投げられた死体に蔑んだ目をやってDIOは笑った。下らない。下らぬな、何もかも。
「手にする価値もない」
「欲しがっているのはお前だ」
 投げ込まれた死体のせいでよろめいた車体を立て直して、承太郎は言う。DIOは極上の楽しみに水を刺されたように、薄く目を細めた。距離をとった二人は軽口のように憎しみを叩き合う。
「死人がほざくな」
「てめーと何が違う」
 言われてDIOはふと思う。一緒だ、何かも。運命までも共にしたらしいぞ、ジョナサン。月の光にDIOは目を細めて、もう一度呟いた。
「下らぬな、何もかも」
 けれど世界は美しい。
 花京院は目を開いて、夜が明けることを祈る。何も見逃すまいと、不可能を願いながら。


 god be by you,hero 7



 ジョセフは死んだ。ポルナレフの暗殺など意味はない。花京院は昏倒している。
「残るはお前だけだ」
 いいや、残ってはいないのだったな、とDIOは笑う。ひどく腹立たしげにそれでも笑っていた。
 我が時の世界に入門してくるとは、ジョースターは実に不愉快だ。腹立たしい、不快だ。私の行く手をどこまでも阻む。愚かな人間達だ。かつてスピードワゴンは俺を根っからの悪だといった。なるほどいっそすがすがしいではないか。私は私を尊ぶ。愛する。そして憎む。
「ここで、消えろ、承太郎」
 大きな拳がからぶる。生命エネルギーのビジョン。世界は完全に組み合わさり、何もかもを支配する。
「勝利して支配する、それが道理で、理だ」
 目の前で繰り広げられた世界の、それが理だ。
「取りこぼして、嘆け。恐れ、受け入れよ」
 停止した時間の中で、ワールドの膝がすばやく動く。それと同じ滑らかさでスタープラチナの拳が動いていた。死んでいる感触、砕いても刺しても、止まることのない停滞の気配。慣れ親しんでいる冷たさ。
 下らぬ。
「嘆くのはお前だ」
 承太郎は呟く。約束のような言葉だと、DIOは思った。


「…つぅ、あ」
 かすんだ視界に花京院は天の頂を見た。頭の中身が衝撃によってぐらぐら揺れて、歩こうとすると足がふらついた。それでも歩き続けたのはただ見届けたかったからだった。これからの事を考えて胸が軽く痛み、それを考えられる自分にも嫌気が差した。夜が明け始めていた。綺麗な空で、明日が来てしまったのだと花京院は思っていた。
 世界は親切だな、と何とも無く思う。こうして区切りをご丁寧にも用意してくれているのだなんて。
「花京院」
「あぁ、承太郎」
 承太郎は見るも無残だ。体中傷だらけだというのに、何も感じなかったような顔をしていた。それが余計に無残だと花京院は思う。夜明けの真っ白な光が、橋を照らしている。
「ポルナレフはSPW財団の車に収容されたよ、無事らしい。ジョースターさんは生きていたよ」
 良かったね、と花京院は言った。もしも花京院が秘密を打ち明けたとて、誰かが生き返るはずもなかっただろうがそんな事は想像の内でしかない。イギーやアヴドゥルのことを花京院は考えて、心底喪失感を覚え、けれどもこうして倒れていてなお答える空条承太郎に安堵を感じた。
「DIOは死んだ」
 静かな声だった。花京院は承太郎に向かって掌を差し伸べて、そうだね、と答えた。承太郎は花京院の助けをかりて起き上がり、すこし楽しそうに昇る光を見ていた。ともすれば悲しそうにも見えたが、それはおそらく花京院の願望に過ぎなかっただろう。
 太陽の光は花京院には眩しすぎて直視できない。
「君はこれからどうするんだ?」
 承太郎は花京院の問いに少しの間沈黙して、それからわずかに首をかしげた。その動作のちょっとした幼さに花京院は動揺して、何かを忘れかけた。頭の隅からこぼれだした事実も全て流れてしまうと気楽だな、と思って承太郎に笑いかけた。
「消えようかと思ってる」
 きっと、状況が全てを処理してくれるだろう、と承太郎は付け加えた。笑顔だったので、花京院は怒りたくなった。罰がない事への不安定な情緒のせいなのかもしれなかった。
「…ジョースターさんが悲しむよ」
「娘が助かってんだから大丈夫だろうよ」
 そういう問題かな、と花京院は首をかしげる。すこし考えて、それから笑った。多分、ひどい顔をしているとわかっている。
「君は残酷だなぁ」
 優しいけれど、と付け足すと、承太郎は笑った。わかっているのか、いないのかそれすらも分からなかった。サイレンの音がうるさくて、町中が活気に沸き始めていた。それはいくらか衝撃的で健康的ではないものであったが、しかし何もかもが生きている。
 承太郎の目に世界は希望にあふれて映るだろうかと花京院は考えた。映ると良いと思ったし、映っているだろうと思った。
「花京院」
 承太郎が街を見ながら不意に呟いた。花京院は、穏やかに答えた。それは優しさからではなくて、ただどうしたらいいかわからなかったからに過ぎない。
「付き合ってくれるか、最後まで」
 それは最悪の想像の中で、とりわけ良いものだった。これは承太郎の我がままなのだと思うと涙が出るほど嬉しかった。頷く以外に何が出来るだろうか。ただ花京院はどちらの、と聞こうとして意味のない事だと言葉を呑む。その代わりに笑って呟いた。
「君は残酷だね」
 優しいけれど、とはつけなかった。承太郎は笑う、その首は冷たい。
 朝日が真っ白く昇り始めて、世界は美しいと花京院は思う。


 その日から一週間と一日後、花京院はたった一人だった。飛行機の窓からものの一時間もたたずに昇る青ざめた鋼のような空の色を見て、花京院は一週間と少し前と同じように、世界は美しいと思った。
 涙も枯れ果てた悲しい夜明けだった。