召喚





 屋敷の中はいつも暗くて闇に沈んでいる。私はその湿っぽくて粘ついた空気を吸って生きている。立ち込める空気はその湿っぽさから常に体温より低く、私を冷ます。まとわりつく流れに息も絶え絶えになる。
 普段でも暗くて湿っぽくて、どう考えても居心地の悪いこの屋敷の一番奥、一番最悪な場所に今私は立っている。どこまでも積み上げられた石の穴、一つ一つには蟲に食われ続けている人間の体、生きているのか死んでいるのかさえ見極めにくいそれは、しかし確かに生きている。あの胸糞悪いお兄様の母親だっているらしいが、それは私には関係のない事だ。
「素に銀と鉄。礎に石と契約の大公。祖には我が大師シュバインオーグ。降り立つ風には壁を。四方の門は閉じ、王冠より出で、王国にいたる三叉路は循環せよ」
 それをみていたお爺様は憎憎しげに舌打ちをする。当然だろう。聖杯戦争を勝ち抜く為のサーヴァントを呼び出す陣に何故トオサカの魔術を使わなければならないのか、お爺様は酷く心外に違いない。けれど私は五大元素の使い手だ、水属性かつ吸収のマキリよりこちらのほうが召喚に向いているだけ。お爺様の矜持を多少なりとは傷つけただろうが、生存という欲望の前にはそれすら掻き消えたらしい。
 冷たく湿っぽい、きちきちと蟲が鳴く地下室。石の上に描いた赤い魔術式。
 「閉じよ。閉じよ。閉じよ。閉じよ。閉じよ。繰り返すつどに五度。ただ、満たされる刻を破却する」
 かつん、石段を降りてくる靴音がする。研ぎ澄まされた神経はそれが誰かをはっきりと悟らせる。私が魔術を使うたび、劣等感と優越感をない交ぜにする、お可哀想なお兄様だ。
 「Anfang」
 魔術式へと流される魔力、私は一つの筒となり、部品となり、大気の魔力を変換する。痛みは魔術を行うときに生じる仕方がないものだ。魔力は異物、人の身体を通れば、体は拒絶反応を起こす。私は奥歯をかみ締めてただ部品であろうとする。
 「告げる」
 魔術式はエンジン、魔力はオイル。私はただの管。注ぎ込み、回すだけ。
 「汝の身は我が下に、我が命運は汝の剣に。聖杯の寄る辺に従い、この意、この理に従うならば応えよ」
 魔術式を中心として風が巻き起こり、視覚は働かなくなっていく。発動するそれは目には決して映らないもの。視界が魔力で満たされれば、何も見えなくなるだけだ。地下室のまとわりつく空気を風は押し流す。そうだ、それこそ、望んだもの。
 「誓いを此処に。我は常世総ての善と成る者、我は常世総ての悪を敷く者。汝三大の言霊を纏う七天、抑止の輪より来たれ、天秤の守り手よ」
 式は光り、私は手ごたえを感じる。架空要素で満たされた視界はそれでも、私にその姿を投げかける。式の上で、ただ傲慢にも見えるほど尊大に佇む赤い、赤い、赤い。
 「問おう、君が私のマスターか?」
 赤い外套をまとった騎士だった。私はその騎士に向かって了承のように微笑む。彼はふと眉をひそめた後に、尊大な印象のまま皮肉気に笑った。
 「サーヴァント・アーチャー、召喚に従い参上した。」
 声は乾いて鉄のように冷たい。蟲蔵の湿った気持ち悪さを駆逐するような声に私はうっとりとしそうになる。お爺様は何かを感嘆した声をだしているが、そんなものには気を配れない。私は笑いそうになってしまった。お爺様の為に、あの老人の機嫌を損なわないために、耐え抜くために、これからも耐えていくために、そんな目的はどこかに吹き飛んでしまった。
 「これより、我が剣は君とともにあり、君の運命は私とともにある。」
 ぐらり、と意識がかしぎそうになる。魔力が急激な勢いで持っていかれる感覚に眩暈を抑えられないが、あまりにもその声が乾いていて心地よいので、私は意識をゆっくりと手放したくなる。
 「ここに、契約は完了した」
 体がかしいで、彼に受け止められる。あぁ、よく考えたら、人に受け止められるのは久しぶりだった。呼び出されたアーチャーの肩越しに階段の上で立ち尽くすお兄様を見る。さぁ、虐げられる日々は終わる。こみ上げる笑いを、私はどこまでも覆い隠す。






