恋は罪悪





  もしも俺が奥さんを持ったらねぇ、家は凄く綺麗な森の近くの洋風の一軒家でね。奥さんは若くて凄く美人で俺の事をものすごく愛してくれているんだよ。俺ももちろん奥さんが好きで、毎日愛の言葉とか囁いちゃうよ。下らないって?まぁ、聞けよ。それで朝は俺が珈琲を入れてあげるんだ。仕事は何をしてるんだろう。少なくとも探偵じゃないな。え、働けるのかって?辛辣だなぁ。これでも昔はいい仕事してたよ。探偵になる前にだけどね。いや、いまだってちゃんと仕事してるじゃん。あぁ、殴んないで。まぁ、ともかく朝は珈琲さ。

 「で、その下らない妄想はどうなったんだ?」
 ゴウトのその問いにライドウは珈琲を入れながら曖昧に笑った。
 「さぁ、覚えてないな。」
 「大方下らな過ぎて忘れたんだろうよ。それが正解だ。」
 ゴウトはいちいち鳴海に厳しい。ゴウトが下らない妄想だと切り捨てた鳴海の戯言だってライドウは面白おかしく聞いていた覚えがある。鳴海がそのような具体的かつ夢見がちで到底実現しそうもないことを冗談でも言うことが意外で、それで興味深いなぁと聞いていた。
 「奴が朝起きてきた試しなど殆どないじゃないか」
 「きっとあの人にとっては昼が朝なんだよ。」
 ライドウがゴウトも珈琲のむかい?と聞くとゴウトは俺はそんなもんいらんといって台所から出て行ってしまった。おそらくソファで転寝でもしにいったのだろうなぁとライドウは思いながら珈琲を応接間へと持っていく。
 春の日差しは柔らかで動き出したくなってしまう。心だけが体を置いて浮き足立っていて、だからライドウは春が少し苦手だ。常々自分は心と体が離れ気味だなぁと思うのに、春はそれを加速させている気がしてならない。自分の体から意識が三センチほど抜け出ている感覚が春はいつもする。
探偵社の窓からは冬の薄い陽光とはちがう暖かさを伴った日差しが差していて、うとうとと寝てしまいそうな気温だった。期待の粒子、薄紅の空気がそこら中で乱舞している。
 「鳴海さん、珈琲…」
 とそこまで言いかけてライドウは押し黙る。鳴海は机に突っ伏して気持ち良さそうに寝ていた。柔らかな日差しは室内の空気を暖めるし、夏のようにきつくない光は眠気を誘う。せっかく珈琲を入れたのになぁ、とライドウは思いながら、毛布でも持ってこようかと思案する。とりあえず珈琲を鳴海が突っ伏している机に置く。かたり、と陶器の触れ合う音に彼が起きてしまうかもしれない、と思った。
 「…ライドウ?」
 案の定鳴海は起きてしまったらしく、まだ寝ぼけているような顔して、此方を覗き込んだ。そしてぼんやりとした顔で手招きをする。
「なんですか、鳴海さん?」
 いいから、ちょっとおいでよ、と寝ぼけた声で言うので顔を近づける。

 でもねぇ、君、恋は罪悪ですよ
 とかなんとか、あれこれいったのは誰だっただろう?死んでしまうほうだっけ?あぁ、どっちも死んでしまうのだった。先生とKどっちが言ったのだったっけ?でもねぇきみこいはざいあくですよ。

 「…なるみさん?」
 寝起きに口付けだなんて一体なんの少女小説でもお読みなったんですか?と皮肉気に聞き返した。鳴海は寝ぼけ眼のままあはは、と力なく笑った。
 「俺はね、ライドウが好きだなぁ、と思って」
 そうですか、とだけいってライドウは応接間からいなくなってしまった。鳴海は寝起きのはっきりしない頭で珈琲に口を付ける。
 (うーん、動揺の欠片もなかったなぁ)

 ソファの上で片目だけ開けてゴウトはため息をつく。気付かない鳴海も鳴海だが、あいつもあいつだ。出て行くとき、左手と左足が一緒に出ていた。
 (大丈夫か、この探偵社は…)
 欠伸をしてもう一度寝る体勢に入る鳴海を見ながらゴウトはため息をつく。扉の向こうでする足音はきっと毛布をもったライドウに違いないだろうと思いながら。