がたがたとゆれるこの視界が自分の眩暈であったら良いのに、と少年は五度ほど願ったがそれはかなえられることは無かった。ゆれる視界はすなわち今自分が乗っている車が舗装されていない道路をかなりの速度で走っているからであって、その原因は主に隣でハンドルを握っている男にあった。少年はちらりと男の足元を見てアクセルが踏み込まれきっているのを一度目にし、それを忘れようと努めたが生来の記憶力のよさが少年にその記憶を手放すことを許してくれなかった。 「スピードを出しすぎです!」 「だって、これ以上速度落としたらつかまるじゃん」 「そうですけ…っど!」 男が急にハンドルを切ったため少年はがたんと、車の窓に頭をぶつける。男はそれを見て、うわ、大丈夫とひとしきりあわてたあとおざなりに謝ってまたひどく楽しそうに運転を再開した。後ろからは確かに自分たちを追う車の車輪の音が聞こえる。 ふと少年の耳に車の屋根にのっていたはずの悪魔の悲鳴が聞こえる。悲鳴というか、世にも情けないひ〜ほ〜という力の抜ける声が車の窓から聞こえてきた。少年が窓から顔をだし何事かと確認すると、相当な速度と急な回転のせいでジャックフロストが屋根から落とされたらしい。 「フロスト!」 少年がそのことに気づいて叫ぶのと、男が少年の腕を引いて車の中に頭を引っ込ませるのは同時だった。ぱん!と乾いた音がして、銃弾がサイドミラーを割る。 「頭不用意にだすと死んじゃうよ」 「じゃあ、スピードを緩めてください!」 「だからつかまっちゃうんだって」 男がやはり楽しそうに笑いながら、さらにアクセルを踏み込む音を少年は聞かないことにした。車はがたんがたんと激しく揺れ、これが眩暈だったらいいのに、と少年は思った。少年はすこし男のことを恨めしく思ったが、自分の悪魔は管から呼べば戻ってくるのだということをようやく思い出して、悪魔を自分の下に呼び寄せた。悪魔はぴよぴよと目を回しながらもはしゃいでいた。少年はひどく投げやりな気持ちで(男はそう少年が思っている間にも右に左にハンドルを切ることに余念がなく、少年の視界はまるで眩暈を起こしたかのようにぐらぐらとゆれていた)神様でもいたら助けてくれれば良いのにと思った。 「…あぁ…かみさま…」 「神なんていないさ」 男はやはり依然として楽しそうだ。少年はえぇ、もちろん、わかっていますよ、とつまらなそうにつぶやいた。銃弾がぱんと乾いた音を立てて、男の耳のそばを通過した。男はフロントガラスについた銃痕を眺めて、大声で笑った。 「いや、やっぱいるかもね」 「…もう勝手にしてください」 少年は諦めたようにため息をついて、それでも一応おざなりにこのゆれる視界が眩暈であったらいいのに、と思った。
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