 間桐慎二は間桐家の直系の長男である。くわえて、間桐の家は長く続く魔術の名家であった。本来魔術師の一族の魔術は一子相伝、十を作り上げ、一に凝縮し、子に伝える。子は凝縮した一を十にし、また一に凝縮する。そうして長い時間をかけて魔術を研磨していくのだ。
 間桐慎二は地下室の石造りの階段に足をかけた。ここは腐臭が酷いが、しかしそれももうなれた。最下層では、蟲に囲まれながら魔術式を起動している義妹の姿が見えた。慎二は顔をゆがめて歯をかみ締める。
 間桐慎二、まとうしんじ、は魔術回路を生まれながらに持っていなかった。マキリの血は日本に根付いた時から薄れ、そして慎二の父親の代で絶えた。うずくのは左足だ。左足であの生意気で従順な義妹の腹を蹴りたくてたまらない。義妹を痛めつけるとき、慎二は性欲に似た快感を覚える。もっと、もっと、もっと、もっと、まだ、足りない。

 そもそも全ては三年前に始まった。自分を保つための精一杯の抵抗だ。何から?おそらくは劣等感から。間桐は魔術師の家系であった、と幼いながら慎二は聞かされていた。間桐は秘蹟を伝える一族で、特別な存在であったのだと。それはすでに過去形であり、今後はただの人間として社会にかかわっていくのだと。
 それは慎二には許せなかった。容姿が多少人よりよかった事も、運動神経が優れていた事も、頭が悪くなかった事も、また家が十人並みよりも優れていたことも、災いしたのだろう。自分は、特別である、という思い込みから逃れる事が出来なかった。たとえ魔術回路とやらがなかったとしても、知識はあるのだ。記録はある。
 それは慎二にとって、優越感を満たすに足る特別だった。自分は他の人間とは違うのだ、と思いこんだ。科学の発達する世の中の、裏側を手にしているような気分だった。魔術師として欠陥品だろうが、選ばれた家の子供であることはたしかなのだから。
 その選ばれた家に、いつしか新しい子供が紛れ込んだ。身寄りのない少女を引き取って養女にしたという。それから彼には妹が出来た。彼は妹が気に入らなかった。間桐の家に異分子をいれたくなかったし、なにをしてもそつなくこなす妹がにくくて仕方がなかった。しかし、彼女は魔術の事など欠片も知らないのだ、という気持ちが慎二をとても気持ちよくさせた。そうだ、妹は何も知らないのだ。
 彼は書物をあさり、身につかない魔道を覚え、間桐の後継者を自認していった。間桐の書斎に入れるのは慎二だけだった。養子であり、後継者に選ばれるはずのない妹には書物を読む資格さえないのだ。
 魔術師の家系において、後継者はただ一人。それを慎二は知っていたから、妹と切り離されて育てられている事に何の疑問も抱かなかった。慎二は同じ家で、同じ両親に育てられながらも選ばれなかった妹を哀れんでいた。なんでもこなす、いけすかない顔の妹に時折全てをぶちまけたいほどだった。
 お前は何も知らないんだ、無知なんだ、と。
 そうすればその生意気ささえ可愛いものだった。むしろそれは羞恥からくるのではないかと、愛しそうになったこともあった。全てを知る、前までは。

 慎二は、風が巻き起こる地下を見ながら、舌打ちをした。その日もやはり同じく、慎二は祖父と妹が地下室にいるのをここから見ていた。
 偶然ここを見つけたとき、慎二は息を呑んだ。自分には知らされなかった部屋。自分には教えられなかった知識。自分には与えられなかった才能。その全てがここにあった。部屋の中央には妹がいて、周りには黒い虫と恐ろしい祖父がいる。父は、厄介者を見るような眼で入ってきた慎二を一瞥する。
 慎二が支えにしていたものは全て裏返ってしまった。特別だったのは自分ではなく、隔離されていたのは妹ではなく。哀れなのは彼女ではなく、見下すように同情していたのは自分では、ない。父は隠す事もせずに妹だけを扱うようになり、妹は平生と変わらない。
 「Anfang」
 妹の声がまっすぐに耳に飛び込む。慎二は笑い出したくなった。心底おかしく、殺してやりたいと思った。それは、全く以前と変わらなく、自分が事実を認めただけなのだと、わかってしまっておかしくてたまらなかった。

