悪魔と人の曖昧な境目





 抱きしめる力があんまりにも強いので泣いてしまいそうになる。泣いても意味は無いのだと分かっている。あらゆるどんなことも思うだけではなんともならないのだから。行為が全てを決定する。意志は先立つものでないのだ。たとえ道が一本しかなくとも、それしか歩けなくとも。それでも最後の選択肢として道を飛び降りることが許されているのだから、その選択肢を切って捨て選んだのは自分だ。選ぶという行為。抱きしめられるという受動。泣きそうになるが、止まらないのは笑いだった。鳴海さん、鳴海さん。そういいながらも笑いが止まらなかった。壊れたように笑う自分の喉がもう壊れてしまったのではないかと思った。あぁ、壊れたのは頭だろうか。笑いが止まらないのに泣きそうだなんて。ごめん、ライドウ、ごめん。鳴海さんは謝り続けている。何を謝っているのだろうと思う。抱きしめられているから鳴海さんの顔は見えない。ごめん、ライドウ、ごめん。鳴海さん、鳴海さん、と俺は笑う。世界は歪んでいる。一枚向こうは赤く錆びた異界。管の中で悪魔が笑う。けたけた、からから、げたげた。俺は人間ではないのですよ。あくまでもないのですよ。あぁ、こんなせかいなどきえてなくなってしまえばいいのに。
 「いや、違う」
 笑っているのだろうか。泣いているのだろうか。よく分からなくなってきた。ここは異界ではない。月の光青白く、カラスが影を落とす。鳴海さんは謝り続けている。ごめん、ごめん。ライドウ。ごめん。
 「消えてなくなればいいのは俺ですね」
 ばっと鳴海さんが顔をあげる。俺は優しく微笑んで、抱きしめられ動かない両腕の代わり舌を噛む。痛覚はぼんやりと鈍く、むしろ歯が肉に突き立つその感触ばかりが鮮明だった。口はあっというまに血で埋まって唇の端からぼたぼたと落ちる。俺を見下ろす鳴海さんの、泣きたいほどに暖かいスーツに。ごぼごぼと血に紛れ呟く。鳴海さん鳴海さん、大好きです。愛しています。あぁ、これは全て冗談で夢だったらいいですね、でもそうしたら俺はあの部屋のベッドで目を覚ましてまた朝から一日をはじめるのでしょうか。それはとても幸福なことです。貴方のからだは温かいし、とてもずるく優しいのですから。
 あはは、鳴海さん、貴方が好きです。俺を惜しむ貴方のその顔が好きです。
 世界をなくせないのならば、死ぬ以外にどんな道がありましょう。遠く伸びていく道を歩いていけないのなら歩むことをやめる以外どんな手段がありましょう。時が進むのが恐ろしいのなら戻る以外に何の手法がありましょう。血にまぎれて俺は笑う。けたけたと、からからと、げたげたと。それは悪魔の笑い声によく似ていた。