風の音







 間桐凛は高いところが好きである。馬鹿と煙はなんとやら、という類ではないのだが、とりあえず高いところが好きである。なぜかといえば全てが小さく見えるからである、また遠くまで見渡せるからだといえる。凛は世界を見下ろすのが好きだ。見下しているのではなくて、単純に見渡すのがすきなのだ。そういう意味で彼女は彼女のサーヴァントの能力が羨ましいと思う。タイルまで見えるのにはさぞ酔いそうだが、どこまでも遠くを見ることが出来るのは悪くない。この煙でくすんだ街でもだ。
 厳しい顔で弓を引き絞る己のサーヴァントに凛は視線を送った。凛自信に今出来る事はない。彼女は不意打ちを嫌うが、しかしアーチャーの得手は遠距離からの攻撃である。遠距離からの攻撃は感づかれにくい事に利があるが、その代わりに威力が低い、というのをアーチャーは覆す。消極的攻撃で、敵を滅ぼせるなら良いに越した事はないだろう。近接もこのアーチャーはそこそこいける。トリッキーな強さを持っているが、使いどころはそれほど難しくはない。使い勝手が良いのだ。
 遠距離からの攻撃ならば、凛の魔術の出番はない。アーチャーはアーチャーと名乗るのだから弓を外しはしないだろう。防がれたのなら逃げればいい。それほどの遠距離だ。もちろん相手のマスターが令呪でも使ったのなら話は別だろうが、射るなら一撃必殺を、それも最大威力で。魔力が体から抜けていく感覚がして、アーチャーの背中がぎりっと鳴る。大きな洋弓に添えられた指は綺麗に爪が整えられている。今は英霊だから成長はしないだろうけれど、生きていたときは爪を切っていたのだろうかと考えるとこんなときなのに凛は笑い出したくなった。全くもって彼の姿には似合わないのだが、紅茶を入れたり居間を片付けたり朝食を作ったりする彼の性分を考えると妙にマッチして、思わず吹きだしそうになる。
 ひゅうひゅうと、風が強い。どこかの小さな隙間を風が全力で駆け抜けて、女の泣き声みたいな音がする。ひゅぉんと風がなる。嫌になる。とても寒い。放たれる剣は、必ず敵のマスターを射抜くだろう。そうしなければ、勝てない。生存能力が際立ったクラスはアーチャー、そしてライダー、ついでキャスターだろうか。三騎士のうち二人がマスターを失えば立ち行かないのは僥倖といえるだろう。それでも楽観視できるものではないが、勝ち抜けないというわけではない。
 風が強い。女の泣き声みたいだ。アーチャーの背中に力がこもる。手の内の力は抜け切って、きっと弓でまめなんて作った事がないだろう。それもおかしい。いつか教えてもらいたい、と思う。彼は弓道のことをねだると嫌がるけれど、彼の弓を構える姿は本当に見ほれるほど綺麗だ。
 女の泣き声みたいな風の音。悲しくはならない、ただ虚しい。この戦争がどのような形にしろ終わったとき、凛とアーチャーは共にはいまい。そう思うと虚しい。冷たい手も、最近は良いものだと思えてきた紅茶も、昼の日差しも、失うのかと思うと虚しい。甘えには際限がない。奈落に落ちていくように思える。うずくまりながらも耐える自信がなくなってしまう。でも死ぬ気持ちもなかった。だから虚しかった。
 剣のような矢は放たれた。なんて力の抜けた綺麗な形なのだろうと思う。あまりにもあっさりと放たれたので、凛はその矢には何かを破壊する力なんてないように思えた。矢が空気を切る音が耳に届く前に、きっと着弾するのに、耳にはひゅぉんと女の泣くような風の音。つづく爆発音が、風の音を掻き消して、戦争はまた一歩終わりに近づく。ひたり、と寄る影は禍々しくも懐かしい。

短い。