二人称





 あなたは僕が死んでしまったらどうするのかを考える事があります。
 僕が誰なのか、どういう生い立ちなのか、どういう生き方をして、どういう風に生きねばならなく、貴方とどう接してきたか、それを全て置いて、全て脇において考えるのです。
 名を背負うよりも叶う事の難しい夢想です。


 今わの際にあなたはきっといないでしょう。あなたの知らないところで彼はきっと死んでしまうでしょう。貴方は訃報を聞く。もうすでに過ぎ去った人間を見送るのに慣れた貴方は煙草を一本吸って、そして別れを言いそびれる。
 彼は貴方の元には戻ってこない。面影も残さずに消え、それを当然のことと思う。思わなければならないと思って欲しい。
 貴方は時々彼を思い出す。紫の頭巾をかぶった美しい女がやってくる毎にふと思い出し、それを忌まわしいと感じる。台所には埃がつもり、冷蔵庫に氷を切らす事が多くなって、生ぬるい洋酒ばかりが置いてあるだけになる。
 人がたくさん来るようになる。元気な女記者や、組の下っ端や、どこかのバーで知り合った知らぬ男と、貴方は賭博に興ずる。一人分の珈琲を入れることを面倒くさく感じて、外で食事をするばかりになる。思い出したようにつけを払い、そして長い間ためる。それを繰り返し、深川や、銀座によくくりだすようになる。

 出来るなら、と思うのだけれど。
 出来るなら猫にやさしくなって欲しい。もしも路地裏で死にそうな子猫を見つけたら、一匹で良い、拾ってあげて欲しい。傷を確かめ、おそらくは彼が死んでから減っては居ないだろう傷薬を救急箱から取り出し、子猫を癒して欲しい。埃のつもった台所で同様埃のかぶった炭に、気をつけながら火をつけ、子猫のために何かを作ってあげて欲しい。
 ふと、酒ばかりだ、と思って欲しい。
 暖かな日々を過して欲しい。
 貴方は拾った猫を飼いながら家に早く帰るようになり、猫の餌を作るついで自分に簡単なものをつくり、時々探偵社で麻雀に興じ、ふとやってくる頭巾をかぶった女をもてなす。
 珈琲を入れることを厭わなくなり、台所には埃がたまらなくなる。陽だまりでだらける猫をみながらだらりと寝てしまったりする。
 貴方がそうして過す日々になれた頃、おそらく子猫は死ぬでしょう。そうしたら。
 そうしたら、彼の死んだ様は一体どうだったのだろうと思って欲しい。そうして、出来るだけ酷いもの(それは貴方が想像できる限りで最も酷いもの、拷問にかけられた末に殺された、悪魔に嬲り殺された、と言った類のもの)か出来るだけ満たされたもの(それは貴方が想像できる限りで最も満たされたもの、家族に囲まれて逝く、誰かに悲しまれて逝ったといった類のもの)を想像して欲しい。
 そして彼が貴方が好きな方で死んだのだと信じて欲しい。そう思った後は、子猫を埋葬して、彼を忘れて欲しい。
 きれいさっぱりと、二度と思い出さないほどに。