殺害





 叔父を殺すのに必要なもの。
 誰にも目撃されることがなく、奇襲できるような隠れられる場所があって、すぐ近くに死体処理の穴をほることができる。
 叔父はライドウを祭りに行かせるだろうか。ライドウが祭りに行く。その間にあの男に電話をする。こちらは興宮警察署です。ライドウには祭りに出かけてもらわなくちゃ。ライドウを祭りに連れて行かせるのはタエちゃんあたりが適当か。たしかカヤちゃんの親戚には民生委員の叔母がいたはずだから、うまくやってくれるかも。
 ライドウは息抜きのつもりでみんなと祭りで遊んで居ればいい。楽しくあそんで、平穏だった日々を懐かしみ変える頃には全てがおわって居る。ああ、それが一番良い。
 結局タエちゃんに電話をしたら、もうライドウを誘っているということだった。俺が叔父を殺すために、そのために祭りに誘われたのではなく、純粋に楽しもうと思ってライドウを誘ってくれていたならそれはわずかな違いだがとても嬉しいことだった。
 これで明日、叔父を殺すだけだ。それだけで、ライドウを救うことができる。
  
 祭りの花火の音。もうみんなは遊んでいるだろうか。ライドウは楽しんでいるだろうか。
 小道を走っていくバイクにぶつかる。叔父のバイクが大きくバランスを崩す。たがて倒れ、バイクは砂煙を撒き散らしながらぐるぐる回って止まる。
 地面に放り出された叔父は突然何が起こったかわからないのか、しばらく呻き声を出しながら地面に蹲っていた。
 視界がせまくなって、酷く落ち着く。脳の片隅で暴れだす感情を抑える。叔父が呻いている。今、振り下ろせ。ほら、早く。ライドウのために。ライドウを助けるために。
 がつん、と後頭部に鉈を打ち込む。人間の頭蓋骨というのは思いのほか硬く、丸みを帯びているために刃がすべりやすい。案の定刃は横滑りする。男が苦痛で呻く。そうだそれでいい。少しでも長引く激痛を、けれど致命的な損傷を。男は頭を庇う前に、立ち上がり駆け出す。俺は舌打ちをする。正しい判断だ。ここに蹲っているよりかは生存確率が上がるに違いない。なんたって俺が持っているのは鈍器じゃない、刃物だからな。
 男は人気のない森の中へ逃げ込んでいく。少しでも異常な地形へ逃げ込もうとするのは狭い場所へ逃げ込もうとする鼠の本能のようなものだ。ちょうどいい。逃げ込んだ先が穴の隣だったら、お笑い種だ。是非そうしてもらいたいものだ。
 森の中は足場が悪い。それでも男は特になにに引っかかるでもなく走り続ける。うめき声も助けの声も上げない男に多少の疑問を感じる。ここで叫んで無駄と思っているのかもしれなかった。叫ぶことで消耗する体力を温存しているのかもしれない。男の頭からはだらだらとものすごい量の血液が流れている。このままいけばすぐに血液が足りなくなって膝をつくだろう。どちらにしろ俺に好都合だ。
 あぁ、お前は一体どこから現れたんだ。いないまま現れなければよかった。現れなければ、俺たちはきっと楽しくのんびりと日々を過ごしていた。今日のお祭りだって、みんなで待ち合わせて神社で遊んでいただろうよ。なぁ?露天を巡って遊んでいただろうよ。お祭りならではのあやしげな食い物の店を冷やかして、金魚すくいや輪投げや射的で景品を狙う。きっとタエちゃんがそれを勝負に見立てて、強制的に部活になって盛り上がっただろう。楽しく、穏やかな、暖かな生活。それが、あ、と気を許しただけで、落ちて粉々になってしまったこの現実。
 無言の鬼ごっこを続けていた矢先、森の大分奥で男は木の根に足を取られて転ぶ。そうさ、もう終わりさ。さぁ、死ね。
 雷がものすごい音をたててどこかへ落ちる。鉈を振り上げた俺を見て、男は冷たく笑う。何を笑っている。俺は憎しみをこめて鉈を振り下ろす。狙いは、頭。冷たく光る刃の間から男が喋るのが見えた。
 もう、おそいよ
 その言葉の意味を問いただす前に鉈は無常にも男の額にめり込み、そして男は一度大きく痙攣をして後ろに倒れた。雨がぽつりと頬を打ち、それがすぐに大雨になる。俺は空を見上げ、そういえばタエちゃんが今週末は雨がふると言っていたなと思い出す。どうして今こんな事を思い出すのだろう。
 ふと周りを見渡せばそこは死体を隠すためにほった穴からさほど離れてはいないところだった。運がいい。俺はため息をついて鉈を男の顔から引き抜く。ぱっくりと刻まれた傷はまるで口の続きのようだった。達成感も後悔もない。この男に対する怒りもなければ、ライドウを哀れに思う気持ちもなかった。
 ともかく男ののっていたバイクを片付けなければならない。幸いここは森の奥深くで人が立ち入る場所でもない。申し訳程度に男と鉈を茂みに隠し、俺はバイクの場所へ向かう。バイクは道の脇の草むらの中に倒れていた。雨に叩かれ、泥にまみれたその様子からはずっと昔からここに横たわっていたようにすら見えた。バイクは沼に捨てる予定だった。このまま乗っていってしまったほうが早いだろう。鍵はささったままだ、ペダルを踏み込むとハンドルのグリップをねじるとバイクは簡単に走りだす。雨が酷い。ひたすらに沼を目指す。ときおりちらほらと何組かの祭り帰らしい人々をみる。この雨だもんな、祭りは途中で終ってしまっただろう。
