god be by you,hero 5





 DIOの館は普通の街角に立っていた。重い雰囲気も何もない、ただの古い館でイギーが案内をしてくれなければ正直なところ見過ごしてしまうだろうくらい、何の気配もなかった。中を覗き込むとそこは暗い廊下がどこまでも続いていて、一人の男がうやうやしく、洗練された仕草で立っていた。一瞬前までそこにいたことに誰も気がつかなかったので、承太郎たちはぎょっとして、それに気づいた男はすこし愉快そうに笑った。彼は低く、よく通る声で、名を名乗った。
「はじめまして、ジョースターご一行」
 テレンス・T・ダービーという名前に少しだけ聞き覚えのあった花京院は目を細めたが誰もそんな事には気がつかなかったし、まして能力の一端を知るわけでもなかったので、どちらにせよかわりのないことだった。花京院は自分の注意力がひどく研ぎ澄まされているような気もしていたし、逆にひどく散漫な気もしていた。テレンスが承太郎の攻撃を避けて、ぐわりと廊下が裂ける。承太郎!とジョセフの驚いた声が耳を打って、花京院は反射的に承太郎を掴んだ。ずるずると引きずり込まれていく中で、ポルナレフとアヴドゥルがあわてているのが見えた。
 十分たって戻らなければ館に火を放て、とジョセフが叫ぶ。暗闇の奥でやはり慇懃無礼に立っている男の顔にちょっとした驚きが見えるのが花京院は少し意外だった。

「貴方の魂はまるでむき出しだ」
 テレンスが不可解そうに喋っている。棚の中にきちんと座って並んでいる人形達の目がぎょろりぎょろりと動き続けている。サイコじみたテレンスの趣味を嘲るような気持ちに花京院はならなかった。
「だというのに、触れることが出来ない」
 不可思議ですね、とテレンスは丁寧な言葉遣いで物を言った。花京院はそれに少しばかり動転して、ジョセフは特に取り合わなかったようだった。承太郎はただ黙っていた。南の島の幻影はまったくもってお気楽で、浮島においてあるテレビゲームはまるで冗談みたいだった。
「私が貴方の攻撃を避けたとき、貴方は衝撃を受けた。敗北は認めなかったが不安を抱いている。貴方の魂に触れることはいままでの何よりも不思議と容易かった、というのに私は貴方の魂を掴み損ねてしまいました」
 何故でしょうね、と畳み掛けるように彼は喋り続けた。承太郎は面白くもなさそうに半眼でテレンスのことを眺めている。そうして、つまらなそうに笑った。
「どうでもいいだろ」
 その言葉にテレンスはまるで意外なことを言われたかのように目を丸くして、どうでもよくはありませんよ、と呟いた。
「貴方の魂を一欠片握って、逃げ出す可能性の高い花京院に勝負を挑もうと思ったのですがね」
 何せ一度裏切られていますし、と何もかも知ったような顔でテレンスは嘯いた。この執事が花京院のことを知っていてもおかしくはなかったし、また知らなくてもおかしくはなかった。ジョセフがテレンスの言葉に皮肉気に顔をゆがめた。
「肉の芽を使っておきながら、白々しいことじゃ」
「おや、貴方はDIO様が肉の芽だけで人を集めているとでも思っているのですか?」
 テレンスは心底おかしそうに笑顔を浮かべた。ただ笑い声を立てなかった事がこの男の慇懃無礼さをあらわしていた。目は笑っておらず、テレンスは底意地の悪い笑みでもってジョセフの頭を通り越し花京院を見ていた。花京院はテレンスをにらもうかと一瞬だけ思ったが、さして変わりない気がして、ため息をつくにとどめた。ジョセフの言葉がありがたく、また居た堪れなかったのもあった。
「何を使ったとしても心をゆがめるには変わりなかろう」
「それも手腕の一つでしょう」
 DIO様においてはあまり関係ありませんがね、とテレンスは満足げなため息をついた。
「さて、誰が最初にやりますか?貴方でも、そう、承太郎でもいい」
 テレンスは机の上に置かれたゲームを楽しそうに取っている。後ろでは人形達が目をせわしくなく動かして、さみしいさみしいと訴えている。きっと肉体はとうに焼かれて骨になっている。魂だけの哀れな人形だ。
 最低のサイコ野郎だとジョセフが吐き捨てた。だが花京院は彼を嘲ることなど出来ない。
「もちろん、花京院、貴方でも」
 そんな考えを見透かしたようにテレンスが意地の悪い笑みのままそう言った。その言葉をさえぎるかのように、俺がやろうと承太郎は言う。その言葉に意外そうにテレンスは眉を潜め、そして面白そうだと零した。
「貴方の魂は容易くつかめそうだ」
「どうだかな」
 花京院は人形たちの収まる棚の向こうの地平線を見る。丸くかすんでエジプトとは思えない景色だった。

