アリス士郎の終わらない放課後







 アリス、僕らのアリス



 夕焼けはいつも嫌な思い出しか連れてこない。寝起きのぼんやりとした頭で教室を見渡していた。真っ赤に染まった机や椅子は、嫌なことばかりを思い起こさせる。けれど、そんな思い出にももう慣れて、取り乱すこともない。
 衛宮士郎はぼんやりとした頭で首をかしげた。すると目の前の椅子に不機嫌そうに座っているフード姿の怪しい男も首をかしげた。なんだか気持ちの悪い感じで向かい合って沈黙すること数秒、男は口を開いた。平坦な声だった。
「起きたか、アリス」
 にやりと笑う表情は皮肉気で、少し嫌な感じだった。士郎は男のセリフを頭の中で転がしてみる。なんか変じゃないか?とだんだん頭から眠気がひいて、がたりとつっぷしていた机からあとずさる。
「お前、誰だ?」
 男は大層偉そうに椅子に座っている。顔には不機嫌さがありありと浮かんでいて、ひどく癇にさわる。灰色のローブのようなものをきていて(今時、ローブ!)褐色の肌をしている。全体的褪せたトーンで白い髪と薄い目だけが妙に目立っている。というか、どこから入ってきたんだ?と士郎は首をかしげた。ここは学校の自習室で部外者は入ってこれないはずだ。それにこんな妙な出で立ちの人間がいるのに騒ぎが起きないなんて。
「…え?」
 男は黙ったままただ皮肉気に笑っている。男の周りどころか、教室には自分達以外誰もいなかった。士郎は誰もいない教室の圧倒的な静けさにぞっとする。どうして、誰も、いない?
「…あ、あの、俺はもう帰るから…」
 そう言って士郎は男から離れて扉へ向かう。一歩二歩三歩、ドアに手を掛けた所で耐え切れなくなって振り向いた。
「…」
 ずっと自分の後ろに少し離れて気配がついて来ていたのだが、振り替えれば案の定、男がいた。衣擦れの音もせず、張り付く男の不気味さに、士郎が思わず後ずさると、教室の扉に背がぶつかる。何か用か?とか、お前は誰だとか、聞いても仕方のなさそうな疑問が頭の中をぐるぐると回る。男はそんな士郎の様子をただ楽しげに見ていた。
「何か、用でもあるのか?お前は一体だれだ?」
 男はその問いに少し驚いたように眉をひそめ、そして何かを考えるように口元に手をやった。それでも笑いが崩れる事はなくて、士郎はなんとはなしに不安になる。
「そうだな、私はネコだ。アーチャーとでも呼ぶがいい」
「ネコ…?アーチャーって」
 重ねて問おうとした声をアーチャーはさえぎっていった。表情はやはり皮肉気な笑顔から変わることがない。
「さぁ、アリス、シロウサギを追いかけよう」
「ウサギ?」
 士郎は素っ頓狂な声を思わず上げてしまった。ウサギ?アリス?追いかける?
「ウサギを探してるのか?」
「…私が探しているのではなくて、アリスが追いかけるんだ」
 男はアリスという言葉を口に出すたびに笑ったまま顔をゆがめる。
「アリス?」
「貴様だ」
 問いには打てば響くような速さで答えが返ってきた。アーチャーは顔をゆがめている。それは嫌悪感なのだという事に、士郎はようやっと気づいた。
「俺が?アリス?…人違いじゃないのか?」
 冗談にしても酷い、と士郎は思う。名前は全然似てないし、そもそもアリスと言ったら水色の服を着たかわいらしい女の子のはずだ。
「違わないな。腹立たしい事だが、私達はアリスを間違えたりはしない」
「けど、俺はアリスじゃないぞ」
 士郎の言葉に男は大げさにため息をついた。夕焼けが男の顔を赤々と照らしていた。教室は静まり返っている。
「…下らない問答を続けるつもりは無い。さぁ、アリス、シロウサギを追いかけよう」
 伸ばされた手は大きい。アーチャーはにやりと笑ったままで、瞳は冷え切っている。士郎は思わず手を振り払った。ぱしんと音は教室に響いた。何か、綺麗に保たれていたバランスを今の行動で崩してしまったのではないかと思う。
「消えろ、という事か?」
 そうだとも、違うともいえずに士郎は押し黙る。どうしてか知らないが、付いていってはならない、と強く思うし、なによりもこの状況の不可解さに対応できない。目線をさまよわせていると、男は奇妙に満足げな声で囁いた。
「貴様がそう望むのなら、衛宮士郎」
 大げさな言い方だ、と思いながらアーチャーに視線を向けると、足元から膝の辺りまで消えかかっていた。文字通り消えると思っていなかった士郎はぎょっとする。
「は?」
 膝から上はあるのに、下はない。あるとないの境界線がするするとあがって、やがて皮肉気な顔まで到達する。アーチャーは笑ったままだ。やがてその口さえ消えたというのに、声だけが聞こえる。
「さぁ、アリス、シロウサギを追いかけよう」
 かっとした。男は士郎がアリスなんて名前ではないのを知っていたなおそういうのだ。士郎は、踵をかえして扉を開けて、廊下にでる。ごめんだ、こんなずれた世界にいるのは気持ちが悪い。廊下に出てあたりを見回したところで絶句した。
「どういう…事だ」
 廊下には、果てがなかった。





ゆがみのくにのアリスパロ、アリス士郎、ネコ弓で。
弓が士郎をアリスというのは嫌味です。