god be by you,hero 4





「帝王とは常に慈悲を持っているものだ」
 DIOの言葉に花京院は面食らう。DIOと慈悲とはなんとも似合わない組み合わせだ。ベランダの縁に腰掛けて陽気に喋るDIOに花京院は不可思議な顔を向ける。
「えぇ、DIO様、貴方なら」
 そうでしょうとも、と言うとDIOは笑う。
「そんな顔でよく言うな、お前と話していると私は自分の心が広いことを実感するよ」
「それは喜ばしいことで」
 DIO様、と皮肉のように付け加えた。反抗もDIOの、楽しみのスパイスにしかなるまいとわかっていて、こんな事を喋っている自分に花京院は笑ってしまいそうだった。夜、眠れないときにだけ、まるで図ったように訪れるDIOと花京院は話をする。
 それは何をどうしろという指示ではなくて、本当にただの無駄話だ。読んだ本、文字通りはいて捨てるほどよってくる女について、手下の動向とその成果、それこそ百年前の話も。花京院にはそんな話をするDIOが隙だらけに見え、今ここで襲えばあっさり殺せそうだと思う。それほどに何もかもが無防備で、その無防備なDIOに向かっていけないという自分の立場をひどく痛感する。わかってやっているのだとしたら、意地が悪いにもほどがあり、相手はそれに関しては天下一品なのだろう。
 月明かりの元で、DIOは余裕を一片も崩さずに笑い続けている。
「そんなに何もかも表情に出ていて、お前は大丈夫なのか?」
 手下をもぐりこませている身としては心配だよ、と鷹揚に言う。お優しいことで、DIO、と花京院は思い、笑った。
「ご安心を、敵を欺くにはまず味方からともいいますでしょう?」
 冷たい風が吹いて、砂が舞った。この街はどこにいてもざらついていて、乾いて冷たかった。冷えた体が震えて、DIOはそれに目を止めた。
「さて、その味方というのはどっちのことなのだろうね」
「言わなくても聡明なDIO様ならお分かりのはずですが?」
 沈黙があたりを支配して、月の光がきらめく。DIOには密やかなものが何もかも似合う。そんな事を考えて花京院は笑った。ただ一人のために目的も捨て、仲間を裏切った自分もその中の一つに数えられるだろう事を考えてだった。
「お前は仲間想いだな」
「ご冗談を、ただの愚か者ですよ」
「まさしくだな、だが私は愚か者は嫌いではない。真面目な馬鹿よりましだ。真面目な馬鹿は間違いへ全力で突き進む、愚か者は事態を歪める」
 そろえば楽しいな、と独り言のようにDIOは呟いた。その表情は言葉どおりに楽しそうだった。花京院はため息をついてベランダから広がる町並みを眺めたが、そこは死んだような静寂と、それに相反して蝋燭のような温かみのある光がぽつぽつと灯っているのみだった。広場あたりではそれが固まりになっていて、ざわざわとした人の気配が感じられた。だがやはり気配は死んでいた。吸血鬼のすむ街だからだろうかと考えて、花京院は承太郎のことを思い出した。
「承太郎は真面目な馬鹿だな」
「彼は賢明ですよ、それこそ真面目な馬鹿ほどには」
 花京院は目を閉じて、思考を締め出した。戻ってこない思考を確認してからゆっくりと目をあけると少し驚いたようなDIOの顔があり、彼にも人間性の欠片は残っているのだと思った。それともそれはただの習慣で、表情をぺろりと剥げばまったく別の欠落が覗くのかもしれないとも思った。
「言葉遊びだな」
 DIOは言葉を吐き捨てた。その前に何か呟きそうな口の動きをしていて、花京院は何の根拠も無く人の名前なのだろうと思った。真面目な馬鹿は強く正しく公明正大な。
 思考が横滑りをしていくさまを花京院はただ黙って眺めていた。考えていたって正義にはなれないし、真実には届かない。
「それほど賢くはありません」
「…お前は生意気だ」
「お好みでしょう」
 ふん、とDIOは不満そうに鼻を鳴らす。
「飼い慣らされた抵抗に意味などない」
 DIOは唐突に笑った。きぃんと焦燥感で鼓膜がなった。DIOと相対すると花京院はいつも焦燥感を抱いた。圧倒的な感覚で、眩暈がするようだった。緊張で引き絞られた糸が、ぷつぷつと毛羽立ってもうすぐ裂けてしまいそうな気持ちになった。裂けたとき、心が折れるのだろうとわかっていた。きっと全てを投げ出して、後悔も感じなくなるだろう。それを望んでいるのかいないのかわからなかったが、望んでいないと思いたかった。
「おまえに」
 わたしのひみつをおしえよう
 また鼓膜がなった。DIOは瞬きひとつの間も音もなくいつの間にか花京院の後ろに回りこんでいた。そうして囁かれた声は甘かった。
 花京院は世界の秘密を知る。
 気がつけばDIOは元の位置に戻っていた。花京院は自分が夢でも見たのだろうかと思い、DIOはそう思っている花京院を見て、自分の力を心地よく思った。
「言うか、言わぬか、お前が決めろ」
 言えば問い詰められるだろう。どうして知ったのか。ごまかせるものだろうかと考えて、花京院は首を振った。これ以上は無理だ。秘密を抱えていっぱいいっぱいだ。この手にあらゆるものは重過ぎる。
「お前はその手でお前の望みを叶えることが出来る。お前はその手で、お前の望みを断つことが出来る」
 どちらに転んでも、お前の望みは叶うだろう。
 DIOはそれこそ美しく笑っている。
「けれど全ては叶わない」
 花京院ははき捨てるとDIOはいっそう楽しそうに笑った。そうだともといつかの病院のように手を叩いた。乾いた音が耳に響く。
「全てを手に出来るのは世界でただ一人だけよ」
 この街は夜だけ死んでいる。気配は乾いてかさついて、蛆も住み着かない空虚だ。
 花京院は世界の秘密を手に入れている。

