新月の日はひねくれものがつかまりんすと笑う悪魔の目が鳴海は嫌いではなかった。窓際で、月の光さえない夜に、自らの存在のみで光る悪魔を鳴海は愛でたいと思っていた。それがライドウのものならば、なおさら愛惜しかった。
「ひねくれもの?」
「お前のような」
 くすくすと、悪魔は口元を隠して笑う。鳴海は答えて、仕方なさそうな表情を装って煙草をくわえて火をつけた。鳴海は悪魔が愛しい。それがライドウのものであるからこそ、愛しいのであって、別段その悪魔自身、彼女自身に抱いている気持ちなどはなにもなかった。
 俺のような、と鳴海は紫煙を吐く合間につぶやいた。
「ライ様は、夜中も忙しいでありんすぇ、わっちは寂しい」
 悪魔そういって、窓際で美しい瞳を曇らせた。鳴海は肩をすくめて、俺もライドウちゃんがかまってくれなくて寂しい、と冗談めいて返した。
 悪魔は鳴海の言葉に一瞬瞳孔を開いて、それから口を裂いたまま声を上げた。青い色の唇からちらりと真っ白い歯が見える。人間にはありえないとがったそれは、悪魔にふさわしく、ライドウにふさわしく、人間と現実には異質だった。
「小僧がいっていんした。わっちの唇はライ様とよく似てありんすと。お前、人間、わっちと傷のなめあいでも」
 しんしょう?と裂いたまま笑う。首元を這う手のひらはまったく冷たい。鳴海はくわえていた煙草を口からはずして笑った。悪魔はそれに目を細めてから、あいていた片方の手で鳴海のあごをとった。
 悪魔の唇はまったく冷たい。だが閉じるまぶたは確かにライドウと似ていなくもない、と鳴海は思う。新月の、光さえない暗闇では見えるのもの見えない。かわりに、見えないものが見える。悪魔も鳴海も、傷のなめあいには長けている。錯覚を現実と見間違えるのも、それを錯覚だと知って楽しむ術もわかりあっている。
「目を閉じぬのは無粋でありんしょう」
 おや、すまなかったと鳴海は唇を離して笑った。窓の外へとやっていた煙草をとって、またくわえる。
「けれど、お前の唇はそれほどライドウには似ていないね」
 悪魔は目を丸くして、それからくすくすと笑った。
「ライ様は素敵なお方でございんす」
 わっちと似ていないのなど当たり前、と悪魔は窓際の風に揺れる。鳴海の煙草の煙も同じようにたなびいた。ところで、悪魔、と鳴海は平坦な声で聞く。
「ライドウがもうすぐ帰ってくるとわかっていてやったな」
 銀楼閣の三階からは、探偵社へと帰ってくる人間が見える。自分に見えたのだから目のよいライドウのことだ、なおさらよく見えただろう。悪魔は、はは、と笑ってしゃべる。
「それはお互い様でありんしょう。お前にも見えたはず。わっちを突き飛ばして潔白を証明してくんなまし」
 悪魔はゆっくりと鳴海のあごから、首元から手を引いた。そうして窓枠に頭をもちかけて何かを思い出したように笑う。
「お前も、ライ様も、わっちには等しくかわいく幼い。こんなもので図らずとも、ライ様はお前を好いておりんす」
 おや、珍しい、と鳴海は悪魔の言葉を茶化して返した。ライドウの悪魔は主人思いすぎて鳴海には基本的に手厳しいのだ。愛しいのはライ様だけでありんすが、とつけたしたその姿勢こそがライドウの悪魔の基本だ。
「葛葉は狐狸の類。狐は情念が深いでありんす。わっちは明日にも新しい悪魔の材料となり藻屑と消えるかもしれんせん。ライ様はほんにかわいい」
 悪魔の言葉に、鳴海は煙草を持つ手をぎくりと止めて、それから乾いた笑いをこぼした。
「いやはや、頭がおかしいね、あの子は」
「ライ様を好いたお前はそれ以上」
 でありんす、と悪魔はいった。鳴海は、そうに違いないと、乾いた笑いのままでうなずいた。別段後悔をしているわけではないのだ。狂気も慣れればかわいいものだ。常識を、良識を、幸福を、持ってほしいと願わなければ受け入れるのはたやすいものだ。
「まったく幸福だよ」
 鳴海の言葉に答えるように、ライドウが灰色の瞳を光らせて、探偵社の扉を開ける。悪魔の笑い声も、鳴海の笑顔も、ライドウの瞳も、等しく変わりなく底冷えている。