 「告げる。汝の身は我が下に、我が命運は汝の剣に。聖杯の寄る辺に従い、この意、この理に従うのならば応えよ」
 血のつながらない優秀な孫娘の涼やかな声をききながら間桐臓硯はこみ上げる嬉しさを抑え切れなかった。五百年間生き続け、間桐の家はかげながら見守ってきた臓硯にとってその道程は絶えず困難に見舞われたといっても過言ではなかった。だから臓見は決してうろたえる事を無様だとは思っていない。次にどのような行動を取るかが自分の命運を分けるのだと知っていた。そして、臓見は今うろたえに似たほどの強烈な感情に喜びを隠せなかった。この二百年、数にして四度聖杯戦争を見守り、手出しできずにいた臓硯はかつてない高揚を感じた。遂に傀儡が手ごまを手にし、聖杯はこの手に。
 「誓いを此処に。我は常世総ての善と成る者、我は常世総ての悪を敷く者。汝三大の言霊を纏う七天、抑止の輪より来たれ、天秤の守り手よ」
 欲を言えば最優のサーヴァントと呼ばれるセイバーが召喚できたのならいう事はないが、マキリの魔術の性質は正統を呼び寄せにくい。なに、間桐臓硯にとって、策謀は呼吸であり、策略は日常だ。肉親を手駒と思える冷酷さも、それを捨てられる冷静さも兼ね備えている。
 自らの苗床と変わらない、暗澹とした暗闇の安寧、蟲の蠢く石の床エーテルの乱舞する術式を抱いて確かに存在している。
 聖杯戦争はもとより、聖杯を得るために七組のサーヴァントとマスターが一組に残るまでつづける殺し合いだ。その席にはこの聖杯戦争のシステムを作り上げたトオサカ、マキリ、アインツベルンの三席が必ず参加できる事になっている。不幸な事に臓硯自身が聖杯戦争に参加できた事はただの一度もない。遠坂から貰った養女にマスターの資格が現れたとき彼は狂喜乱舞した。間桐凛は間桐臓硯の傀儡であり、人形である。人形が手にしたマスターの証はすなわちそのまま臓硯のものだ。間桐臓硯は初めて聖杯戦争における奴隷を得たのだ。
 「問おう、君が私のマスターか」
 さぁ、愛しの孫は一体どのカードを引いたというのだろう。

 幸せそうに笑う妹の姿は慎二にとって忌まわしいものでしかない。憎しみは奥歯を割りそうで、どうしてお前が幸せなのだと叩きつけたくなってしまう。風の音はおさまって、見えるのは赤い外套をまとった男だった。
 「サーヴァント・アーチャー、召喚に従い参上した」
 父が死んでから自分はますます空気でしかなくなってしまった。サーヴァントを呼び出すという一大事に、自分が来た事に誰も振り向かないのがその証拠だ。空気に誰が注意を払おう。そんなもの、元から見えはしないのだから。
 「これより、我が剣は君とともにあり、君の運命は私とともにある」
 自分でさえ見える光の中で、妹は小さく、こちらをむいて笑った気がした。その笑みは常に慎二にこう囁いているように感じられた。お兄様は結局、まきりしんじにはなれないのだ、と。
 「ここに契約は完了した」
 その証拠に、ほら、今この瞬間、サーヴァントさえ誰も自分の事など振り返らないではないか、と慎二は目を細める。






 衛宮士郎は夢を見ない、と間桐凛は聞いた事がある。それを聞いたとき凛は夢を見ないなんて便利そうだと思った。間桐凛は夢を良く見る。間桐の家に引き取られたのは冬の終わりだった。三月くらいのことで、桜が咲いているわね、凛、なんて母親が笑っていた。私は酷く嬉しくなって、桜、桜、貴方の名前の花は綺麗ねと喜んでいたような気がした。愛しい妹ははにかんで答えた。いいえ、ねえさん、ねえさんの方が綺麗。遠坂凛と遠坂桜は愛らしい子供達だった。互いに手を握り合って、あれが幸福ならばあまりにも柔らかすぎて糧には出来ない。糧にできないのならば、思い出す必要もない。間桐凛は何者にも憧れない。絶望は訪れない。世界は灰色だって?馬鹿みたいだ。世界は色鮮やかだ。それだけだ。

