god be by you,hero 6
波長の長い真っ赤な光がポルナレフの顔を照らしているのを見て、この国の夕日はこんなに赤かっただろうかと花京院は思った。ポルナレフは拳を握り締めて、小さく呟いた。 「俺は、お前を許すことはできない」 ましてDIOを倒すのを日の出まで待つなどという事は。 どういうことだ?とポルナレフがきかなかったことに花京院は少なからずおどろいていた。距離にして三メートル、ジョセフとポルナレフから花京院は離れていて、その間に長い影が出来ていた。承太郎は花京院を掴んで塔から引っ張り下ろしてきたからか、花京院の後ろに立っていた。 「どうしてだとか、聞くこともしない。ただ事実だけがあるんだ。アヴドゥルが俺とイギーを庇って死んだという、イギーが俺を助けるために死んだという、お前が俺達を裏切っていたという、事実だけが」 花京院は息を吸って、小さく笑った。 「僕も許しは乞わない」 誰も何も言わなかった。それはまさしく決別だった。花京院の視界に承太郎がいない事を花京院は密かに喜んで、その喜びのあまりの下らなさに眩暈がしそうだった。ただもしも何かこの場に許されるものがあるならば、それは街のでこぼことした地平線から差し込む赤い夕日の光だけだった。 吸血鬼を退ける光に目を細めて、何を考えているわけではない己を叱咤した。花京院は自分を追い立てるように微笑んだ。DIOに及ばないまでも、気味の悪い笑顔に見えれば良いと思った。 「さぁ、もうすぐ陽が沈むよ、ポルナレフ」 奥歯をかみ締めて、ポルナレフはもう一度呟いた。俺はお前を許すことは出来ない。 「日の出を待つことも」 出来ないといってポルナレフは駆け出した。待て、とジョセフが叫んだがそれは彼の耳には届かなかった。 「ジョースターさんも、承太郎も、ここでDIOが来るのを待っているんですか?」 動かない二人に花京院は言った。目の前には唖然とした顔をしたジョセフがいて、後ろの承太郎の気配は揺らがなかった。揺らがなかったというよりは、花京院にはもう承太郎に気配があるのかどうかよくわからなかったので、もしかしたらもうポルナレフを追っていってしまったのかもしれないと思った。言葉もなく、足音すら聞こえない、幻のような決別もありうるかもしれないと希望のように思った。豪雨の前の蝋燭の火のような、無駄な希望であった。 「花京院、一つだけ聞かせて欲しい」 ジョセフがお茶目な表情をして言った。彼のその表情が彼の能力の一つなのだと花京院は改めて思っていた。なんでしょう、と花京院は答えた。口調が淀みない事が馬鹿らしかった。 「操られているか?」 「いいえ」 即答だった。はい、と答えたい欲望など欠片もなかった。そう答えれば何もかもが嘘になりそうだったからだった。何もかも、とはどこまでも指すのだろうか。花京院にはわからなかった。承太郎が何も言わないことは、彼の恐怖を煽ったが、恐怖それ自体を感じる心が半ば麻痺していた。 「ならば、わしからいう事はもう何もない」 ジョセフが言うからには本当に何もないのだと、花京院は思った。罵りも慰めも、許す許さないもないのだ。そんなところから遥か隔たった遠い場所で、ポルナレフが言ったとおり事実だけがあるのだろう。 唐突に、花京院の首を承太郎が掴んだ。花京院は喉の奥で空気の塊が詰まったような気分になってひどく驚いたし、ジョセフも承太郎の突然の行動に驚いたようだった。 「何もないなら、ちょっと借りるぜ。じじぃはポルナレフを追ってくれ」 「承太郎、本気か?」 「冗談はあんまり得意じゃねぇな」 そのまま飛び降りる。ジョセフはポルナレフに叫んだように、待てと叫び、何秒か逡巡してポルナレフを追うことにしたようだった。承太郎は路上に駐輪してあるバイクにまるで映画のような手際でエンジンをかける。 のれよ、と承太郎が言う。花京院は、何を考えているんだと聞くべきだと思ったが自分から聞くのもなんだかおかしな気がしてしょうがなく、ただ黙って頷いた。頷いたのを認めた承太郎が少し苦笑したのが不思議だった。花京院は無意識に掴まれた首をさすった。 承太郎の掌があまりにも冷たくて、まだその冷たさが残っているような気がしたからだった。 ふと空を見上げると街の建物が太陽をすべて覆い隠して、空が真っ赤になるばかりだった。雲の多い空で、月の光が綺麗に見えるに違いない。さぁ、今日が終わる。明日は来るのだろうか。塔は暗く翳っている。自分は彼をあの場所へ押し込もうとしているのだと花京院は本当に初めて気がついて、少し泣きたくなってしまった。 