 土手を登りきると近くに小さな祠と、しめ縄のされた樹木。そして黒々とした沼が土砂降りを丸ごと飲み込みながらそこに鎮座していた。バイクから降りアクセルを思いっきりひねる、沼に向かって走るバイクに引きずられそうになるところで手を離した。バイクは想像していたよりもはるかに小さな水音を残して、ごぼごぼと沼に飲み込まれていった。
 今頃ライドウはいつ帰ってくるかもわからない叔父のために夕食を用意し、その味加減を怒鳴られないかと思いながら夜を過ごしているのかもしれない。けれど、もう叔父が帰ってくることはない。その姿に怯えることも、悲しまされることもない。…ライドウを俺は本当に救ったんだろうか。よくわからない。叔父はいない。ライドウはもう叔父に悩まされることはない。それだけが事実。それだけが結果だ。
 男のいた場所に戻ると死体はすでに大きな水溜りの中でぬかるんでいた。死体をひきずり、歩いてみれば比較的近くになった今日の昼間にほった穴に放り込む。どさりと鉈と一緒に死体は穴におちた。俺は濡れて柔らかくなった土をそこに置いてあったシャベルでかけていく。自分の感覚がどんどん鈍くなっているのがわかる。きっと今、誰かがこの現場を見ていても俺は気付けないだろう。もういい。それでもいい。ともかく今は死体を埋めきることだけを考えよう。確かに埋まったのを確認し、地面を平らにするためにシャベルであたり一面をならす。暗くてよくは分からないが、死体の手やら指やらが出ていないのを確認してシャベルをひねって三つに折った。小さくなったシャベルは容易に鞄に収まる。
 「…泥だらけだ」
 大雨の中で穴を埋めていたからか、体は泥だらけだった。俺はため息をついて、もう帰ろうと思う。そう終ったのだ。もう終ったのだから。このまま眠ってしまいたい。倒れこんで、全て忘れたい。でもだめだ。家に、帰ろう。のろのろと道路にでる。ここはライドウの家の近くだから俺の家は結構遠い。ぐったりとするが、仕方がない。目立たないために移動手段を徒歩にしたのが徒になったかもしれないなぁと動かない頭で思った。大体かさも持っていない。こんな夜中にどしゃぶりの雨の中を傘も差さずに歩く男なんて奇妙すぎる。俺だったらお近づきにはなりたくない。
 そんなことを思っているとずっと向こうの暗闇から、車が姿を現わした。まぶしいライトが俺の姿を捉え、鳴らされたクラクションで俺が道のど真ん中に居ることを知る。
 「…っ…」
 体は俺が思う以上に疲れていたらしく、言うことを聞かずそのまま溝に足をとられ、足首をひねり倒れこむ。轢かれると思ったが、車はがりがちっとハンドルを左に切り、車体を反時計回りに半回転してぎりぎりの所で止まった。運転席が開き、運転手が降りてくる。こんなところで何をやってんだ、と怒鳴られるものかと思ったがそうではなかった。
 「…誰かとおもったラ」
 聞き覚えのある声にうつぶせになっていた上半身を起こし、相手を見るとそれは俺に鬼ヶ淵の歴史を押してくれたあの怪しい男だった。
 「こんばんは。月の綺麗な夜だネ。先生。」
 月が見えるはずもない土砂降りの中で男は折り畳み傘を広げながらそう囁いた。顔にうすく浮かぶ笑いは、全てを見透かしたようで薄気味悪い。俺のしる人間の中で一番会いたくなかった種類の人間だ。男は明らかに俺が極めて異常な状態であることを認識しているようだった。それも当然だろう。雨の中かさもささずに(しかも祭りの夜だ)泥まみれで歩いているのだから。この状況から、俺が何をしていたかはわからないだろうが…もし叔父が失踪したと噂でも流れ結び付けられたらやっかいだ。
 「…コワイ顔だ。今から人を殺そうとでもおもってるのカナ?…まぁいい。早くそこからどいてくれなイ?車が動かせない。」
 俺はのろのろと立ち上がろうとするが、足の痛みで立ち上がれない。転んだときにくじいたようだ。俺の様子を見て少し思案し、助手席の扉を開け、俺に肩を貸してくれた。
 「家まで送ろウ。見捨てるのも気の毒ダ。ミーの優しさに感謝しなヨ。」
 自分で優しいというやつにろくな奴は居ないが、今はそれをありがたく享受することにした。家まで送ってくれるならやはりそれに越したことはないし、事実かなりありがたい。体はつかれきっているし、頭がもうあまり働かない。助手席にのり後部差席を振りかえると、誰のだが知らないが折りたたみ式の自転車が積んであった。
 「じゃいくヨ。先生の家ってどこだったかナ?」
 俺は自分の家の場所を簡単に伝える。随分家から遠い場所にいるんだね、と男は笑った後に、サイドブレーキを下ろしアクセルを踏み込んだ。そして路肩を利用してUターンすると速度を上げていった。
 「…られたかイ?」
 「…え?」
 突然男に話しかけられたが聞き損ねてしまった。男は上機嫌のままもう一度同じ言葉を繰り返した。
 死体、上手に埋められたかイ?
