god be by you,hero 1





 悪には悪の救世主が必要なのだとンドゥールは言ったのだと承太郎から聞いた。そうかもしれない、DIOは抗いがたい魅力を持っている。安心を与え、同時に恐怖を備えている。お前達が必要だといい、同時に本当は要らぬと思っている。切り捨てることに躊躇などしないだろう。だから、見捨てられまいと思う。
 取られた手を払いのけられるのは恐ろしい喪失感を伴う。手に入れたものを、手放すことなんて出来はしない。ましてそれが失われてしまうなど!
 自らが手放すことのほうがどれだけ安らかだろうか。だからンドゥールは命を絶ったのだ。そしてそれは自分も同じなのだと、花京院はそう思った。
 承太郎が花京院が水のスタンドに襲われる直前に走り出したことと、自分がスタンドに襲われる寸前で助けられた事が花京院の口を開かせたのかもしれない。彼のこめかみの傷はぐずぐずと治らないのに、化膿もしなかった。
 ンドゥールのスタンドによってつけられた傷は深いものでもなく、一日病院にとどまればそれでよいものだったらしい。旅程から離れることはなさそうだと、病院のベッドの上で花京院はため息をついた。眠ったほうが良いのだとわかっているのに眠る気になれない。不気味なほどに赤い三日月が窓から見えた。
 ふと気づくと、まるではじめからそこにいたかのように、DIOが現れていた。
「ハイエロファント!」
「おっと、待ってくれよ、花京院。私はお前を殺しにきたんじゃない」
 スタンドで攻撃をしようとした直後、DIOは花京院の後ろに回って笑っていた。
「提案をしにきたのさ」

 気づいたきっかけは些細だった。おそらくきっかけとも呼べなかっただろう。ポルナレフがへばっている、砂漠に少なからず耐性があるアヴドゥルだってきつそうだった。ジョセフは黙ってはいるが、あとどれくらい持つか定かではなかった。持っている水分は水筒一つと、果物が五つ。遭難していた。
 SPW財団への連絡はかろうじて取れたものの位置の特定は難しく、南の方へとすすめばオアシスに突き当たるのでそこら一帯を捜索する。そこまでなんとかたどり着いてくれ、とそう言われていた。方位磁石は正常に北を指し、南を示してくれるが、この砂漠では全くなにも目印がない。体力と同じくらい、精神力を消耗した。
 水分を取らなくても人間は十九時間は大丈夫だとしゃがれ声でいうジョセフの言葉を花京院は苦渋の思いで聞きながら、自分と同じくらい着込んでいる承太郎をぼんやりと見つめた。承太郎はただ黙々と文句も言わずに歩いていて、出る水分もないのか汗もかかずに唇もひび割れていた。
 だが足取りは誰よりも確かなもので、承太郎を見ているだけで花京院は、おそらくこの遭難から生きて脱出できるはずだと考えることが出来た。
 果物をその夜切ったのは承太郎だった。一つを五等分にして、一人一つずつ食べた。水菓子というだけあって喉は潤って、体は水分を喜んだ。そうして眠りに付いた。
 花京院が夜中に目が覚めたのは、おそらく寒さのせいだ。風が強く吹いて、砂嵐が巻き起こったのかと思えるほど視界の先が見えなかった。承太郎は岩のくぼみからすこし外れたところに座って、目を瞑ってぼんやりと砂嵐の音を聞いているようだった。
「承太郎、見張り交代しようか?」
 すっかり失念していたよ、と付け加えて花京院は体を起こした。声をかけたのは、承太郎があまりにも物のようだったからだった。まるでそこらの岩陰と気配が違わない。
 だから花京院は、おそるおそる声をかけた。一瞬、もしかして承太郎は死んでいて、この問いかけにも言葉を返さないかもしれないと思った。
「君も疲れているだろう?」
 それは不意に訪れた意識だったが、花京院の脳裏に張り付いて、砂嵐の音と共に一気に成長をした。蝋のように、冷たい体をしているに違いないという確信が花京院を突き動かす前に、承太郎はゆっくりと目を開いた。砂嵐のせいでかすかにしかささない光にそれでも反射して、瞳が光っているのが見えた。美しかった。
「いいや、大丈夫だ」
 てめぇも疲れてるだろうから、寝ろよ、といつものようにぶっきらぼうに承太郎は言った。そう言って後は何も聞かないといっているかのようにまた目を閉じた。砂嵐の音が鼓膜をざわざわと引っかいて、落ち着かなかったが疲れているのも事実だったし、やはり水分が足りないと訴える体に付き合う体力がなかった。ただ不安の芽を摘み取れないままの眠りはひどいものだった。水筒を飲み干して、果物が残り三個になったところで、花京院たちはようやっとSPW財団と出会うことが出来た。
 水を浴びるように飲み、シャワーを浴びて、ホテルの柔らかい素晴らしいベッドで泥のように眠った。明け方やはり寒さで目が覚めると、承太郎が窓を開けて目を閉じていた。遭難していた夜と同じように存在感がなく、そして砂嵐の激しい音はなかった。明け方に鳴らされる祭礼の鐘の音が空気を震わせて耳に届く。音が部屋に届いてなお空気は死んだような静寂に包まれていた。
「承太郎、君、生きているかい?」
 水分を含んだ声は滑らかだった。彼の唇はひび割れたままで、承太郎はゆっくりと目を開ける。朝日の差し込んだ瞳は生気にあふれていた。彼の存在感とは違って。
「いいや、もう死んでるんだ、花京院」
 承太郎は全くいつもと変わらない冷静な顔と声でそう言った。

