「…監督って誰?」 布団に横になったままの鳴海の疑問に、雷堂とライドウはくすくすと笑いあった。 「知らないんですか?監督は監督ですよ。」 ライドウの冷たい声に鳴海は頭の中の監督という単語を記憶の中から洗い出し始める。鳴海の頭の中での該当は一件しかなかった。つまり、工事現場の監督。一番最初の事件、バラバラ殺人で被害者になったダム工事の現場監督だ。 でもそれではおかしい。現場監督はすでに死んでいる。 「な、何の話?」 鳴海はもう一度疑問をぶつけたが、やはりライドウと雷堂は涼しげにくすくすと笑いあうだけだった。そんな雷堂達の様子とそれを怪訝に思う鳴海は明らかに食い違っていた。じりじりと鳴海はあせっていた。雷堂達が何を言っているのか、鳴海には理解できない。 「先生、最近バットを持ち出して、野球にも凝っている様子でしたし、監督も喜びますよ」 「…だから、ライドウ、監督って誰だよ?」 「監督は監督だ、鳴海」 くすくすとライドウと雷堂は楽しそうに笑い続ける。でもその顔は鳴海にはどこか歪に見えた。まるで、なにか他に行うべき事があるのに、それを隠しているかのような違和感。二人は顔を見合わせて涼やかに密かにくすくすと笑い続ける。それはゆっくりと耳から沁みこんで脳髄をけずりとっていく。まるで空気のように流れるそれは、あっさりと途切れた。 「あぁ、そうだ。お前にやらなければならないことがあったな」 雷堂の顔は笑っているのに、その瞳からはいつの間にか笑いが消えていた。あの日見た虚ろだ。 「な、何…?」 鳴海が恐る恐る聞くとライドウがまるで哀れむように言う。 「少しですむので、おとなしくしててくださいね、先生」 な、なにが、と鳴海は喉から声を絞り出そうとしたがうまくはいかなかった。ライドウ達は瞳を凍てつかせたまま瓜二つの薄く怜悧な唇だけで笑い続ける。喉からは鈴のようにささやかな笑い声が続いている。背中に氷柱でも差し入れられたかのように鳴海の背筋が凍りつく。ささやかな笑いは部屋中に充満し、景色をゆがめる。思えば朝から変だった、と鳴海は思った。 連続怪死事件の疑惑をぶつけたときの雷堂のあの静かな瞳と、そうか、という静かな言葉。あぁ、全くお前は本当に、仕様もない。 雷堂とライドウは鳴海の前で笑い続けている。くすくすと。一体何がおかしいのか、目の前の人間は何なのか、鳴海は訳がわからなくなる。 いつのまにかライドウが鳴海の後ろにまわって、鳴海を羽交い絞めにしていた。 「な、何の真似?」 「動かないで下さいね。危ないですから。」 ライドウは鳴海の耳元で、涼やかに笑う。暴れようとする鳴海を渾身の力で押さえ込む。口で言っても聞かないのをもうライドウ達は知っている。 「あまり抵抗しないでくれるとありがたいな」 雷堂は小馬鹿にしたように笑う。 「無理やりするのは慣れていないからな」 雷堂の言葉にライドウは目を細めて笑った。雷堂はポケットから小さな長方形の銀色のケースを取り出して、ぱちんと言う音とともに開いた。 「な、なにそれ??」 それには小さな注射器がひっそりと収まっていた。子供の頃に高熱を出して医者に行くと、必ず打たれたあの透明な注射器だ。ライドウは鳴海をひときわ強く押さえつける。焦ってうまく抵抗できていない鳴海に注射器をもって雷堂が迫る。針先はきらきらと光を反射して鳴海の目を指した。 「大丈夫ですよ。先生。痛くないですから。」 「な、何をするつもりなの…?」 鳴海は喉から声を絞りだしてそう聞く。雷堂は冷たい顔で答える。 「…お前を救う薬だ、といったら信じるか?」 「…は…?」 俺の間の抜けた返答に、雷堂はしばらく困った顔をして話し出した。 「お前は病気なのだ、鳴海。そしてそれは場合によっては注射一本で楽になる大したことの無いものだ。我らはお前を救いにきた。」 鳴海には雷堂が何を言っているのか理解できなかった。病気?救う?一体何のことだ。大体雷堂たちは俺を治すと言わずに救うといった。それはつまり、殺す、という事と同じなのではないだろうか。 そんな背筋の冷える疑問を肯定するように雷堂は笑った。 「大人しく受けてくれればすぐにわかるさ」 唐突に鳴海は黒猫の言葉を思い出す。あの二人には近づくな。死にたくないならな。鳴海は思う。こういうことか。こういうことか。くそ。殺されてたまるか。鳴海の耳元でライドウがささやく。 「…観念してください、先生」 まるでその言葉を合図にしたかのように雷堂は呆気の無い仕草で鳴海の腕をとる。その簡素さが鳴海には恐ろしかった。死刑を執行するときの厳かさなどない。日常のありふれた風景、行為であるから躊躇いなどないのだとそういわれているかのようだった。雷堂がもう片方の手を伸ばして鳴海の腕を押さえる。その瞬間世界は反転してひどくゆっくりと動き出す。 金属バットは布団の横にまるで寄り添うようにおいてあった。 |