食虫植物





 ごわごわと泥まみれの暗緑色に覆われた体毛が汚らわしい。頭と身体の継ぎ目も無い楕円形の丸い物体は大きな二つの目をぎょろりと動かして俺を見た。喉の奥からはげらげらと、頭の芯が凍るような声を出している。口は大きく裂けて、ぐるりと背中でつながっているのではないかと思ってしまいそうだ。それくらいに大きい。黄ばんだ歯は形も不ぞろいで、隙間から真っ黒な口内が見えた。汚らわしい。本当に汚らわしい。大きな目は黒目しかなく、どこを見ているのか逆に定かではない。視線が合っているのか、合っていないのかさえわからない。
 げらげらげらげら、と笑うその大きな口から小さな手が生えている。真っ白な手だ。その手があまりにも小さくかわいらしく真っ白なので、俺は黄色い歯を持つその手を哀れむ。出来るなら、綺麗なものをつかませてやりたいと思う。
 綺麗なものとは何だろう?幸せとか家族とか、未来とか恋人とか、きっとそんなようなものだろう。具体性もなく、確実性も無い。ただの妄想に近いものだ。そんなものをつかませてやりたいと思う。
でも、その小さな白い手は汚らわしい化け物の、黄色い歯をやわらかに押しのけている。げらげらと笑うその声に鼓膜は破れないのかと心配になる。白い手の持ち主はその手から想像するにきっと酷く脆いのだろうから。
 ふと、笑いが止む。
「鳴海さん」
 げらげらと笑うその声と同じ物が俺の名を柔らかく呼ぶ。歯を押しのけるやわらかさと同じように呼ぶ。
「鳴海さん」
 その手は白くやわらかで美しい。つながる腕はしなやかで、肩は意外としっかりしている。筋張った首は口腔内でまるで浮かび上がっているようで、その顔は俺の助手の顔と一緒だ。彼は真っ黒な外套を身に纏って、化け物の口の中に溶け込んでいる。
 俺が虫で、この化け物が食虫植物なら、さしずめ彼は蜜かなにかか。どうしてあやかしというのは昔から人の弱点をつくのがうまいのか。俺はふらふらと吸い寄せられ食べられてしまいそうだ。
 助手は帰ってこない。これは幻だと俺は決め付ける。獲物を狙うためのただの方法だと思い込む。彼は、何かをたくらんでいるときのように笑っている。俺が間抜けにふらふらとそちらへ行くのをただ待っている。
 黒い口腔内に白い手が浮かんでいる。こちらへ来いと誘っている。黒目ばかりの大きな目はどこに焦点が合っているの俺にはわからない。
「鳴海さん」
 げらげらと、彼と同じ声で化け物は笑う。笑う。その手が白い。彼は帰ってこない。いつまでも俺は口の中の彼を見つめ続ける。なぁ、誰かそろそろ教えてくれないか。一体どこからが夢で、どこからが現実なのかを。