 結果だけを言えば承太郎たちはテレンスに勝った。DIOの秘密を得ることはできずとも幻覚を脱することは出来た。
「…君は行き当たりばったりにもほどがある!」
「いいじゃねぇか、勝てたんだから、そうだろ、じじぃ」
 誰も人形に魂を閉じ込められることも無かったしな、と承太郎は階段を登りながら言う。
「まぁ、お前の人形には笑わせてもらったがな」
「あぁ、もうね!笑いの種になって嬉しい限りさ!」
 全くとりあうつもりもなさそうな承太郎に花京院は半ば呆れて、そう言った。ジョセフがすこしだけ笑いながらまぁまぁとなだめている。階段を登りきると広間に出る。吸血鬼のすむこの館は光をあまり取り込むつくりになっておらず、薄暗い。
 ふと暗がりを見ると女が一人泣いていた。女は血を吸わないでと泣き喚いてこちらに擦り寄ってきた。ジョセフがすこしだけ困った顔して、助けてやるとも、と言った。女はその言葉を聞いて、ぱあっと顔を明るくして、心の底から助かったと言った風にため息をついた。
「本当に、味方なんですね」
 女は縛られた手でそれでも安心したように言う。承太郎はそれを見て、あぁ、と答える。
「ただし」
 スタープラチナが一瞬、ふわっと浮かび女の顔面をぐちゃぐちゃにする。女は暗がりまで吹っ飛んで、派手な音を立てて壁にぶつかる。承太郎はそれを見て、わずかに笑った。
「正義の味方だがな」
「助けてやるとも、地獄へ向かう手助けじゃが」
 承太郎の言葉に、ジョセフも続いてそういった。なぁ、花京院と同意を求められ、花京院は曖昧に笑った。女はくるりと反転して髪の後ろに二口女のように男の顔を出現させて、どうしてばれたんだと混乱しているようだった。
「もしも、裏表化けるなら、今度から左手と右手も入れ替えるんだな」
 だそうだ、ヌケサクと承太郎が花京院の言葉に続いて言った。ヌケサクと呼ばれた男はぎっと一瞬花京院を睨んで、だが俺は吸血鬼だといって承太郎に襲い掛かりまたあっという間に吹っ飛ばされた。承太郎は眉間に皺をよせて本当に嫌そうな顔をしていた。
「さぁ、DIOのところに案内するんだな」
 顎まで割れて、まるで茹で上がった蟹のような顔をしたヌケサクが、ひどく弱い声で、どうしてあだ名がヌケサクだとわかったんですか、と敬語で喋る。承太郎とジョセフは顔を見合わせ肩をすくめた。

 声がするほうに、塔の外から壁をやぶって入るとそこには負傷したポルナレフがいた。薄暗がりの階段に光が差し込んで、DIOの姿が見えた。DIOは光が自分のところに及ぶ前に軽やかな体捌きで塔の上へと逃げ込んでいった。光に当らないようにと袋詰めにしたヌケサクは花京院の背中でわめいていて、ひどく不満そうだった。
 ポルナレフは承太郎や花京院、ジョセフが無事なことを喜んで、DIOのスタンドについて体験したことを話した。
 そうして承太郎がアブドゥルとイギーについて聞き、ポルナレフはただ悔しそうな顔をして、ここまでこれなかったとだけ呟いた。その言葉の意味するところは明白で、誰もがそれ以上追求しなかった。花京院は悲しみを覚え、そしてそんな事を覚える自分を嘲っていた。だがそれでもその喪失は重大で、どうしようもなかった。考えるべきことは全て生き延びてからにしようと誰もが思っていて、花京院はその後の重荷にふと眩暈がしそうだった。もしも全てが叶ったら、自分はどうするべきなのか。
 どこまでも自分を嫌悪しそうで、塔の外に目をやる。
「ジョースターさん、陽が沈みかけています」
 ゆっくりと街の気配が死んでいき夜が始まる。赤い夕日は塔の中を細長く照らしていて、ジョセフはそれにようやく気づいたように、急がなければといった。花京院は苛立ちまぎれに背負っていた袋を放り出し、さぁ、DIOの所に案内しろ、と詰め寄った。
 ヌケサクは花京院をふときょとんとした瞳で見てから睨みつけて、けれどもDIOの居所を喋る。昼はいつもこの塔の上にいて、階段はここからしかない、と。花京院は階段にヌケサクを放り投げる。がつっと顎を打ちつけて、彼はうなる。それでもよろよろと、立ち上がり階段を登る。するとその上はヌケサクの言うとおり部屋になっていて、真ん中には燭台に照らされた棺おけが置いてあった。壁を壊し陽を入れて、その光の中に立ちながら、ヌケサクに棺おけを開けるように指示をした。
 DIO様、俺は貴方が勝つと思うからあるんです。花京院が言うんです。
 ヌケサクはおろおろとそういいながら棺おけに手をかける。花京院は背筋に這い登る嫌な予感を瞬間感じて、だがとめようもない事に瞬時に絶望した。その瞬間は全く予想外のところからやってくるのだと。
「私ではなく、貴方のお気に入りの花京院が」
 ヌケサクの姿が消える。棺おけの中で輪切りになっている。DIOが笑いながら現れる。殺気を感じたジョセフがポルナレフを引っ張って、まだわずか陽の残っている外へと落ちる。承太郎が花京院の首を掴んで、飛ぶ。
「そうとも、わかっている、愛しい無能。ジョースターを裏切った気に入りの花京院がお前にそうしろといったことくらい」
 DIOの声が木霊する。ゆっくりと落ちていく間延びした時間の中で目を見開いたポルナレフの目の奥に驚愕とわずかな憎悪を見取って、花京院は息を呑んで決心をした。

 あの病院の夜と同じように。