 だから花京院は悩み続けている。ホテルの木陰で目を閉じている承太郎の横に座りながら、話すべきか否かを考え続けていた。白か黒かの二択ならばどれだけ楽だろうと思い、実際話すか話さないかという選択しかないのに、花京院はずっと灰色の世界で生きているかのような気分だった。変わるのはグラデーションだけで、ある時それは全く黒と変わらないような灰になり、あるときは隣に白がないとわからないような薄い灰になった。
 取れる手段が一つしかない事のどれだけ幸福なことだろう。選択は悩みを生み、迷いを生み、花京院は時折承太郎を恨みそうだった。どうして話したのだと問い詰めたく、話さなければ悩みもしなかった君の言葉を誇らしく思って死んだってかまわなかっただろうとなじりたかった。
 そうして全てが終わった後に気がついて絶望するだろう。もしくはそんな終わりは存在しなくて、気がついたら死んでいて君と天国か何かで挨拶したのかもしれない。
(いやだな)
 日差しはほこりっぽいが、それでも夜よりましだった。人は生きていて、気配はざわついてそこら中でひしめき合っている。生命の匂いがする。壁の一つ向こうで人が生きている感触。
(それはいやだ)
 隣の体は冷たくても。
「承太郎―、寝てるの?」
「…ねてる」
 空気は暖かい。花京院は困ったように笑った。思考の一番大事なところがどろどろに溶けてうまく考えられない。これまでもこれからも、生きていることも死んでいることも。この手にむりやり投げ込まれた事実は重く、重すぎて、死んでいるのは自分のような気がする。
(誰か、かわいそうって言ってくれないかな)
 どっちを?そもそも何を?

 ジョセフ達が怪我だらけのイギーを抱えてあわてて帰ってきた。その怪我は贔屓目にみても重傷で応急処置しか出来なかった。イギーがそれでもどこかへ行きたがっていて、どこかは誰もがうっすらと気がついていた。
 DIOの館だ。
 ポルナレフは意気込んだ。アヴドゥルは厳しい顔をしていた。ジョセフはひとまずの安堵を感じていた。承太郎は沈黙していて、花京院は何故だか泣きたかった。