人魚の涙 だってなぁ考えもしないだろう?あの助手が、あのお綺麗で皮肉屋で感情なんかまるでないかのような(本当はあるのだとしってはいるけれどそれでも)あの少年が、夜更けに一人で泣いているなんて、誰も想像できないだろう?だから俺は悪くない。(というかなんで俺に見つかるような所にいるんだろう)それでその時おれはなんとも愚かなことにそんな童話があったなぁとか考えていた。涙は綺麗なダイヤモンドで、それが欲しいがためにごうつく親父は人魚を泣かすんだ。いやこいつは人魚じゃない、わかっている。いくらおれでもそこまで頭は沸いてない、と思う。まぁ、あまり自信は無いけれど。そもそも今日は探偵社に還ってくる予定なんかなくてただたまたま終電に間に合ってしまっただけで今から佐竹のところに繰り出すのも気が引けるしさっきまでいたミルクホールに戻る気もしなくて、なんてたってさっき目の眩むほどの美人とわかれたばっかりだったからさ、本当にきまぐれに探偵社に戻っただけなんだ。それでなんの気配も物音もしないからきっとライドウはもう寝てしまったんだろうと思っていて、なんの気配りもなく扉を開けたらそこでライドウが泣いていた。 少年は泣かない。もともとあまり泣きたい年齢でもないだろうし(多感なお年頃って奴だ、なんて思っているのを知られたら殴られてしまうかも)それ以上にこの少年は感情の起伏が薄い。もしかしたらその無表情の下ではいろいろと感情が渦巻いているのかもしれないけれど、けれどそれは表には表れない。だから何故泣いているのかなんて、俺には分かるわけも無い。分かる気もない。 ライドウは泣いている。本当にただ泣いてる。人魚の涙はダイヤモンドじゃないけれど、その童話の挿絵の人魚のようにただダイヤモンドが自分の目から流れてくるのがものめずらしくてダイヤを眺めるような、自分の涙が珍しくてそれをみつめているようなそんな様子で目を伏せていた。(頭が沸いてるって?仕方ないきっとそれは月の魔力だ…あぁくだらない。)とにかく助手は泣いている。俺は困っている。涙はダイヤモンドに見える気がする。何故泣いているのか知る気にはならない。泣く少年は絵画のように美しい。そう、俺は困っているのだ、ようやく気がついた。 ライドウは俺がいつも座っているあの椅子に座っている。感情は、やはり彼の常なのだけれども読み取れはしない。彼はあまりにもいつも変わらないから時折打ち解けあおうとか何を思っているかとか考えるのを放棄したくなる。俺は大人気ないから、本当に嫌な事は我慢してまでやりたくないんだ。仮にもしもの話だけれどもライドウが無表情でまるで目から勝手に涙が流れてくるんですといった風に泣いていたら俺は多分見て見ぬフリをするし、泣き喚いていたり嗚咽を上げていたら多分慰めるかするのだろう。(でも結局そんな事は本当になってみないとわからないのだけれど) 彼は嗚咽の一つもあげない、けれど無表情ではない。その顔にはものめずらしさが浮かんでいるように思える。泣いている自分への驚愕?わからない、きっと今俺が驚いているからそう思うのだろう。空白は何より人を映す鏡となるとかそういう事に似ているのかもしれない。 で、ともかく俺は困っている。あぁ、もしライドウが女の子だったらこんなとき楽でいいのにな、と思う。違う性別ということは違うからだを持っているということだ。体が違うから理解できないのは当たり前でそれは時には緩衝材みたいになる。もしライドウが女の子だったら、そしたら俺はライドウを抱き寄せてどうしたのって優しく聞いて涙が収まるまで傍にいてあげるのに。でも悲しいかなライドウと俺は同じ性別で、なおかつ年も離れているからそういうことは出来ない。出来るのかも知れないけれどヤル気が起きない面倒くさい。 ライドウは目を伏せているけれど俺が入っていることにはきっと気付いていると思う。どこかへ行かないのは、行かないほど疲れているのか、それとも慰められたいだなんてありえないことを思っているのだろうか。(ありえない、ありえなさすぎる) あぁ。もう面倒くさい。ねぇライドウ俺は適切なことなんて何一つできやしないよ。今までだってそうだ。多分これからもそういうのが出来るのは本当に少ないと思うよ。人間は常にそうかもしれないねなんて悟るほどおごってはいないつもりだけどどうだかは分からない。こんな所にいるお前が悪いのさ。だから俺がどんな事を言ってもお前は俺を許さなくちゃいけない。というか許すべきだ。本当にただ一人で泣きたいのならお前は自室で泣くべきだったんだ、そうだろう? 「た、ただいま」 あぁ!あんなにぐちぐちと考えてライドウが悪いと思いながらやっと口にした言葉がただいまだけなんて、なんていう体たらくだ。酒で頭が回ってないのか、それとも動揺してるのか。いやいや俺はとにかく驚いているはずなんだよ、うん。 ライドウは伏せた目を上げることなく、ただ泣いている。俺はもう寝たい。