god be by you,hero 3
世界中の何もかもが遠くてもそれに対して不都合は感じなかった。感じない事と、それにたいする感慨は全く別物ではあったけれど、承太郎はただ不都合はないな、とそれだけを思っていた。彼のあずかり知らぬことだが、アレッシーの攻撃を受けたときそれに影響されない体を便利だと、花京院が危惧していた通り承太郎は思っていた。 死に行く体は風邪の時に背筋を這い登る悪寒に似ていた。防ぎようのない変化を承太郎はあまり気にしていなかった。だんだんと世界に対するあらゆる感覚が鈍くなっていき、しかしそれがある一点で止まったことに多少の安堵を感じ、そして疑問を抱いていた。 遭難をして、ぼんやりと外を見ていたあの夜に承太郎は自分が完全に生きていないことに気がついた。気がついて、それでも動いている自分を幸運だと思った。どの道タイムリミットはあって、そこまでは持つだろうと考えた。 エジプトに入ってから、敵に襲われることが多くなった。スタンド使いではなく、ただの人間ではない。ゾンビのようなもので、DIOの館が近いのだろうとジョセフは言った。彼らの体は冷たく、生気に欠いて、おぞましかった。路地裏から永遠に出てはこれない薄汚れた埃そっくりだった。まるで自らが大層な力を得たかのように襲ってくる。飢えた犬と同じだ。獲物はここだ、襲えばいい。ちゃんと獲物を狩ってきたなら飼い主が大喜びだ。 自分も肉体的には変わりがないのだろう事実は承太郎を苛立たせた。違いといえば太陽の下に出られるか否かくらいだろう。大分大きな違いではあるが。 神妙な顔でへたくそに笑う花京院を見ると、承太郎はなんとも言えない気持ちになった。どうしてあの時喋ってしまったのだろうとそればっかりを考えてしまう。ただ黙っている花京院には感謝をしている。全部終わって言う暇があったら、伝えることをしようかと今はぼんやりと思っていた。 そうして世界に対して開かれていた感覚がゆるやかに閉じて、あらゆるものが遠くなることが死なのだと初めて知ったような気持ちになった。 「花京院、てめぇ」 「うるさいなー、帽子とらなきゃ手当てができないじゃないか」 花京院はそう言ってようやっと脱がした帽子を片手に憤慨していた。こめかみの傷はわずかな出血に反して大きな裂傷で、花京院は息を呑む。そもそも額は傷のわりに血が派手にでる場所だから、わずかな血から小さな傷を想像していた花京院はそれに驚いたのだった。 「大体、手当てなんて」 「しなくていいかもしれないけど、気分の問題」 紙袋の中からガーゼを取り出して、花京院は傷の手当をしてゆく。さすがに手際は良い。怪我にも事欠かない旅であるから承太郎も花京院も日本にいる頃とは比べ物にならないほど包帯の巻き方が上手くなった。中学の時保健で習った頃はこんなもの大して使うこともなくすぐに忘れて支障はないだろうと思ったら思わぬところで必要になった。もちろん、そんな事はやり方なんて忘れていたので、一からやりなおしではあったが、保健の授業よりははるかに身に着く覚え方でもあった。 傷口は抉れているというよりは、深く切れている。裂傷といった感じで、うすい肉の断面が鶏肉のような色をして見えている。もう少し深かったら骨まで見えそうだ。別に傷に慣れていないわけではないけれどこれで痛くないなんてどうかしている。 「痛くないのかい?」 花京院はそう承太郎に聞いて、承太郎は少し考えてから痛くはない、と返した。 「感覚はするが」 ふぅん、と花京院は答えてガーゼを傷口にあてる。あてながらこれは本当に意味のない処置であるな、と思わざるを得なかった。この手当ての効果といえば、傷口が花京院の目にさらされないことくらいだ。 「そういえば、お腹ふさがったの?」 