きちがい





「なにを、ですか?」
 ライドウが笑いながら聞くので鳴海は多少の戸惑いを禁じ得なかった。鳴海は珈琲を持った自分の手と探偵社応接間の一番立派な机(それは探偵社の主である鳴海、厳密には違うのだがこの際は置いておこう、が常に使うものだ)に寄り掛かったライドウを交互に見ながらへらりと笑った。
 主導権の確保、心理的圧迫を考えて配置してあるその位置はそれを考えた鳴海自身にもきっちりと作用して、問いかけたはずのこちらが逆に問い詰められているような気分になる。ライドウはそんな鳴海を認めて、面白がるように一段と微笑を深くした。
 ゆっくりと歪む唇に鳴海は見ほれているような気分になって、そんなはずはないと思い直す。ただの馴れ合いも錯覚も続けて行けば何が目的かなど簡単にわからなくなる。鳴海は自分が何を問うたか思い返す。
 ライドウお前は殺そうとする時に何を思っている?

 時々ライドウは鳴海を殺したいと思う。殺したいほどすきなのか、単純に殺したいのか、自分にはよくわからないのでとりあえずは彼を殺したいのだろう、と思っている。衝動は自分の意思や理性を破って鳴海の首に回した腕をわずかに動かす。
 ぼんやりと熱に浮かされた隙間から、ひとつの文字が浮かび上がってくる。あぁ、殺してしまいたい。殺したい、殺したい。この手でその命を絶ってしまいたい。
 そうして、殺した後の自分の悲しみを想像しては手を止めるのだ。自分は泣くだろう。床に呆けて座り込み、ぼんやりと天を仰ぐだろう。冷たくなっていく体を嘆くだろう。
 なんて気持ちの良い。
 あぁ、殺してしまいたい。
 そうしてわずかに動く腕を、何かが押さえつける。ライドウを押さえつけるのは、鳴海の眼光だ。それはひどく扇情的で、見るたびに口付けをしたくなる。それを見るためだけに殺したいのかもしれないと思うほどだ。

 まわされる腕の意図に気づかない程愚かであればよかった、と鳴海は思う。ちらちらと目に映るシーツの白さが、眼底を突き抜けて刺さる。首筋を甘く噛みたいと思うとき、ふと腕が回される。そうしてあう目線は冷たい光を宿している。
 それは本当に冷たい。親の敵を見るような目をしている。そうして瞳孔が一瞬にして熱を孕んで膨らむ時、鳴海はライドウの腕が首の後ろで動くのを知る。流れるような涼やかな殺意。さらりと何もかもを気づかずにさらってしまうそれ。
 それを感じるたびに鳴海は、あぁ、冗談じゃない、と謗りたい気分になる。こんな気違いはごめんだ、とまで思う。思いながらライドウを抱きしめ、後ろに回された手のかすかな動きを無視しようと努める。なりそうになる舌打ちを抑えこめば、ライドウは面白がるように微笑みを深くする。
 何を笑っている、と鳴海は心の内で問う。答えは自分からあっさりと返ってきた。殺されても良いのだと思う、お前の浅はかささ。

 さぁ、なんだろうね、と鳴海は肩をすくめた。ライドウ、お前は何を思っている?悪魔を殺そうとするとき、人を殺そうとするとき、自分自身を殺そうとするとき、俺を殺そうとするとき。
 言葉はかすれて声にならない。それを問いたいのかも本当は定かではない。ライドウは依然笑ったままで、鳴海は自分に攻め立てられるばかりだ。自分はどんな答えがほしい?悲しんでいてほしいのか、喜んでいてほしいのか、何も感じていないでほしいのか。それとも、愛でも求めているつもりなのか?
 愛は行き着けばすなわち死である、なんて馬鹿な事を植えつけたのは一体誰なのだろう。またそれを期待する自分は一体何なのだろう、と鳴海は笑う。
 それを見てライドウはやはり笑った。
 鳴海はライドウから向けられる想いが鬱陶しく煩わしく、どうして関係を持ったのかと問われれば、避けきれなくなっただけだと答えるだろう。それだけだ、それだけだ。
 「鳴海さん、自分は」
 ライドウは笑う。自分は何も知らぬというように笑う。ライドウが腕を動かすとき、鳴海が舌打ちをしそうになるのを知ってなお笑う。
 「気が違っていますか?」
 拍手喝采をして鳴海は答えそうになる。あぁ、もちろん。お前は狂ってるよ。だが帝都を守る上でそれは問題にならないだろう。ならばどこに問題がある。気が違っているか、いないか、違っていたとして、正気だったとして、何の違いがある。
 「正気だの、狂気だのの違いがお前にわかるのか?」
 馬鹿にしたようにそう聞くと、ライドウは太陽の光差し込む窓を背負って朗らかに笑った。鳴海は背筋に這い上がるぞっとした何かを感じたので(それが欲情の類なのか、それとも恐怖なのか鳴海にはよくわからなかった)なるほどたしかにぞっとするような美貌だ、と思った。
 見ほれそうだとも。
 「そうですね。わかりません。」
 葛葉ライドウはもうとっくの昔にどこかがおかしいのだ。何かが欠落しているのだ。埋める事が出来ぬならからからと回り続ける以外に何が出来る。責任など、背負いたくないのは鳴海もライドウも同じだった。
 「おれは お前が きらいだ」
 その言葉にライドウは机についていた指を動かす。理性的な冷たい声と裏腹な甘い口調で鳴海の名を呼ぶ。
 なるみさん
 何よりも浅ましい、と鳴海が思うのは
 そんなことをいってもむだです
 机の上に置かれたその白くしっかりとした指が、自分の首に置かれると想像したときの、背筋を這い登る快感だった。