この身一つと十二の管と





 ライドウの瞼に置いた手のひらがやけに暖かいのは体温の為でそれ以上の何者でもない、と鳴海は思い描こうとした。そうでなければ困るのだ、と強く思いながら。
 そもそもどうしてこんなことをしたのか、と問われればふっと町の明かりを眺めるライドウの瞳があまりにも冷たかったからだ。あまりにも冷たく、その冷たさは今見下ろす風景に何も思うところが無いということに起因するように思えた。後ろから両手で瞼をゆっくりと押さえるのにライドウは抵抗しなかった。(気配を消して近づいた訳ではなかったからライドウは分かっていて抵抗をしなかったのだろう。)
 「何が見えるの?」
 鳴海の瞳には帝都の明かりが見えた。鳴海は、本当はライドウに何を見ていたのかを聞きたかった。そのような冷たい瞳で何を見ているのか。何を思っているのか。ライドウが見下ろしているのは彼が守った人々の生活風景に他ならない。夕餉の後に人々が寛いでいる街の明かりが暗闇の中、まるで何かの証のように浮かんで見えていた。ライドウの表情は鳴海からは良く見えなかった。
 「…暗闇しかみえませんよ」
 あぁ、でも指の隙間から明度の違う暗闇が、とライドウは続けた。鳴海の手のひらには瞬きを繰り返すライドウの長い睫が上下するのが感じられた。それはささやかな感触だった。鳴海は続く言葉を捜すようにしばらく沈黙をした。その間にも掌には睫の感触がして、ぼんやりとどうしてこの子は素直に目を閉じないのだろうと思った。
 「どうして」
 そこまでつぶやいて、再度鳴海は言葉を失った。続く言葉がありすぎて何を聞いても、聞きたい答えは返ってこないだろうと思ったからだった。どうして目を閉じないのか、どうして暗闇しか見えないのか、どうして帝都を守ったのか、どうして近づく気配に警戒を払わなかったのか。どうして。
 「どうして?」
 おそらくライドウは笑ったのだろうと掌にうごめく感触から鳴海は想像をした。しかし実際はどのような顔をしているのか分からなかった。ライドウの言葉は冷たく、鳴海の言葉の純粋な繰り返しでしかなかった。
 「ヤタガラスが守るものとは何でしょう?人でしょうか、町でしょうか、幸せでしょうか、平和でしょうか。」
 さぁね、と鳴海が自嘲気味に言うのをライドウは聞いているのか、いないのか鳴海にはわからない。いつだって理解できはしない、それどころか欠片すらつかめない。
 「ただ淀みなく目指すところへ流れる時代の潮流でしょうか。しかしそんな事が何だというのでしょう」
 鳴海さん、俺は、とライドウは鳴海に言った。
 「何を守るのでしょう。何と戦うのでしょう。守るものを知らなければ戦う敵も朧です。」
 暗闇ばかりだ。
 鳴海はやはり掌にくすぐったい睫の感触を感じた。ライドウの言葉は鳴海の言葉を繰り返したときのように何の感情も滲ませてはいなかったし、何か途轍もなく欠落したものがあるようにも感じられなかった。
 「立ち向かうのはこの身一つです。」
 この身一つと十二の管と、頼りない拳銃だけ。
 ライドウの淡々とした言葉が鳴海には悔しかった。一時の感情の暴走だと自覚はしていたけれど、ライドウを救いたいと思った。どこかへ連れ出してやりたいと。同時に怖かった。見えるのは暗闇ばかりだという少年のまったくの迷いのなさが。迷いのなさというよりも理解をしていないのか知れないという可能性が。そしてそのような人間を手を引いて連れ出して、どうしようというのだと、その先が鳴海は恐ろしかった。
 「笑っているのかい、ライドウ」
 「いいえ」
 掌がやけに温かいのは体温の為でそれ以上の何物でもない、と鳴海は思い描こうとした。睫のささやかなくすぐったさが感じられないのも、濡れた様な気がする指先も、すべて錯覚だと思い込みたかったし事実錯覚なのかも知れなかった。錯覚だと思い込みたい思いの強さの分だけ鳴海はライドウの預けられた体重を信じたかった。
 「じゃあ、泣いている?」
 「まさか」
 そういって今度こそライドウは吐息混じりに笑った。掌は温かく、瞼は閉じられたまま。