スープの中の宝石





 ライドウが窓際で何かを覗きこんでいる。別にその動作が珍しかったわけではなく(鳴海が知らないものをライドウが眺めているという光景は比較的良く見るものだったからだ)、何故ちょっかいを出したのかといわれれば、ベッドの上で自分以外に夢中になられるのが多少面白くなかったからだ。
 真面目に考えれば恥ずかしい話だが、事実をごまかしてもどうしようもあるまい。ライドウは真昼の太陽に、何かをかざして見入っていた。その無心な横顔が酷く珍しくて鳴海は声をかける。
 「何見てるの?」
 ライドウは視線をふっとそれから外し、鳴海を見た。ライドウが手に持った物は良く見ると、青味がかった水のようなものが円柱形になっていて、真ん中には緑色の丸い宝石のようなものが入っていた。光がその物体を透けてきらきらとシーツの上で青い波紋を作っている。藍玉のようだ。
 ライドウは鳴海の問いにかくっと落ちるように首を傾げてから少し考え込んで、時間ですよ、と答えた。
 「時間?」
 「アラカナ回廊で貰いました」
 「アラカナ回廊?貰った?」
 ライドウはしばらく沈黙した後左に落とした首をもう一度かくっと音がしそうな角度で右に落とした。表情は無心で、少し怖い。
 「回廊は、そうですね」
 えぇっと、とライドウには珍しく言いよどんでは肩にかけてあるシーツの端を足でいじっていた。鳴海はごろりと寝返りを打ってライドウのゆるやかに動く足の指の近くに頭を動かし、ライドウを見上げた。
 「未来では、時間というものは距離に近くなるみたいですよ。それで、そこで旅行が出来るんです。白くて固い、冷たくててかてかした入り組んだ回廊を上っていった先で、透明な人がくれました。」
 「透明な人?」
 「生身で入るのは危険だそうなので、複製した精神でわたるそうです。壊れても良いように。まるで魔法のような話ですよね」
 お前が魔法のようだ、といっても冗談みたいだね、というと、ライドウは真面目な顔になって魔法と召喚術は似て非なるものなんですよ、と言った。下手に相槌を打つと講義が始まりそうだったので、鳴海は笑いながらライドウに話しかけた。
 「で、それ時間なんだ」
 「なんでも時間という概念を視覚的に表すとこういう形になるんだそうです」
 そう言ってライドウは鳴海に、手に持っていた円柱を渡す。それはライドウの手を離れて鳴海の掌に移った途端円柱の形を失ってぐにゃぐにゃと崩れた。分離する事はないが、固体ではなく液体にちかい。中心の核のようなものは中心で浮いていた。
 「驚いたー」
 鳴海は左手から右手へ物体を移動させながら呟いた。右手から左手へ、左手から右手へ、手の間を通るそれは陽の光に透けて鳴海の目に青い光の波紋を投げかける。光は目を指すほど強くはない。
 「これ、時間なんだ」
 鳴海に物体を渡して手持ち無沙汰になったのかライドウは鳴海の髪を撫でながらえぇ、と答えた。
 「核が、現在です。光が波紋を描いているのは液体が常に動いているからです。時間の流れにさらされているだけなんだそうですよ、現在は。たてよこたかさの三次元、もう一つの軸は時間。世界とは四次元なんだそうで」
 ライドウが首をかしげたままですらすらと喋る。よじげん、と呆気に取られた気持ちで呟けば、ライドウは鳴海に視線をよこした。
 「なんか、お前が何言ってるのかよくわからないなぁ」 
 「俺にもよくわかりません。でも」
 でもきれいでしょう、とライドウは言った。鳴海は手の間をすりぬける時間の妙な滑らかさを感じながらそうだねぇ、と答えた。確かにそれは綺麗だ。ずっと眺めていたくなってしまう。
 「こんなところを旅行するなら、気持ちいいだろうね、さぞ」
 鳴海はライドウに時間を手渡すと、ライドウの手の中でそれは円柱の形に戻った。不思議だなぁ、と言ったら、不思議ですねと返された。
 「所長が給料をしっかり払ってくださる方でしたら円柱になるかもしれませんよ」
 ふふ、とライドウが笑って円柱をことりと窓際に置いた。するとそれは鳴海の掌に置かれたときのように形を失った。その様子は手から滑り落ちていく時間に似ているのかもしれなかった。鳴海は目を細める。
 「さぁ、どうだろうね」
 かぶさる影にふと目をやれば、ライドウの顔が近づいていた。瞳は首をかしげていた時と同様に無心だ。そうして囁く。
 「時折考えるのですけれど、鳴海さん。」
 過去にさかのぼり、未来へ行く事が出来るのならば、俺の未来もあっという間もなくわかってしまうのでしょうか。果てしない先と過ぎ去った遠くが隣合わせとはどういうことなのでしょう。ぽっかりと浮いた現在が不安定だと思いませんか。今の瞬間の決断は、明日の決断は、果たして有用なのでしょうか。時間に連続性が無いのなら、今この瞬間に流れているものは何なのでしょう。
 このような、といってもう形をなさない物体にライドウを視線を向けて、そしてすぐに鳴海に戻した。
 「連続性は回廊には存在しません。昨日の決断は一昨日の決断は、はるか遠い過去は、今この時にどのように作用しているのでしょうね」
 瞳の無心さに鳴海はすこしぞっとした。ライドウはおそらくただ疑問に思ったこと、考えた事、判断した事を言っているに過ぎなく、そこに何か自虐的なものが存在するわけではないのだろう。けれどその問いの奥に分け入って進む気には鳴海はなれなかった。
 「そりゃあ、もしかしたら全部夢かもよ。平行世界があるんだから、その可能性もないわけじゃないだろう、多分。」
 形が無いのは他人の夢とまじりやすくするためかもしれないしと付け足した鳴海の言葉に、ライドウは体を起こして、かくっと首をかしげたまま沈黙した。肩につきそうな耳は白く、奇形じみている。だとしたら、とライドウは言う。
 「だとしたら、俺は誰とも混じりあえないんでしょうね」
 ライドウが窓際に手を伸ばす。それはライドウが触れた側から集まって藍玉のような円柱の形を為した。