傷が、と言外に含めばこれも、いや、と端的な否定の言葉を返された。まるで地雷原を渡り歩いて、地雷を踏みに行っているような気分がすると花京院は思う。衝撃は最初にやってきて、あとはどんなものでも平気なんじゃないかと半ば自虐的な気持ちで聞いているのかもしれない。 「君はこんなに冷たいんだから」 地雷がどこに埋まっているかわからないところでは子供たちは墓地で遊ぶ。そこなら、何も埋まっていないから。 「内臓もきっと冷たいだろうね」 テープを切って、ガーゼを固定するその工程を繰り返す。ガーゼをあてて、テープを切って、固定して、また紙袋から取り出して、手が止まらないのと同様に口も止まらない。 「君は死ぬのか」 承太郎は何もいわずに、ただ黙って花京院を好きにさせている。花京院は、喉の奥で笑いをかみ殺した。その顔に、承太郎はどうして花京院に喋ったのだろうとぼんやりと考える。 「いや、死んでいるんだった」 ビッとテープを切って、花京院は言った。承太郎は不意に笑って花京院は手を止める。いつの間にか彼の側頭部はガーゼで大げさに傷を覆われてすっかり大怪我みたいに見える。 「何を笑っているのさ」 承太郎は少しだけ困った顔で笑いながら、いや、と呟いた。 「なんだか」 大怪我したみたいなガーゼを当てたまま承太郎は笑い続ける。いや、その姿は大怪我というよりもむしろ。 「名誉の戦死をした人間みたいだと思ってな」 君はそのものだろうよ、と返したら、やはり承太郎は笑った。朝起きるとガーゼはすっかり外されて、承太郎は帽子をかぶっていてもう傷口は見えなかったし血が流れ落ちてくることも無かった。ただ大げさに減ったガーゼにジョセフが首をかしげて、そしてそれっきりだった。 さて、そうだな、私の暇つぶしに付き合ってくれないか、花京院。この間はホルホースにジョースター一行のことをけしかけてはみたんだが、彼はジョースターを倒すことが出来ると思うかね。私は出来ないんじゃあないかと思っている。簡単な理由だが、私は人間を魅了することが出来ても、信念を作り出すことは出来ない。 ホルホースは有能な男ではあるが、あれは生きることに貪欲だからな。私の為に死は選ばないだろう。安心を求めてはいるが、それ以上に胡乱だ。そういえばボインゴがいなくなっていたな、すこし手こずるかそれとも襲撃したことに気がつかれないかのどちらかだろう。 いや、話がずれたな。君と話すのは存外に楽しくてね、つい余計なことまで喋ってしまう。私の館も近い、ジョースター一行はやってくるだろう。私は彼らを待っている。ジョースターはこの手で絶やさねばならない。…そう、敵意をむき出しにしてくれるな花京院、もちろんお前の願いは叶えてやろう。ジョースターなら、屈辱だろうとも。私はとても愉快だ。楽しい、心が躍る。随分昔に、私を生まれついての悪だといった人間がいたが、悪というのも楽しいものだ。正しいものを踏みにじるのは楽しい。 そうだな、昔の話をしようか、なにせ今日は良い夜だ。お前の煩悶も愉快なことだしな。 あるところに一人の男がいた。男は恵まれていて、朗らかで、真っ直ぐな人間だった。強く正しく、公明正大。いや、反吐が出ることと言ったらそれはもう素晴らしいものだった。ただの甘えた坊ちゃんだと思ったら存外に骨があり、叩きのめそうと思っても、へこたれない。全く邪魔だった、憎らしかった。 私は彼のお陰で火傷を全身におい、次の機会には体さえも失った。私は体を失いただ彼のことを考え続けていた。このDIOにふさわしい体は奴しか持っていないと。 体を奪うのは簡単だった。いや、簡単ではなかったかもしれないが、しかし奪えた。奴は全く自分の守りたいものを守りきって、最後にこの私と心中でもするようだった。奇妙な友情すら感じると言って彼は死んだ。 わたしは死んだ彼の体を奪った。