鬼太郎が笑うので、あんまりにも笑うので、少々悲しくなってしまった。まぁその笑顔と言ったら、もしも自分が人間の母親で鬼太郎が息子で、芸能界に多分に興味のあるステージママだったらスカウトマンの目の前に引っ張っていきたいほどだった。 というのが不道徳だというのなら、それを見るのは自分だけでも良いなぁ、と思うくらいの笑顔だった。 だめだ、と私はため息をつく。あたしはどうにも例えを上手く使いこなせない。 ともかく鬼太郎はあまりにいつも通りに笑う。あんまりにも笑うから逆に悲しくなってしまう。そういうのも変な話だとわかっているのだが、ともかく思ってしまう。悲しい。 汚泥の中から生まれた都市だと誰かが言ってた臨海副都心。指を海岸線の走らせても地図の上の空虚な感触がするばかり。昔ここは海だったって母親が言っていた、ような気がする。そもそも生まれ故郷はどこだっけ?地獄だったような、この世だったような。いつ鬼太郎に出会ったんだっけ、忘れてしまった。ともかく今は鬼太郎が笑うから悲しい。 地図を広げては丸を付けていた時期が昔あった。昨日はここへ、明日はあっちへ、今日はあそこへ、妖怪ポストの手紙は途切れない。下らない事も、大事も、毎日毎日起こる。世界では厄介ごとが呼吸のように起こる。 それが解決すると鬼太郎は笑う。それは本当に模範的な笑い方で、この世にいやな事なんかなんにもない、というような笑顔だ。それはもしあたしが母親で子供がこんな笑い方をしたら生んでよかったと思うような、そんな笑顔だ。 悲しくなるのは勝手だし、鬼太郎は本当になんのてらいもなく笑っているのだろう。見出す自分の思い過ごしだとわかっている。そもそも不幸で居て欲しいのだろうか。鬼太郎の笑顔を見ると悲しくなるくらい、鬼太郎が好きだから、あたしは彼の母親になってもいい、と時々思っては頭を降る。あたしがなりたいのは鬼太郎の母親なんかではないもの。 汚泥の中から生まれた都市だと誰かが言っていた臨海副都心。化け烏の声と鬼太郎の笑顔、きらきらと瞬く夜の明かりはたわんだ闇さえ押しのけて、困ってしまう。照らし出された闇は麦茶みたいにさらりとしている。今日も平和で良いよねぇ、と鬼太郎は言う。あたしはそれに、本当ね、と答える。明日は何をしようか、と聞かれたから、山菜摘みに行こうよ、と私は言う。 鬼太郎は笑う。あたしは悲しくなる。 記憶がある。家の片隅で膝を抱えて、やつれきった鬼太郎の記憶。かたかたかたかた。かたかたかたかた。藁をしきつめた床に小刻みに刻まれるリズム。痛々しい彼の記憶。可哀想に、可哀想に、そんなになって可哀想に。 妖怪を、倒す正義の味方の、妖怪。その名もゲゲゲの鬼太郎。カラスが三度鳴いて、オケラが四度鳴けば茂みから君を助けにやってくる。正義の味方は必死に守る。助けを叫ぶ人から人へと毎日毎日大忙しで。だから誰もが気がつかない。いなくなったらどうするの?正義の味方は傷つき倒れ、そのとき誰が彼を守るの? 記憶がある。髪の毛がうねっていく記憶。怨念が体の隅々まで行き渡って、熱い思いは氷水みたいに頭の後ろをきんきんと通り過ぎていく。絡め取られた鬼太郎にあたしは叫ぶ。あたしだっておとなになれるのよ、コーヒーだって喫茶店だって。ねぇ、きたろう、ねぇ、きたろう。 なかった事にしてしまった事がある。ねぇ、きたろう。ねぇ、きたろう。舌足らずの自分の声なんだかとっても気持ちが良かったことがある。でもそんなものは押しのけて、ごめんなさい、としか言えないのがあたしは悲しい。鬼太郎の笑顔は強要する。関係を現状を現在を過去を、未来を。でもその笑顔は本当に、本当に宝物みたいに優しげだ。 そろそろわらびも採れるころ、と鬼太郎は言う。そうして笑う。でもきっと帰ったら妖怪ポストには手紙があるんだわ、とあたしは思う。 昔地図に丸をつけていた。明日はあっち、昨日はこっち、今日はあそこ、毎日毎日どこかに丸がつく。鬼太郎に会おうとするのにも一苦労だった。地図につけていた丸の形のシールがなくなったときあたしは地図を捨てた。最後に貼った場所は汚泥の中から生まれた臨海副都心。きらきらと輝く高層ビル群と、さらりと薄い闇。 あたしは待っているのかな。正義の味方が傷つき倒れて誰からも見捨てられるのを。そうしたら鬼太郎、そうしたら、そうね、山菜摘みをしましょうよ。そう思いながらあたしは答える。そうね、わらびが取れる頃ね。 |