お盆 行きはきゅうりの早馬で、帰りは茄子のお牛様。土産をたくさん積んで帰って、どうか会いましょ、また来年。 承太郎は眉間にしわを寄せて渋い顔をつくるのも忘れて縁側に立っていた。空条邸の広い庭では花京院がちょうど馬から鮮やかに下りたところだった。確かな足取りで彼は飛び降りて土を踏み、音は意外に柔らかかった。唖然と立ち尽くす承太郎に目を留めてから、口の端を嬉しそうに上げて笑った。 「承太郎、一年ぶりくらい?」 花京院は頬さえ染めて、笑う。興奮が抑えきれずに、馬で出来る限り駆けたような顔をしている。承太郎はしばらく何を言ったら見当がつかないまま、口を開いて、うめくようにこぼした。 「…ここは、お前の家じゃねぇぞ」 「知っているよ。でも、承太郎、だって、僕の骨は僕の家にはないんだよ」 そりゃまあ、帰りますけどね、と花京院はなんでもないように軽く言って承太郎の方へと歩みよった。後ずさりする気もなく、不可解も受け止める前に承太郎は、そうだ、今はお盆なのだと気づいた。 花京院典明の死をSPW財団は行方不明者として処理した。結果、彼の家族には死の一報すら届かない。ただひたすらに家出同然にある日飛び出した息子を待っていることだろう。財団は事故をでっち上げることもしなかったが、ごまかしのための労力を使うこともしなかった。花京院の死体は引き上げられ、骨にされ、埋葬されたにも関わらず、彼の家族に伝わることはなかった。あの冬から承太郎はなんだか生活がかみ合わないような気がする。今までしてきたことと、あの時したことのつりあいがとれない。辻褄があわない。 仕方がないと承太郎は思わない。説明をしてなじられるのも、頭がおかしいと思われるのも受け入れるべきものだと信じる。お前が殺したのも同然だと叫ばれれば、うなずいて返すだろう。だがそんな機会は訪れなかった。 「会いたかった、本当に」 うやうやしく、恐る恐る触れてくる指は冷たくて、承太郎は眉をひそめた。太陽はまだ昇り始めたばかりで、今日は暑くなりそうだとぼんやりと思う。花京院がこうして居る事に、多少の安堵感を覚えたのが承太郎には疎ましかった。 仏壇のきゅうりで作った馬がひとつなくなっていたことに、承太郎は気づく。黒というにはやわらかく、茶色というには渋すぎる色合いの黒檀の上にのっていたはずの馬がひとつなくなっている。線香たてから線香をとって、火をつけて供えると煙がゆらゆらと立って空中で消えていった。死者は煙を思いとして食べるというのなら、花京院もそうなのだろうかと後ろを振り返るが、死んでしまった当の本人はにこにことわらっているばかりでわからない。 後ろで笑う花京院は、君の家の馬はすごく早くて僕は助かったよ、とあの世事情みたいなものを話してくれていてそれはそれで興味深かった。三途の川でおぼれたら生き返るって聞いたけど全然無理だったとか、そもそもあれは三途の川だったんだろうかとか、そんなことばかりしゃべっている。 「上流まですすむとすごく川幅が狭くなっているところがあるんだ。そこには欄干の真っ赤なお太鼓橋がかかっていてね、彼岸側には屋台もあるんだよ。時々おでんとか売ってるんだ」 承太郎が屋台?と聞き返すと、そう、屋台と花京院は躁気味に笑う。 「おいしいらしくてさ、たまに向こうから生きた人が来るよ。きっと夢を見てるんだね。誰かが屋台で何かを買って、お太鼓橋の真ん中でしゃべっているよ。川には精霊が流れているときもあって、綺麗だ」 うらやましいよ、と花京院は笑いをひっこめてつぶやいた。表情と呼べるものがいきなり落ちたのに承太郎は驚く。泣きそうな顔にも、何かをうらんでいる顔にも、後悔してる顔にも見えない。 「僕は君に会いたいなぁと思うよ。家族にも会いたいけどさ、僕は死んでるから、待っていなくてもいいですよって、伝えたくもなるけど、でも君に会いたいと思うんだ」 冷たい胸に冷たい手を当てて、花京院はうっとりとするようにつぶやいた。白い指が蛇のように這っている。線香の煙は途中から消えている。花京院は承太郎の前に座り込んで目線を合わせる。畳の感触は好きだな、とせんのない事をつぶやいてる。爪がイグサにひっかかり、音がした。 「承太郎はおでんの具、何がすき?」 僕は巾着かなぁと花京院は首をかしげる。承太郎は安堵している。ため息が肺の底まで届いて、息が楽だった。こんなにも何か、違っただろうかと思う。あの冬のエジプトで自分が変わったのか、変わったのなら何が、分かっているから苦い気持ちがした。 「昆布が好きだな」 「うわ、渋いね」 花京院が笑う。もし君が会いに来たら、買っておいてあげるよと言う。 蝉が鳴いている。今日の気温は35度まであがるらしい、猛暑だ。 翌日は曇っていた。盆とはどれくらいの期間だっただろうと承太郎はぼんやりと考える。もしかしたら夢なのか、それとも自分がおかしくなったのかと思ってはいたが、翌日もやはり花京院はいた。