 冗談はよしてくれ、と花京院は言った。ファンタジーやメルヘンじゃないのだから、死んでいる人間は動いたりしない、と。君の冗談は時折突飛がないと笑い飛ばせなかったのは、奇妙な真実味がそこにあったからだった。
 例えば果物の割り振りはちゃんと人数分あったのに、足りなくなったのではなくあまってしまったこと、水筒の中身も計算よりも多かった。少ないよりかは多いほうがよかったからあまり深くは考えなかったけれども(と言うよりも考えるほど頭が働かなかったのだ)、あれは誰かが食べていなかったのだ。だから余った。
 花京院はベッドから眠い体を起こして、ふらふらと窓辺に近寄り承太郎の掌を掴んだ。それはぎょっとするほど冷たかった。
「砂漠だと手は火照るからな」
 ごまかせて便利だと、承太郎は呟いた。花京院はくらりと視界が回って、こんなことが起こったのはDIOに会ったとき以来久々だと考えていた。
「なんだ、本当なのか」
「嘘なんか言うかよ」
 人間だとしたら驚いてしまうほど冷たいけれど、でも人は死んでしまったら活動はしない。
「君のことだから嘘だぜって言いそうだ」
「そりゃあ、俺だって言いたいけどな」
 淡々と話される声が、真実だと告げている。承太郎は花京院にただ手を取らせて、けれどそれ以上何を言うわけでもなくゆっくりと目を閉じた。言いたいことを言い切った病人のように見えた。
「承太郎」
 呼ぶと承太郎はなんだ、とひび割れた唇で返した。掌は氷のように冷たい。まるで花京院に死を宣告するかのように祭礼の鐘が鳴り終わる。

「本体のいないスタンド、死んだ後に発動するスタンド、遠距離、近距離、パワー型、トラップ、倒すことを目的としないスタンド、スタンドは多種多様だ。そういう能力を持つものも、当然あるだろう」
 あるいは、死んだ物体に限りはあるが、生命エネルギーを与えることが出来るスタンドもな、と窓際でDIOは朗々と語った。
「心当たりのありそうな言い方だ」
「可能性の話さ、花京院」
 それに、とDIOは付け加える。
「承太郎は死んでしまった、その決定はもう既に覆らない。しかし今は動いている、」
 期限付きだが、とDIOは楽しそうに付け加え、おそらくは一ヶ月も持つまいと花京院に告げた。
「そしてこのDIOを倒すために旅をしているというわけだ、奴の期限が来る前にな」
 DIOは声高く笑った。それは耳障りだが、甘い。
「私は無駄が嫌いだが、遊ぶのは好きだ。娯楽のためには労力は惜しむまい。お前の前に現れるのも、なに、些細なことよ」
 赤い唇を歪にまげたDIOはしかし美しかった。花京院はもう吐き気にも襲われることはない。ただ圧倒的な焦燥感だけを抱えて、愚かにも悪魔に縋るのだ。
「しかし、死んでいるものをよみがえらせることは出来よう。このDIOなら」
 それはおそらく、何よりも承太郎への裏切りになるのだろうと花京院は思った。思っている。だが、この手に飛び込んできたものがなくなってしまうことにどうしたら耐えられるのだろう。ましてそれがもう失われた、ただ残像だけが見えるだけのむごい状況であるならば。
「花京院、お前が選んでいいんだぞ」
 月の光を受けて、彼の髪の毛がきらきらと光っている。金色のそれは透けてまるで宝石みたいに見える。赤い瞳も、白い肌も、彼の妖しさは本当に甘やかで何もかも投げ出して安心してしまいたい。
「あぁ、そうだ、僕が選ぶ」
 僕が選ぶんだ、と花京院は宣言をした。砂漠の夜は寒く、開け放たれた窓からは冷たい風が吹き込んでくる。しんと静まり返った病院で、花京院典明は仲間を裏切る決意をした。
「君の帰還を心より喜ぼう、法皇」
 DIOは心底嬉しそうに、手を叩いて笑う。






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