眠くはないけれどこの状況を抜け出したい。やっぱり声をかけるべきじゃなかった。えぇ、ちょっと思いました。ライドウが俺にすがりついて泣いてくれるのを。普段は何もいわないその顔が歪むのを。その原因を話してくるのかなとか、ちょっと期待しました。あわよくばちょっとばかし破廉恥なことも。(破廉恥だって、笑ってしまいそうだ) 「あのさ、そこ、俺の椅子」 言葉が続かないのは何を聞いていいかわからないせいです。だってこの状況で聞くことなんて一個しかないじゃないか。なんで泣いているの、ライドウ?なんて聞けるでしょうか?聞けません。あの黒猫はいなくなってしまってライドウとの距離は縮まったような開いてしまったような、悪魔召還師の彼が泣くことがどのような事かは触れてはいけないような気がして(面倒くさくなりそうだから)だから聞けません。 子供は好きじゃない。なんにも見えてない。好きじゃない自分こそ何にも見えていないのか?いいやもう本当に。投げやりな気持ちで思う。投げた槍がどっかに当たってこの状況が動くならもう何だっていいよ。 「あのさ、もう今日俺眠いしさ、寝てもいい?いや寝るんなら早く寝ろよって話なんだけどさ。別にライドウがそこに座ってるからって寝られないわけじゃないよ?っていうかこんな夜更けに帰ってきてごめんね。もしかして夕飯とか用意してくれてた?どうせ俺明日起きられないだろうから朝飯はいらないから。うん、自分でつくって食べるし…さ…」 ライドウは相変わらず何も言わない。こいつ本当に生きてるのだろうかって思うくらい綺麗だし、動かない。でも目からは変わらずどんどん涙が流れていて、際限のなさそうなそれに俺が人魚を閉じ込めるごうつく親父だったら泣いて喜ぶだろうなとぼんやり思った。月明かりと動かないライドウと瞳から流れる涙と気まずい空気と…あぁ、眩暈がする。 もう寝よう。多分ときおりライドウは壊れてしまうんじゃないかな。それでいいよ。この子は時折壊れて、でもきっと明日になったらまた動き出すんだ。黒猫がいなくても、俺がいなくても。 「黙らないで下さい」 突然ライドウが喋る。俺はびっくりして聞き返す。今、何か言った?ライドウはやっぱり動かないけれどそれでも喋る。よかったこの子はまだ生きている。 「喋ってください、何でもいいですから」 え、うん、と答えて俺は喋ろうとする。でも何を喋ればいいのだろう。というかこの状況はやっぱり俺がライドウを慰めているのだろうか。泣く子には飴を、愛を、慰めをだなんて一体何の標語でしょう。 「…明日のご飯は、クロワッサンが食べたいな。バターをたっぶりつかったヤツで焼きたてのやつ。クロワッサンってそうとう作るの難しいんだってね、おいしいのは。それで珈琲はものすごく濃いやつ。濃くないとすぐに眠くなっちゃうからさ。」 ライドウが泣く理由を俺は知る気が無い。ゴウトがいたらもしかしたら知ることもあったのかもしれないけれどあの黒猫の不在は思いのほか大きいもので、俺は結構頻繁にライドウをもてあますようになった。 「カフェイン中毒ってあるんだってね。珈琲のみすぎると俺もそうなるかな。でも確かに一番最初に飲んでた頃より濃いのをのむようになったなって思うよ。これからもっと濃い珈琲を飲むようになるのかな。でも俺はライドウが入れてくれる珈琲が好きだな。濃さもちょうどよくて。」 心の底がひどく落ち着かない。ぐらぐらときしんで何故か涙が出そうになる。言葉は上滑りしてライドウには多分届かない。それは俺が悪いんじゃない。最初から上滑りするための言葉だからだ。氾濫する情報は感覚を麻痺させる。いつかライドウが言っていた。鳴海さん、自我は言葉で作り上げていけるものでしょうか?作り上げることなど出来るのだろうか。言葉はつむげばつむぐだけ本質から遠くなる。自我を言葉で作り上げたらそれはもうまったく別のはるかに遠い矛盾だらけの無数の面、になってしまうのではないだろうか。 「煙草と一緒でさ、どんどん耐性ができてどんどん聞きにくくなっていくのかな」 この子は時折壊れるんじゃないだろうか。言葉に疲れてしまうのではないだろうか。それをこうして際限なく俺が吐き出す意味の無い上滑りの言葉で、何かを無効にしようとしているんじゃないだろうか。それはデビルサマナーであるということや、ライドウを継いだということとは多分関係なく。 俺が吐き出す言葉はダイヤモンドじゃない。意味なんて無い。人魚の涙じゃなかった、美しい三女の言葉だった。金銀宝石、薔薇の花、美しい言葉と響き。違う、ライドウ多分違うよ。 そう思っても俺はライドウに何もいわない。ただ煙草の話をしている。煙草を吸い込むときの酩酊感や舌の痺れを話している。黒猫がいないから。多分俺も間違っているから。正しいことなんて無いから。ライドウの涙が止まる方法を知らないから。なんとでもいえる。ライドウ、でもきっと、お前が悪いんだ。そうだろう? 俺ではお前を慰められないんだ。だって黒猫ではないから。 |