別にまたいたからといって、これが夢でない可能性も、自分がおかしくなったかもしれない可能性も消えたわけではなかったが、隅においておこうと思う。 花京院は昨日はしっかりと歩いていたものの、今日はふわふわと浮かんでいる。朝方こちらをのぞきこんでいるので、触れようとしたらするっと抜けてしまった。なんだ、と目を細めると、そんなに寂しそうな顔をしないで、と笑われた。別にしたつもりは承太郎にはなかったが、案外そうなのかもしれない。 「今日は省エネモードです。気合いれれば触れるけどね」 ほら、と声と共にと輪郭が一瞬ぶれて濃くなった気がして、なんとなく後ろめたい気持ちで頬に指を伸ばすとちゃんと触れたし、やはり冷たかった。しばらく確かめるように触っていると、くすぐったいよ、と花京院が喉の奥で笑いをこらえていた。そして感触は消える。 「結構疲れるんだ、昨日の夜はへとへとですっかり眠れました」 「そういや、八時くらいには寝てたな」 昨日の夜、花京院はクッションの上で死んだように寝ていた。死んでしまったものに死んだようにもないだろうが、胸は上下していなかったし、体は硬かったので死後硬直した死体がそこにあるようだった。承太郎は花京院をまたいでベッドまで行って、花京院は死んでいるのだと、目を閉じた。 「そうそう、だから今日はちょっと楽なほうにと」 そうか、と承太郎は答えた。その様子を見てから花京院はちょっと出かけてくるねと笑って、消えてしまった。花京院はもう帰ってこないかもしれないと承太郎は思いながら、体を起こした。それでもいいような気がして、それの方が良い気がした。 風は生暖かいが、雨が降る気配はしなかった。 午後遅く花京院は帰ってきた。どこに行ったと承太郎は聞かなかったけれど、花京院はことさらに笑ってしゃべった。家に行ってきたんだ。君は僕の家がどこにあるか知ってたっけ?ちょっとここから遠くてね、行くの大変だったけど、馬もいなくなってたしさ、本当に困ったよ。でも行ったらさ、家は何にも変わってなかった。僕の部屋もそのままで、家族はちょっとやつれてた。でもね、みんな一人じゃないから大丈夫かなって思ったよ。 「君は僕の体を家には帰してくれなかったし」 「悪かったな」 承太郎は即答した。花京院は別に仕方ないからね、と笑う。花京院は笑ってばかりだと承太郎は思う。 「君に助けられなかったら、どっちにしろ僕は死んでたよ、肉の芽でね。どこで死んだかはわからないけど、エジプトの道中で死んじゃったら…やっぱり体は帰らなかったと思うしさ」 だからいいんだと浮いたまま花京院は言った。そうか、と承太郎は答える。花京院の言葉に承太郎はずっと追求を感じ取っている。君はひどいと裏側で聞こえる。それを受け取ることの安堵が、浅ましくて嫌だ。変わったのは自分の心だと承太郎は思う。 辻褄が合わない。釣り合いが取れない。 いつの間にか、空が暗くなって、雲の向こうが断続的に光っている。遠くから地団駄を踏むような音が聞こえる。 「雷だよ、承太郎」 夏は終わるのかなと花京院が言う。盆が終われば夏の終わりも近い。空が光ると同時に音がする。雨が屋根をたたきつける音が激しい。花京院に触れられるのだろうかと指を伸ばして、冷たい頬の感触に、承太郎はため息をついた。瞼が重い。 翌日、雨は降り続いていたが、不思議と暗くはなかった。夏とは思えない柔らかで薄い光があたりをぼんやりと照らしていた。昼だというのに、まるで月明かりのようだった。 「今日でお盆は終わりなんだ。僕は牛にのって帰るよ」 「土産はねぇぞ」 「それは大丈夫」 牛はつややかな短い毛並みを雨にぬらしていた。真っ黒な瞳は物憂げで雨が草食動物特有の長い睫にかかって、庭の草の上に落ちていっていた。涙のようだと思ったが、承太郎は別に悲しくはなかったし、花京院もそうは思っていないように見えた。むしろ喜びに溢れているように見える。牛はぬれているというのに、なぜ花京院は濡れないのだろう。 「いつか夢の中で会いにきてよ。もちろん僕が来年また来てもいいけどね」 「…またくるのかよ」 承太郎の言葉に花京院は笑った。 「わかんない。そうなるのかは、うん、わからないな」 牛が物憂げな瞳のままでゆっくりと立ち上がった。本当はたくさんの荷物が積み込まれるはずの牛の鞍は空っぽで、その軽さに戸惑っているように見える。 「承太郎は、おでんは昆布がすきなんだよね」 確かめるように花京院が言うので、承太郎はうなずいた。 「一緒に買おうね。きっとおいしいよ」 お太鼓橋も綺麗だよ、と花京院は笑う。 花京院の言葉に、そういう夢が見られるとしたら、と承太郎は笑う。 「お前は巾着がすきなんだよな、花京院」 うん、そうだよ、と柔らかな声で花京院は答えた。空は曇って、雨が一筋、花京院の頬を伝って降りた。黒檀の上で、茄子で作られた牛が雨に濡れて光っている。 |