ひどく勝手だと知っていながら。 日が沈むまでのわずかな間だけ、安全が保障されているのだと花京院も承太郎もわかっていた。だから話すことがあるのなら、なるべく手短に簡潔にいかねばならないというのに、二人はただ黙っていた。話すことは多いとも少ないともいえた。言い訳はすまいと思っていたし、語る事も何もなかった。 ごみごみとした街並みが流れては消えていく。車の合間を縫ってすすんでいくが、信号を遵守しているわけではないのでクラクションが何度か鳴らされた。DIOがこちらを追うように目立つように逃げているのだろう。 「危険だよ、承太郎」 何も言わない承太郎に焦れて、結局口火を切ったのは花京院だった。 「どこにいようと危険なんて変わりねぇよ」 「でも、僕は裏切り者だ」 君を今ここで殺すかもしれない、と付け足す。しなねぇよ、と承太郎は答えた。死んでいるからね、と花京院は笑った。気分が妙に平静なことに花京院は首を傾げたかったが、夜が空を覆い始めているのに気がついて考えるのをやめた。 「裏切り者は危険を教えてくれるのか」 「さぁ、癖みたいなものかもしれない」 裏切ったことだけが確かだった。煩悶はDIOを喜ばせることを知っていたから花京院はそれに甘えていた。いつも態度を決めかねて、どうするべきか迷っていた。あの病院の日にDIOが館に連れ帰り、そして承太郎たちと対峙するほうが何倍も楽だった。こんなにも追い込まれた状況で、しかしなお花京院は揺れていた。承太郎の瞳に、ポルナレフのような憎しみや驚愕が浮かんでいないことが彼を揺さぶっていた。 「お前は、DIOのスタンドの秘密を知っているか」 ぎくりとした。花京院はつとめて思考を凍結させた。 「知っているよ」 「そうか、……話す気はあるか」 「なくはない」 なくはない。自分の言葉を反芻して花京院は笑う。自分のどっちともつかない心境が如実に現れている言葉だったからだ。ただそれはきっかけが無ければこの口からこぼれ出ることがないのも分かっていた。指の間から砂が零れ落ちるように、何もかもがこぼれていくような気が花京院はしていた。 「俺はお前を信じている」 声は静かで冷たかった。それは仲間を信じているという暖かで優しい言葉ではなくて、ただひたすらに乾いて冷たかった。信頼とはどんな言葉だ。何が、と花京院は呟いた。そして考えた。こぼれいくものと言葉の意味を。 「お前の決断を」 それは未来なのかもしれなかったし、願望なのかもしれなかった。あるいは信頼で、命だった。すでに失われたもので、これから取り戻すはずのものかもしれなかった。ただ花京院は承太郎に生きていて欲しかった。あるいは足掻いて欲しかった。 そうでなければ、どうして自分に伝えたのか答えが欲しかった。 「ならば、生きてくれ、承太郎」 祈るような気持ちだった。祈るからには、どうしようもないのだともわかっていた。 「縋って、足掻いて、恐れて、受け入れて、生きてくれ」 あぁ、それは、と承太郎が静かに言った。無理な話だと。承太郎がハンドルを握ってアクセルをふかす。遠くから悲鳴が聞こえてくる。 「花京院、お前は決断をした。俺はそれに異論なんて持たねぇよ、お前が決断をするように、俺もするんだよ」 天秤にかけて選ぶ。己の命、母親の命。花京院には選べない。世界の重さも命の重さもわからない。喉の奥から言葉があふれてきそうだった。まだ、なんにもしていないじゃないか、と。君はまだ十七で、未来なんていくらでも続いているだろう。将来の夢もあるだろう。こんなところで途切れるなんてありえなかったはずだ。君と遅い正月を祝ったってよかったし、春だって夏だって、いくらだって過せるはずなんだと。 「僕は」 けれどそうなるとき、君は本当に君だろうか。太陽の下にも出られない、君は本当に君だろうか。 「君の決断を許せない」 月が真っ赤で、大きかった。夜は沈んで、死の感触がする。花京院は目を瞑った。世界の何も受け入れられなかった。何を許したわけでも許されたわけでもなく、なんにも変わっていない。乾いた事実だけが常に目の前にある。 「だけど、君を信じているんだ」 誰よりも、何よりも。 承太郎は困ったように笑っていた。何にたいして困っているのかと花京院はぼんやりと考えて、もしかしたら彼は彼自身に困っているのかもしれないと考えた。何故だかそう思えた。 「なら、最後まで付き合ってくれ」 花京院は頷いた。頷いた後に、言葉に出さなければ承太郎に伝わらないのだと気がついた。 |