 息が止まる。比喩でもなくそれは本当に。喉の奥が絞まって息がすえなくなる。どうして知ってるんだ?この男は車でたまたまあそこを通りかかった。そして俺と偶然であってしまっただけに違いないのに。どうして。殺すしか、ない、か?…冗談じゃない。この男は殺せる気がしない。それでも、殺すか?この手で首を絞めるか。車の運転は出来る。心配なのは殺している最中に事故をおこすかどうかだろうか。
 その時不意に男が振り返る。
 「…冗談だヨ。ボケもツッコミもないのカ。相性悪いネ。」
 男はつまらなそうにそういうと、視線を前方に戻した。本当に冗談だったかわからないが、冗談ならそれでいい。どうせ騙しきれる相手でもない。それっきり男はしゃべらない。沈黙が車内を埋め尽くし、窒息を誘う。沈黙による眠気に抗えず、俺は眠りに落ちる。この男、生かしておいては色々とまずい気がするが、だめだ、気力が、ない。
 「ついたヨ」
 男の声にはっと目が覚める。どうやら眠ってしまっていたようだった。男は無言で車をおり、かさをさす。雨粒が傘を叩く音は相変わらず激しかった。くじいた足首を動かしてみるが、違和感くらいしかなくそんなに酷くはないようだ。俺は助手席から降りて家の前に立つ。
 「わざわざありがとう。もうここまででいいよ。」
 今は足首も大したことはない。この深夜、俺の家のまえだが、人影はない。いま殺してしまうか?なら、シャベルを組み立てるまですこし待ってほしい。殴り殺すのが一番いいような気がする。
 「…あの自転車、九十九のだろう?」
 時間稼ぎの言葉に、俺は失敗をしたのだろう。
 「どうして、そう思ウ?」
 前に見たと話すと男の視線が不意に鋭くなり、そして俺の瞳を覗き込んで高らかに笑った。
 「あの自転車が九十九のものだなんテ、おかしいとおもわないカ?」
 おかしい?とそう聞き返すと、男は楽しそうに笑う。
 「雛見沢には民宿なんて、ないだろウ?なら九十九は町に泊まってることにナル。」
 「…そうだろうね」
 「町から雛見沢までは、とても歩いて行き来はできなイ。バスも走ってなイ。せめて自転車はなくてはならナイ。」
 言われるまでもなかった。だから九十九は自転車に乗っていたのだろう。
 「九十九の自転車が車に積んであって、車に九十九が乗っていないなんておかしいだろう?そうしたら九十九は雛見沢で自転車がなイということになる。ありえないダロウ?」
 男はそう呟いた。九十九が雛見沢で自転車をもっていないということはありえない。だから自転車は九十九のものではない?ちがう、多分。九十九はもう居ないのだ。その思いを肯定するかのように男が俺の瞳を覗き込んで言った。
 「今夜、出会わなかった。」
 突然の台詞に頭が真っ白になる。会話が繋がらない。
 「何を言っている?」
 「今夜、であわなかった」
 俺が相槌を打てずに戸惑っていると男は薄気味悪くその短いフレーズを繰り返す。
 「今夜、出会わなかったんだヨ」
 吐き捨てるようにいう男の言葉に、背筋が冷たくなる。いま俺がこの男を殴り殺すしかないとおもっているように、男も同じ考えにいたっているのだろうことが分かる。この男とであわないほうがよかった。だがそれは俺にとっては朗報でもあった。俺がこれ以上触れられたくないと思っているように、男もまた触れられることを望んでいないのだ。俺と出会わなかったほうがよかったとおもい、それを提案しているわけだ。それはむげに断るべきではない。
 「…そうだな。じゃあな。」
 俺の簡潔な言葉に男は満足そうに笑った。男はそのまま車に乗り込み、自動車の窓越しに囁いた。

 つきのきれいなよるだね

 そうしてそのまま闇の中へ消えていった。ライドウの叔父を殺したのに、心には何の達成感もない。土砂降りの雨は視界を狭めていく。家に入ろう、そして風呂に入って寝よう。考えるのはそれからだ、もう疲れた。家の扉を開けるとふいに叔父の、最後の言葉を思い出す。もう、おそいよ。何が、遅かったのだろう。あの時はただバイクを早く処理することで精一杯であまり深く考えなかった。なにが遅いのだろう。だが、扉をしめると急速な安堵感に思考が流されていった。
 明日。もう全て明日にしよう。叔父は死んだ。それでいい。