another 7
ディオ・ブランドーについて花京院が知っていることはそれほど多くない。1880年代の人間だったこと。ジョセフの祖父の肉体をのっとったことくらいしか知ることが出来ない。彼自身がそれ以上はなさないからだ。 これは勝手な想像ではあるが、花京院は自分とDIOが似ている、と思ったことがある。もしも棺おけの中で承太郎の首だけを握り締めて百年眠りに付くとしたら、花京院はDIOと同様にその首を食うだろう。頭蓋骨すらのこさず骨まで余さず飲み込む。百年のその間何を考えているだろうか、と思う。その想像は結局一つの結論に帰結する。 最初に食べるのは腐りやすい眼球にしよう。 「私は、ジョナサン・ジョースターを憎んでいた」 DIOは目を細めて喋っている。明け方に帰ってきた花京院を捕まえて、延々と喋る。 「奴は恵まれていて、朗らかで、真っ直ぐな人間だった。強く正しく、公明正大。いや、反吐が出ることと言ったらそれはもう素晴らしいものだったよ」 「けれど貴方は尊敬していたのでしょう?」 それは何度も聞かされた話の結論だった。花京院は眠りにつこうと思っていた。ペットショップは倒されて、やってくるジョースター達についてDIOは一切何も言わなかった。花京院が命令をかなえなかったことを怒りもせず、それすら忘れているようだった。 「あぁ、尊敬していた。このDIOにふさわしい体を持つのは奴しかいないと私は考えた。乗り越えて初めて人間を越えるのだと思い、私は奴を殺した。エリナ・ペンドルトンから、スピードワゴンから、奴自身から、そして世界そのものから奪った」 今日、この日、ジョースターはやってくる。DIOを打ち倒しに。それは承太郎の死を意味したし、花京院の下らぬ企みの終わりだった。もしかしたら、彼らはDIOに倒されて、承太郎は生きるのかもしれないと思った。けれど何もかも花京院の手を離れている。手を貸せることは何もなかったし、関与できることも無い。そこから花京院は自らの意思で転がり落ちたのだ。そう決めた。 もう誰を止める資格を持っていない。殺すか殺されるか、生きるか死ぬか、為すべきか為さざるべきか、そんなものは花京院から遠く隔たっている。多分見届けることさえ過ぎたことなのだろう。 「だというのに、世界にはまだ残っているのだ、ジョースターの血統が!奪ったと思ったものが」 許せない。屈服させなければならない。降伏、殲滅、どんな言葉でもかまわない。奪ったものは残してはならない。すべてをその手に、世界から奪え。喜びよ、来たれ。汝が敵は打ち倒される! 「DIO、お前は待っているんだ」 花京院は思わず呟く。頭上から降りおりる鉄槌。はむかうものからもたらされる終わり。それは承太郎ではないかもしれない。けれどいつかやってくる、求めている。カイロの館の奥で、終わりを待っている。 「ジョースターがやってくるぞ、花京院」 ほら、お前の顔は、恍惚としている。 眠りに引きずり込まれながら花京院は、朝陽の強さを思い浮かべている。その朝の悲しみを考えて、笑う。骨はもうすぐ粉々になる。事実の積み重なった時計塔から誰かが落ちる。あれは自分だ。時計は五時で止まっている。 ディオ・ブランドーとDIOを花京院は哀れんだ。夢の合間の傲慢な想いだった。 花京院はDIOがどうやって死んだのかを知らない。承太郎がどうやって勝ったのかもわからない。ただ目を潰そうとしているような日の光のなかで無残にも横たわる承太郎を見ていた。 「DIOは死んだ」 静かな声だった。花京院は承太郎に向かって掌を差し伸べて、みたいだね、と答えた。承太郎は花京院の助けをかりて起き上がり、すこし楽しそうに昇る光を見ていた。ともすれば悲しそうにも見えたが、それはおそらく花京院の願望に過ぎなかっただろう。 太陽の光は花京院には眩しすぎて直視できない。 「お前、本当に来たな」 「来るって言ったじゃないか」 承太郎は傷だらけだった。だというのに平気そうなところがさらに無残だと花京院は思う。太陽を眺めながら承太郎は呟く。 「俺が死んだら、じじいか、ポルナレフにでも会いにいってくれ。きっと喜ぶ」 承太郎の言葉に花京院は驚く。直接的な言葉を聞いたからか、それとも承太郎が花京院の裏切りを皆に話していない事に対してか、花京院にはわからなかった。もしかしたらどちらに対してもかもしれない。 「君はこれからどうするのさ」 花京院はホテルの朝や、路地裏の夜を思い出していた。魂の抜けたように眠り込む承太郎のあの冷たさや、生きて輝く瞳のことを考えていた。 「消えようかと思ってる」 きっと、状況が全てを処理してくれるだろう、と承太郎は付け加えた。花京院は勝手だなぁ、と笑った。 「…ジョースターさんが悲しむよ」 「娘が助かってんだから大丈夫だろうよ」 そういう問題かな、と花京院は首をかしげる。すこし考えて、それから笑った。多分、ひどい顔をしているとわかっている。 「君は残酷だなぁ」 優しいけれどと付け足すと承太郎は笑った。街が起き始める。冷たい承太郎を抱えて途方にくれたあの明け方の夜とそっくりだった。違いといえば、花京院は今度こそ目の覚めない彼を見届けなければならない事だけだった。 それしか責任の取り方を花京院は思いつけなかったし、多分何かの責任が行動で贖われる事はないだろう。なにもかも花京院が背負わなければならなかったし、それを忌避する気持ちもなかった。 「花京院」 承太郎が街を見ながら不意に呟いた。花京院は、なんだい、と穏やかに答える。少しの茶目っ気すら添えて、そういった。何を言われても受け入れようと思った。 「付き合ってくれるか、最後まで」 骨はもうすぐ粉々になって消える。長い時間はかからないだろうとわかっていた。自分の行動が何の意味もない事を花京院は嘆かない。けれど悲しむ。涙が出る。 「だったらどうして、僕にだけ話したのか、教えてくれないか」 承太郎は花京院の言葉にすこしだけ戸惑って、笑った。 建物の間から朝陽がこぼれ出ていて、全くそれは赤かった。たとえばあれくらい終わりや始まりが劇的であればもっと違った終わりがあっただろうと花京院は思った。世界は美しくても、それは何にもならない。 どうかせめてそれくらいの自惚れを許して欲しいと、花京院は承太郎の言葉を待ちながら思った。 |