年月





 1806年、お前は俺の元にやってきた。まだ小さく、自分が何かもわからないような子供だった。俺はお前を優しく育てた。俺はヨーロッパに君臨する王だった。強い軍を持っていた、お前の土地を踏み荒らし征服し占領し、お前を手に入れた。ああ、恋しいラインラント!ブファツルを焼き尽くし、四つに分断し、そしてお前はまさに転がり込んできたのだった。お前は賢い子供だった。聡明で優しかった。文学を好み、食事を楽しみ、絵画を眺め、歌を時折歌った。俺はお前を包み込んで育てた。お前の手は剣ではなく鍬を握るためにあった。お前の喉のは軍令ではなく歌を歌うためにあった。そのようにお前を育てた。お前は美しくかわいらしい子供だった。いずれ俺のようになるのだとそう鈴のような声で言っていた。

 1813年、お前は俺の元を離れた。俺の手元からあの悪友とすましたおぼっちゃんがお前を奪い去った。ヨーロッパの王という夢も泡のように消えた。俺は俺自身のことで忙しく、あまりお前のことを思い出さなかった。ただお前が悪友の手の元で、より大きく、より強大に育っていくのを苦々しい気持ちで見ていた。お前の手は剣をとるためにあるのではない。弓を引くためにあるのではない。お前の喉は大砲の号令のためにあるのではない。なぜなら、そうであれば困るのは俺だからだ。お前には優しい子供でいてほしい。
 だがお前は着実に力をつけていく。あの男の下で、お前の国を統一していく。鉄と血をもって。俺はあの子をついぞ見なかった。あの優しい子供は記憶の中でだけ、生きていた。

 1870年、俺はお前の兄にあった。手紙が送られてきたからだ。それにきれた俺の王様はお前に対して宣戦布告をした。戦いはあっけないものだった。短期決戦はお前の兄の得意とするところでそれをうまくやられたに過ぎない。

 1871年、お前は六十年ぶりに俺の前に現れた。俺の宮殿にお前は兄を伴って現れた。きれいに筋肉のついた均整のとれた体。瞳は青く凍てついて、やわらかい金色の髪はきっちりと撫で付けられて白い額が軍帽のつばからわずかに覗いていた。お前の瞳は無表情に凍てついて、俺を虫のように見下ろしていた。そこには俺に対する愛情も、優しさも、まして憎しみもなかった。隣の椅子をみやるのと同じ視線で俺を見ていた。お前の姿があらゆる鏡に映っている。お前はうやうやしくペンをとってサインをする。俺はお前の名を呼んだ。初めて呼んだ。お前の兄がつけた名を。俺の愛しいラインライト。その名はドイツ。
 ドイツ帝国。
 そう呼ぶとお前は一度目を細めた。白い手袋をつけたまま俺の頬を指ですっと撫でた。そうしてかすれた声でささやいた。フランス。
「ずっと会いたかった」
 お前は虫を見るような目のままでそう呟いた。
本当は仏独協力条約までやりたかった。