 自らが呼び出したサーヴァントと間桐凛が顔を合わせたのはサーヴァントを召喚した翌日の昼頃だった。凛は目を覚ましたばかりで、驚く事にサーヴァントはそれにつきっきりだったらしい。曰く、開始早々にマスターの体調不良で敗退するわけにもいかんだろう、と。言葉にこめられた棘そのものよりもむしろ日本語を喋られて驚いた。なにせ男は褐色の肌に白い髪、日本人とは思えなかったからだ。でも近づいてくると顔立ちは意外にアジア系だとわかる。すごく無国籍な雰囲気で、なんだか不思議だった。あと、さすがに英霊だけあって、格好も不思議だ。皮鎧なんてなんだか謎だし、赤い布は強力な概念を持っているみたいに見える。男自体がものすごい魔力の塊でちょっと触るのに躊躇してしまいそうだ。凛は人に触れるのも、触れられるのもあまり好まない。
「もう昼すぎだ。寝すぎると体を壊す」
 睡眠時間が長すぎるのには精神にもよくないからな、とサーヴァントにいわれるにしては少々不思議なことを言われて、凛は少し驚いた。サーヴァントは凛の様子を察したのか、こちらに伸ばしていた手を止めて、代わりにカーテンを開けた。東向きの窓は光を取り込む程ではないが、呼び込んではいた。薄い陽がおぼろげに部屋の中に差し込んでくる。そういえば、この部屋に居たときにカーテンを開けたことがなかった、と凛はぼんやり思う。もっとも光の入らない場所で相変わらず嫌悪感を催すような闇はわだかまっていて、それは凛には馴染んだものだった。
「えぇ」
 気分は決して憂鬱にはならないが、疲れていたのも事実だった。体はだるくて億劫だが、このまま寝続けても回復するとは思えなかった。手の甲をふと見れば、丸い形で一二三画。マキリの魔術である、サーヴァントを縛る令呪が見える。召喚儀式は上手くいったのだろう。窓のそばでたたずんでいる男の姿を見ればわかる。サーヴァント・アーチャー、召喚に従い参上した。声は鉄のようにつめたくて凛は安堵したのだった。
「アーチャー」
「なんだね、マスター」
 呼んだ名前にひどく違和感を覚えて、凛は苦笑してしまう。アーチャーは間髪入れずに凛に呼びかけに答え、それがさらに凛の苦笑を深くする。凛は自らの持ち物などほとんど持たない。確かに対外的に凛の持ち物とされているのも、学校の部活動の道具や、たとえばこの部屋も、兄や祖父なら容易に取り上げる事が出来るだろう。取り上げられるのは物そのものではなくて、おそらくは意味なのだと思ってはいても、凛は深く考えないことにしていたし、どうでもよかった。
「兄様とお爺様は?」
 聞きながら、凛は、けれど多分このアーチャーのサーヴァントは本当の意味で凛のものなのだろう、と思った。ただの使い魔ではなく、令呪によって使役される格の高い英霊は、マキリの魔術によって凛のものとなっている。暗くて醜い感情だ、と凛は思ったがことさら否定はしなかった。しても抱いたものは消えはしないだろう。
「マスターの兄なら学校へ行った。祖父は日中は苦手だと部屋に篭ったようだった」
 それを皮切りに昨日、召喚されたあとのこともかいつまんで話してくれた。凛が気絶するのを無理やり部屋に運んだのはアーチャーだった事と、兄の不機嫌な様子、祖父の気絶した凛を責めた言葉までを説明し(これには英霊を召喚したら気絶するのは当たり前だ、というアーチャーのフォローが入り、凛はどうしていいかわからなくなってしまった)、凛は暗澹たる気分になる。これは兄が帰ってきたらすこし荒れそうだ。
「そう、わかったわ、ありがとう、アーチャー」
 とりあえず、着替えるから部屋出て行ってくれるかしら?と言えば、了解したマスターと答えてアーチャーの姿は消えた。伸びをすると体の筋がぱきりとなる。昼過ぎまで寝ていたとは明日の言い訳を考えておかなければならないし、兄が何か言ってしまっているかもしれないと、ぼんやりと凛は考える。凛は間桐慎二を哀れまないし、軽蔑しない。彼と自分は似ているからだ。凛にはたまたま魔術回路があっただけであり、心のうちはお世辞にも綺麗とは言いがたかった。だから凛は間桐慎二を哀れまないし、兄には居場所を奪ったなどと謝らない。だからこそ相容れないのだろうけれど。
