こんな夢を見た。 そこは何ということも無いただの長屋町である。いくつもの長屋が軒を連ね、鎮守の森と呼ばれているらしい森を囲むようにたっている。その長屋町に一軒平屋がある。細長く小さな庭と、それに面した長い縁側、そして縁側のある部屋は畳張りでその上に浴衣を着た少年が目を瞑って横になっている。季節は夏であるらしく、太陽の照り返しが厳しい。少年はまるで少しでも涼を得ようとするかのように、じっとしている。よほど気温が高いのか、玉のような汗が少年の首から鎖骨を伝い、畳に染みを作っている。少年は浴衣をだいぶ着崩していて、かろうじて帯が、少年の体に浴衣をまとわりつかせているという風な様子だった。 そんな少年の様子をぼんやりと見ている男がいた。男もやはり浴衣を着ているが、少年の様に着崩している様子はない。しっかりと帯を締め、そちらのほうがむしろ涼しそうに見えた。しかし、畳の上に転がっているという事実は少年と変わらず、しかもごろごろと体を動かしては寝返りを打っているのでいずれ少年と同じように着崩れるだろうということは目に見えていた。 男は、今日は暑いね、だとか、客が来ないねだとか、カキ氷が食べたいだとか、つまらぬことを言っては少年の答えを待っているようだったが少年はそれに答えるそぶりはなく、時折男のほうを気だるげに見ては煩わしそうに頷いたり、手を差し伸べたりするのであった。男はしかし差し伸べられた手を取らずに、答えを待っているように思われた。 しばらくそのようにして時間がすぎた。空気を暖めているらしい太陽は決して沈むことなく、夏特有の気だるさを発揮することに余念がない。永遠にこの二人はこのまま畳の上朽ち果てるのではないだろうか、と思うほどになったころ玄関から鈴の音がした。ちりんちりん、と涼しげな音を立てるそれは空気を冷やし、また思いのほか大きく響いた。この庭では蝉が鳴いていない。男は、あ、客だ、といって少年をおいて涼しげな動作で立ち上がり玄関に向かったようであった。少年はその様子を見て、また目を瞑った。 畳の部屋からは客と男のやりとりはようとしてしれなかった。時折男の笑い声や聞き取る寸前で音になってしまった声などが少年の耳に落ちるばかりだった。しばらく談笑をしたのち、男が部屋に戻ってくると少年はどこから用意したのか餡蜜を食べていた。男はそれを見て微笑した。 俺にも頂戴よ、ライドウ と男は少年に向かっていったが、縁側の窓に寄りかかって餡蜜を静かに食している少年は男のほうを一瞥し静かに言った。 鳴海さん、食べられないでしょう、忘れたんですか? それは少年が初めて発した言葉であり、男は多少面食らったが、そうだったと思い直して少年に謝罪した。男は食物など取れないのであった。蝉が鳴かない庭は夏にしてはひどく空疎に思われた。時折また玄関の鈴がちりんちりんとなり、そのたびに男は客だ、といって立ち上がり玄関で話し込んだ。少年にはやはり、男が客と何を話しているのはようとして知れなかった。 日は翳る事を知らなかった。少年は廊下から涼しげな様子で歩いてくる男を見た。男は畳の上にごろんと横になった。男がなんど畳の上で体をよじってもその浴衣は何一つずれることは無かった。少年は不意に男の浴衣を乱したいと思った。それは何かの反抗のような気もしたし、ただ単純にすべてを暴きたいからだ、というような気もした。少年は男の浴衣の帯に手をかける。すると男はとても困った優しい顔で、あぁ、だめだよ、と制止の言葉を吐いた。 きっと後悔することになるよ 少年は、いいえ、知っています、と良く分からない言葉を吐きながら、男の浴衣をはだける。見たいのは背中だった。男の背中にはびっしりと何かでかきむしられたような跡があった。かきむしられた背中にはもともと何か刺青のような物が彫ってあったらしく、それは薄墨で書かれたように薄く背中をのたくっている。その上をまるで刺青を消すかの様に幾筋もの爪痕が刻まれていた。少年は驚かなかった。知っていたのだという気もしたからだった。少年の顔を見て男は笑った。本当に密やかに諦めるように笑った。 あぁ、だから、はがないでっていったのに 庭では蝉が鳴かない。もうすでに何もかも。
|