another 3
「ぐ、ぁ」 ポルナレフの持つ刀が自らの腹に沈んでいくさまを承太郎は呻きながら眺めた。空気が胃の腑から吐き出されてうめき声にはなったものの、それは決して痛みをつれてこなかった。 引き攣れて、裂かれ、治らないという確信が持てる。だが温度はわからない。寒いという感覚はあっても、実際に体が冷たいかどうか判断できない。 「承太郎、お前は」 ポルナレフの口を借りてアヌビスが呟く。にやりと笑っている顔だった。意外そうでもなかった。喜びよ、来たれ。汝が敵は打ち倒された! 「やはり生きていない」 やはりとはどういうことだ?と聞き返す前に体が切断されそうだった。反射的に刀を叩き折りながら、切断されても喋ったり動いたりできるものだろうかと考えた。出来ても役にはたたなそうだと思う。アヌビス神はもう戻すことの出来ない刀に嘆きながら粉々になってしまった。 承太郎はそれと同時に倒れ伏したポルナレフに安堵のため息をついて、ぽかりとあいている傷口に触った。湿っていて、押すと申し訳なさそうに血が流れ出た。引き攣れた感触しかしない。ただ傷口を固定しておけば支障はなさそうだった。 「…う…」 ポルナレフが呻く。気がついたようだった。 「やれやれだぜ」 何に対してそう呟いたのか、承太郎自身にもよくわからなかった。 「また寝ているのか、花京院」 花京院は眠気から無理やり引きずり出されたことに多少のわずらわしさを感じながらも目を開けた。真っ暗闇の中で蝋燭の光が淡く光って見えている。DIOの金色の髪が柔らかく光って暖かそうだった。 「ジョースター一行には敵を仕掛けさせていますよ。僕は非力なので、消耗したところを狙う以外できることが無いんです」 承太郎の髪は柔らかいのだろうかと花京院は思い、触ったことがないので無駄な想像だと思った。額や掌は冷たいのだろうかとか、唇はあのときのように乾いたままだろうかとか、もうポルナレフや皆には話しているのだろうかとか、そんな事を考えた。 「消耗とは、良い策だな」 「DIO様に褒められるとは光栄ですね」 花京院はおざなりにそういって、また眠りに沈もうとしていた。暗闇は眠気ばかりをつれてきて、ここしばらくは太陽さえ見ていない。冷えた空気はやがて肺に馴染んで酸素を吸うことも容易になった。DIOへの恐怖も、自分への嫌悪も、その冷たさに慣れてしまえばどうともなかった。 「私は素晴らしいものは褒める主義なのでね。お前は実に良い策をとっている」 骨がころころとベッドサイドで勝手に転がっている。ヒビが細かくはいって、そのままほうっておけば粉になってしまいそうだった。 「何よりも奴らが恐るべきは消耗よ。エネルギーに限りがある場合節約を為せねばならない」 DIOが自分を褒める理由を花京院は正確に把握していた。つまり彼は動揺を誘いたいだけなのだろう。取る手段とその効果、それはつまり承太郎たちを真綿でしめるように殺しているに相違ない。自分を嫌悪しても、花京院はそれに慣れきっている。だが顔は知らず歪む。 「とどめはお前の手で刺せよ、花京院。無理ならば私が殺そう」 何、殺しても生き返らせればよかろうと、DIOは笑う。骨がころころと転がって、ぴしりとヒビが一つ入る。花京院はDIOが親切にも報告をしてくれる戦果に耳を傾ける。よくよく聞き分ける。効果、戦術、自分が与える影響は辛く喜ばしい。感情とは関係ないところで頭は良く回る。 承太郎を殺すために、ジョセフを殺すために、ポルナレフを、アヴドゥルを、イギーを、そして承太郎の母さえも見殺しにするためのその手段を段階を一つたりとも聞き逃さないように耳を済ませる。感情とはまったく関係の無いそれは、冷たい意識のそこで石となる。頭の隅でかちかちと事実が重なって塔になる。 「奴らはもうじきカイロにつく。一度くらいはあっておけよ。帰還も許そう」 ただ承太郎たちにあって叩きのめされた自分が見たいだけだろうに、と花京院は思って、けれど頷く。わかりました、DIO様。そうして眠りに入ろうとする。埃っぽいベッドはそれでも暖かいのだ。 「また寝るのか、花京院」 えぇ、と答える。泥のような眠りの中で、夢など訪れない。けれど事実の積み重なった塔から落ちる男の姿が見える。自分かDIOか、それともそれは承太郎なのか、眠りの中で全ては判然としない。 「また寝てるのかよ、承太郎」 ポルナレフの言葉に承太郎は意識をゆるやかに浮上させた。瞼をゆっくりとあげると呆れ顔のポルナレフの顔が見える。窓から差す太陽の光が目に眩しくて、幾度か瞬きをした。 「眠いんだよ」 「いくらなんでも、寝すぎだろ。寝すぎてるから眠いんじゃねぇの?」 時計を見るともう十時を過ぎている。チェックアウトは十一時だったはずだから大分長く寝ていると思う。最近は夜中も起きていることが少ない。床屋の時も眠気を覚えていたな、とぼんやりと思い出した。 「そうかもな」 それは眠気というよりか、引っ張られるといった感じだった。体の奥のほうへ、引っ張られる。そして体すら越えてもっと奥へ、もっと奥へと連れ去られそうだった。いつもその直前で踏みとどまったのはやらなければならないことがあると思い出すからだった。 「じゃあ、起きろよ。もう朝は食べてきたぜ。これからカイロに移動するらしい」 承太郎は滑らかに体を起こして、寒いな、と思う。体が芯の底から冷えている感じだ。ためしに息を止めてみたらきっとどこまでも止められるのだろう。無意識に腹に手をやると、服越しに傷口に指が触れた。 「ポルナレフ」 ふとポルナレフの名前を呼ぶ。呼ばれたポルナレフはなんだよ、と陽気に振り返り、承太郎はふと言葉を失ってしまう。何が言いたいのか、何を言うために名前を呼んだのか。 「花京院は、まだ見つからねぇんだよな」 困って脳裏に浮かんだ名前を呟いてみた。ポルナレフはその言葉にそうなんだよなーと大げさに首をかしげながら変わらずに陽気に言った。見つかると良いな、生きているに決まっている、まったく何をしてるんだがな。 どの言葉も弾んで明るく、貴重なものだと思う。 窓から差し込んできた光がいっそう強さを増した。ぐらりと頭の芯を揺さぶるような眠気に襲われる。意識が連れて行かれそうだ。真っ暗闇の安寧が手をこまねいている。瞼を何度かゆっくりと上下させると、ポルナレフがまだ眠いのかよーとからかい混じりで言った。 「ストレスで眠くなることもあるっていうし、あんま無理すんなよー」 「そ、んなやわなじゃねぇよ」 落ちていきそうな意識をむりやり引っ掛ける。今寝てはだめだと強く思った。せめてDIOを倒すまでは持ってくれないと困るな、と心のうちで呟いた。あとどれくらい持つのかはわからないが、それでも母親の期限ほど短くはあるまいと承太郎は確信していた。 「…眠い」 承太郎が呟くと同時に、どこかで骨の欠片がぴしりと鳴る。 |