こんな夢を見ましてね、と日本がフランスに言ったのは夜明け前の一番暗い時間だった日本の酒は最初はぬるく暖まっていたが、空気に触れてもはや冷たくなっていた。日本の家は湿っぽくうっすらと寒い。ふとん、と呼ばれるそれもどうもフランスの身体にはかたく思えてならない。 それでもフランスは持ち前の愛想の良さで、どんな夢だと聞き返した。これがドイツならば律儀さから、イタリアならば好奇心からそう言うだろう。イギリスならばと考えてフランスは眉間に皺を寄せた。あまり楽しい想像ではなかったからだ。とはいっても、フランスにとってイギリスに関する想像のほとんどは面白くないものではあった。 「まぁ、もう朧気な記憶なんですがね」 日本は不思議なことに、フランスにその不機嫌な表情の理由を聞いてこなかった。人の表情を伺いすぎる感のある日本にしては珍しかった。日本は縁側に座って、冷め切った酒を小さな椀に注いでは飲んでいる。フランスは突然夜明けに訪れた日本が、一体何を話すのかに対してあまり興味を抱いてはいなかったが、目がだんだんと冴え始めていたので日本の話を遮ることはしなかった。すると日本は、するするとまるで紙を吐くか、あるいは本を読むようにしゃべり出した。 こんな夢を見ましてね、と日本はもう一度呟いた。 何でもよほど古い事で、神代に近い昔と思われますが、自分が戦をして運悪く敗北したために、生け捕りになって、敵の大将の前に引き据えられるんです。 この人がひどくイギリスさんに似ていましてね、と日本は袖で口元を隠して言った。フランスは、イギリスに?とすこし意外に思いながら答えた。 「そうなのです、こう、かがり火にちらちらと緑の瞳が映えて夢だというのに非常に綺麗でした」 夜明けの寒さがフランスの首を撫でる。フランスは一度ぶるりと首を振った。それを見て、日本はまた話し始めた。 その頃の人は皆背が高かった。革の帯を締めて、それへ棒のような剣を吊していた。弓は藤蔓の太いのをそのまま用いたように見えました。漆も塗っていなければ磨きもかけていない。極めて素朴なものでした。 イギリスさんは、弓の真中を右の手で握って、その弓を草の上へ突いて、酒瓶を伏せたようなものの上へ腰を掛けていて、その顔を見ると遠い昔どこかで見たようないくつもの顔に似ていました。驚くほどに傲慢さが彼の引き結んだ唇から感じ取れ、また同じくらいの聡明さがそのその目にはありました。私は捕虜なので腰掛ける訳にはいきません。草の上であぐらをかいていました。 イギリスさんはかがり火で私の顔を見て生きるか死ぬかと聞きました。これはこの頃の習慣で、捕虜には誰でも一応はこう聞いた物です。生きると答えると降参したという意味で、死ぬと答えると屈服しないと言うことになります。私は一言、死ぬと答えました。イギリスさんは草の突いていた夢を向こうへ投げて、腰に吊した棒のような剣をするりと抜きかけた。それへ風に靡いたかがり火が横から吹き付けた。私はこう、右の手を開いて手のひらをイギリスさんのほうへと向けて、目の上へと差し上げた。待て、という合図です。夢は不思議ですね、国も違うというのに通じるのですから。 イギリスさんは太い剣をかちゃりと鞘に収めました。 私は死ぬ前に一目友に会いたいと言った。イギリスさんは夜が開けて鶏が鳴くまでなら待つと言いました。鶏が鳴くまで友をここへ呼ばなければならない。鶏が鳴いても友が来なければ私は会わず殺されてしまう。 はっ、とフランスが笑うと息が白く溶けた。イギリスったら酷いね、とからかうように言えば、日本はそうですねぇと少し思案した。 「私は待って下さる分お優しいと思ったのですが」 ふぅん、とフランスはつまらなそうに答えた。 イギリスさんは腰を掛けたまま、かがり火を眺めている。私は草の上で友を待っている。夜はだんだん更ける。時々かがり火が崩れる音がする。崩れる旅に狼狽えたように炎が大将になだれかかる。眉の下でイギリスさんの瞳がぴかぴかと光っている。すると誰やらが来て、新しい枝をたくさん火の中へ投げ込んでいく。しばらくすると火がぱちぱちと鳴る。暗闇をはじき返すような勇ましい音です。 この時、友は裏の楢の木に繋いである、白い馬を引き出した。鬣を三度撫でて高い背にひらりと飛び乗りました。鞍もない鐙もない裸馬でした。長い足で太腹を蹴ると、馬はいっさんに駆けだした。誰かが縢りを継ぎ足したので、遠くの空が薄明るく見える。馬はこの明るい物をめがけて闇の中をとんでくる鼻から火の柱のような息を二本出して飛んでくる。それでも友は長い足でしきりなしに馬の腹を蹴っている。馬は蹄の音が宙で鳴るほど早く飛んでくる。友の金色の髪が吹き流しのように闇の中に尾を引いて輝いて見えます。それでもまだかがりのある所までは来られない。 すると真っ暗な道のはたでたちまちこっこうと鶏の声がしました。友は身を空様に、両手に握った手綱をうんと控えた。馬は前足の蹄を堅い岩の上にはっしと刻み込んだ。 その時、ぱぁん、と銃声がなりました。 友があっと言って、しめた手綱を一度にゆるめた。馬は諸膝を折る。乗った人と共に真向かいへ前へのめった。岩の下は深い淵でした。 蹄の跡はいまだに岩の上に残っています。銃を撃ったのは一人の男でした。この蹄の跡の岩に刻みつけられている間、この男は私のかたきです。 「この男が、ひどく似ていましてね」 日本が笑った。今度ははっきりとした苦笑だった。誰に?とフランスは聞いた。日本が聞かれるのを待っているような気がしたからだった。 「アメリカさんに、とてもとても」 空は夜明けの一番暗い時間を通り過ぎ、水平線の彼方はぼんやりと薄明るい。 「それは本当に夢?」 フランスの問いに、日本は声をあげて笑った。彼らしくない大仰な笑い方だった。 「もちろん、ただの夢ですとも」 日本がそう言うと、同時に鶏が鳴いた。 |