに見つめて、ありがとうといって腕をひらひらと振った。殺すつもりもないのなら、放っておこうと思ったし、ひどく眠かった。こんなにも眠いのは正直なところ初めてだった。強い力で引っ張られていく。暗闇へ、あの虚ろへと。抗うことが出来ない。 「…承太郎?」 膝が眠気で折れる。頭の芯が揺さぶられて立っていられない。地面から落ちていくおぼつかない感触。感じたのは、紛れも無い恐怖だった。がっと花京院の腕を掴む。暖かい腕だった。それすらも力がはいらない。花京院が何か喋っているのはわかっても、何を言っているのかわからない。 名前を呼ぼうとしたけれど、言葉にもならなかった。 どこか遠くで骨の欠片が折れている。 |