首ははねて百年の間のわずかな食料にした。棺おけの底で私はいつも考えていた。憎きジョースター、私の邪魔をどこまでもするこの体。 そうして棺おけの底から出ると、ジョースターの血統は続いていた。ジョージを殺し、ジョースターを殺した。エリナ・ペンドルトンやスピードワゴンなど鼠より価値のないものだったにも関わらず、あの女は子供を身ごもっていた。そしてジョースターの血は続いていた、と言うわけだ。奇妙な友情すら感じると、死んでいったあの愚か者の血統がな。 ジョナサン・ジョースターは反吐が出るほどアマちゃんだったが、しかし今は懐かしいかも知れぬ。 さて、昔話は退屈だったかな、花京院。ヴァニラやテレンスは私の昔の話は喜んで聞いてくれるんだがな。いやいや、そんな見え透いた世辞などいらないよ。肉の芽のないお前がジョースター一行を裏切ったと知られたときの、その反応でお前の今の不遜な態度は釣りがくるだろうからな。 それは言うさ、当然だろう?どちらにしろ承太郎をそうしたいのならわかることではないか。お前が何もかも奪うんだからな、お前の判断で。そういったろう?そうだろう、花京院。 …… 次は館で会うことになるだろう。ではな、花京院。今日も良い夜だ。 「承太郎」 人を待っている間にやることなんて何にも無い。承太郎はぼんやりとホテルの庭(と呼ぶには幾分か無理がある)の木陰でまどろんでいた。ポルナレフやジョセフは待つのにも飽きたのかカフェに行くと出かけて帰ってこない。ホテルの渡り廊下から、承太郎を見つけた花京院は声をかける。 「何してるの?」 「寝てる」 その短い言葉に花京院はすこし驚いてそれから笑った。 「見ればわかるけど」 「だったら聞くなよ」 部屋で寝れば良いのに、と言うと、寒くて嫌だと答えた。おきて体が冷たいのにぎょっとするのだと。花京院はそのまま笑い続けるべきか神妙な顔をするべきか迷って、どちらともいえない顔になった。 承太郎はそれに気づくと、妙に毒気の抜かれた顔をするのが花京院には不思議だった。 「…変な顔すんな」 「君がさせてるんだ」 全くと言って、花京院は承太郎の隣に座り込む。日差しが暑いくらいに差し込んでいたので、承太郎の体は温かかった。手を触りながら、死体だったら腐りそうな気温だけれども承太郎はそんなことがないようだな、と思った。多分、腹の傷に手をさしこんでもやっぱり湿っていて、でも冷たいのだろう。 暗闇のつめたさはそのまま死の感触だ。 花京院は気温で温まっただけの手に触れながら、もし承太郎が自分が裏切ったと知ったらどんな行動にでるのかを考えたのだが、全く想像がつかなかった。怒るような気もしたし、軽蔑されるような気もした。許されるような気もして、許されないまま二度と会えないのかも知れないとも思った。 ポルナレフは嘘だろと驚いた後にきっと冗談だと茶化して本当だと判ったら真剣に怒るだろう。ジョセフあたりは理由を知ったら納得されて殺されそうな気がする。アヴドゥルあたりだったら遺憾だよ、といって戦うことになるだろう。 「花京院」 ぼんやりとどこかを見つめて考えごとをしている花京院に承太郎は話しかけた。花京院は思考からのろのろと抜け出して、なに?と言う。 「俺はお前を信じてるぜ」 それは全く唐突な宣言で、心当たりのある花京院はぎくりとした。何をとも聞けずにただ沈黙する。その言葉をなんの含みなく受けとることが出来ればどんなにいいだろう。あるいは、承太郎が生きていて、DIOとの戦いを前にしたただの言葉だとしたら。 「……君は死んでいるのに?」 「なんか関係あんのか?」 承太郎は心底不思議そうにそう聞いた。 「あるよ」 君がもし生きていて、僕がDIOになど縋らなければ、僕はその言葉と一緒に死んだってかまわないのに。 |