 そんな事を考えながら、適当なセーターとスカートを出して着込む。外を見れば日差しは穏やかで暖かそうだった。聖杯戦争は始まっているのだろうかと考えるが実感は出来なかった。そういえばアーチャーは現代の事なんてまるで知らないのだろう、そう考えると外に出るのはいいかもしれないと凛は考える。偵察もかねて、とかなんとか言えばきっとあっさり快諾するだろう。
 だるいがそれほど重くない体でドアを開け、リビングに下りる。相変わらず暗いがそれにも慣れてしまった。そのせいかは知らないが、凛も慎二も普通の人間より夜目が聞く。居間からは何かいい香りがしていて、お手伝いさんは今日来ていただろうかと考える。
「悪いが勝手に台所は使わせてもらったよ」
 そういってなれた手つきでカップとポットを運んできたのにはさすがに凛も驚いた。眠気覚ましにはちょうどいいだろう、と紅茶を注がれておとなしく座って手に取る。それにしてもなれた仕草で、とつもなく強い違和感を覚える。サーヴァントとは、英霊とはこのような事もするものなのだろうか。けれど、元は人間だもの、と凛は無理やり自分を納得させた。こういう事は得意だ。
「ありがとう」
 受け取って、口に含んでまた驚いた。紅茶ってこんなにもおいしかったのだなぁと思う。凛は紅茶よりコーヒーが好きだったのだかぐらぐらとしてしまう。ゆっくりと味わって飲みたい飲み物だ。ふと、アーチャーの方を見れば得心した顔をして頷いていた。
「な、何か変?」
「いや、紅茶を淹れて驚かれたのは初めてでな」
「そうね、私も驚いたのは初めてだわ。貴方、まるで執事みたい」
 凛の言葉にアーチャーはすこし驚いて、少し本分から外れすぎたかな、と苦笑した。凛はなんと答えたものか判らずに、そうかもしれないわね、とだけ答えた。
「わたしとしては嬉しいけど」
 凛の言葉にそうか、とだけアーチャーは答える。しばらく沈黙が続いて、リビングでは重厚な柱時計の重い秒針の音しか響いていなかった。
「ねぇ、偵察ついでに、外に出ようと思うんだけれど、どうかしら?」
 凛の言葉にアーチャーは眉を寄せて、厳しい顔をした。威圧感に体がびりびりと押されるが、嫌悪感を感じない分凛には楽にも思えた。
「いいがね、マスター。一つ聞きたい事がある」
「えぇ、なに?」
 その問いに凛は反射的に体をこわばらせたが、もとより召喚した場所があの蟲倉ではこれ以上何を隠しても無駄だろう。凛にとって僅かでも知られたくない事はあの倉にしか存在せず、また倉以外の現実は全て希薄にしか思えない。あるのはわかるが感触が薄い。だからそこで呼んだサーヴァント聞かれて困る事はなかった。
「君はこの戦争が終わるまで地下にでも隠れてじっとしているのが一番良い。戦う事に関しては未熟だとしか思えないからな。だが、仮にもサーヴァントを呼んだ魔術師ならばマスター自身で決めて欲しい。戦うか、戦わないかを」
 マスターの決定に、私は従おう。そういってアーチャーは凛を見つめる。もとより凛が拒否をすれば、祖父自身か、もしくは兄が操る事になろう。それはとても嫌だ。自分が呼び出した、自分の所有物だ。あぁ、醜い、反吐が出る。けれども凛はそれを否定などしない。しても意味はない。奪われたくないのなら、行動に出るしかないのなら、そして僅かでも自身が復讐を望んでいるかもしれないのなら。
「戦うわ、アーチャー」
 私自身が選ぶわ、とそう言って凛はアーチャーをまっすぐに見る。アーチャーはふむ、と満足そうに相槌をうってひざまずいた。
「これより、我が剣は君とともにあり、君の運命は私とともにある。名を、マスター」
 使い魔との契約は名前の交換を持って終了する。
「凛、間桐凛よ、アーチャー」
 声は、自分のものとは思えないほどに通っていて、自らは乖離しているような気さえする。アーチャーは笑って、凛の手をとりながら言った。
「では、凛と、そう呼ばせてもらおう」

 取られてた手は生きているものにして冷たくて、凛はひどくひどく安堵する。

とりあえず最初の召喚