不幸自慢
桜が咲いている。桜の木の下に少女が一人いた。藤色の髪は長く伸ばされて、喪服を着ていた。少女はやってきた男に気づいて、頭を下げた。表情は悲しんでいるようにも、喜んでいるようにも見えなかった。 「お爺様が死にました」 空虚な言葉だった。風に花びらが流されて、少女の髪に止まった。 「どんなお葬式にしたらいいのかわからなかったので、仏式でやってしまいましたが、本当はキリスト教の方がよかったでしょうか?」 喪主を努めるのは本来間桐家の長男である慎二だったはずだが、間桐慎二は家を出てしまってすぐには冬木には帰ってこれなかったらしい。もともと愛着のある人物でもなかったのだろう、葬式は遠坂家の当主として遠坂凛、教会の神父と、間桐家に縁のある一部の人間しか訪れなかった。 「あの間桐臓硯が死ぬだなんて、信じられないといっていました」 アインツベルンからは略式の使い魔が伝言を持ってきたらしい。イリヤスフィール・フォン・アインツベルンを見かけなくなってから、久しい。 「間桐を継ぐのは、私になってしまいました、アーチャーさん」 泣きそうな顔で笑っている少女にどんな顔をしていいのか、アーチャーはよくわからなかった。 告別式までは幾分か時間があった。 間桐臓硯がついに腐っていく体を引き止められずに溶けて消えたのは春の事だった。蟲によって肉体を食らい、体をすげかえてきた臓硯をサポートするのは間桐桜の役目であっただろう。間桐臓硯の、マキリの血筋はすでに臓硯の頃から衰え始めていて、そのために迎えた遠坂の養子は桜だった。 間桐臓硯は口にするのもおぞましい教育を桜に施し続け、彼女は間桐の胎盤となり、また歪な小聖杯としての機能も持っていた。例えば間桐臓硯などを拘束するのは、容易い事だっただろう。それだけの時間が、桜を引き取ってから流れていた。脅し、なだめすかし、逃げようとする臓硯を閉じ込めいたぶる事くらい、容易だっただろうとアーチャーは推測した。 間桐臓硯は、腐った肉体と魂であろうとまだ生きられる期間はあった。人の一生よりもうすこし長い時間くらいは残されていたとアーチャーは思う。だがそれは他愛の無い想像に過ぎない。それに、加えて言うならば間桐臓硯は必ずしも救うべき人間ではなかった。そう思って、大分壊れている、と弓兵は自分を笑った。思考の歯車が上手くかみ合わない。 「桜」 「アーチャーさん」 不幸自慢をしませんか?と間桐桜は言った。喪服はひどく彼女に似合っていた。 「私、止まってはいけないと思っていました。止まってはいけない、考えてはいけない、手に入るだなんて思ってはいけない。優しいものに触れてはいけない。暖かいものを望んではならない」 揺らいだ瞳で間桐桜は笑った。虚ろな目だったが、喜びに緩んでいた。今まで誰にもいえなかった事が堰を切って口から溢れ出ているようだった。誰も彼女に手を差し伸べなかった事実を弓兵は思った。彼女が手を差し出さなかった事も考えた。推測できる材料がいくつもある事を思い出し、救えなかったと嘆いた愚か者を思い浮かべた。 「耐えられなくなるから」 間桐桜は生きていて、大聖杯は壊された。彼女は聖杯機能を使うことも無く、泥に侵される事もなく、失意に呑まれる間桐臓硯の面倒を甲斐甲斐しく見た。天使のように優しい笑顔で、愛していると囁いていた。大事だからと、衛宮士郎に、そう嘯いていた。 「救われたいと思わなかったといったら嘘になります。先輩との時間を守りたいと思ったことも嘘ではありません。ばれたくないと願ったし、同じくらい、気づいて欲しいとも思いました。」 馬鹿みたいだけれど、と桜は呟く。 「白馬の王子様みたいに、颯爽と現れて、先輩は私を助けてくれるんじゃないかなぁなんて、思ってたんですよ」 すこしだけ、と笑うその顔は白い。春だというのに風は吹かない。間桐桜は首をゆるやかにかしげて、くすくすと笑った。春先の朝の気温は低く、冷え切った指がアーチャーの顎に触れる。 「でもやっぱり夢は夢ですね」 先輩はロンドンへ行きましたし、誰も間桐の魔術になんて気がつかなかった、私の苦痛には終わりが訪れて 「見知らぬ人と結婚して、間桐を継ぐんです、アーチャーさん」 「桜」 アーチャーは間桐桜の名を呼んだ。桜はその声に何かを見出しそうになって、考えるのをやめた。顎に触れている指先で、喉から胸へと辿る。こんなに立派ではないな、とか、こんなに背は高くなかったなどと考える。 「あなたはいつもそうやって、悲しい顔をして、助けてくれるんじゃないかって思わせてばかり」 ですね、と言いながら間桐桜は軽やかにアーチャーの体から離れて、笑った。そうして、不幸自慢はおしまいです、と結んだ。笑顔はもう虚ろなものではなく、ただの朗らかな、葬式にしては明るすぎる表情だった。 「私、逃げます。全てから、逃げるんです。そうして死にますよ、人間って、ねぇ、とても都合の良い生き物です」 「けれど、間桐を継ぐのだろう?」 「えぇ、継ぎます。先輩から、も、逃げて。あの人きっと、結婚したといったら嬉しそうに笑うでしょう」 勝手ですね、と笑ったのは誰に対してなのか、とぼんやりとアーチャーは思う。風が吹いて、喪服のすそを揺らした。間桐桜は髪を押さえて、悲しそうな顔をする。 「そんな顔、しないでください」 「……私はどんな顔をしているのかな?」 そうですね、と桜はしばらく考える。 「ランサーさんが見たら、きっと怒るような顔、してます」 ほら、と間桐桜は呟いた。遠坂先輩が呼んでいます。そういって、少しだけ不愉快そうな顔をした後、桜は深くお辞儀をした。 「本日は、お寒い中、そしてお忙しいところ、祖父の葬儀にご参列いただきまして、まことにありがとうございました。故人もさぞかし喜んでいることと思います。生前に賜りましたご厚誼に心から御礼申し上げます」 桜が顔を上げると、アーチャーは苦々しい顔をしていた。すこし、いたずらが過ぎたかも知れないと思っていると、弓兵はため息をついた。 「悪い冗談だな」 「すみません、あまり冗談は上手くないタイプなんです」 遠くから遠坂凛の声が聞こえる。 |
桜と弓についてはうだうだ考えたい事はたくさんあるのですが。
ちょっと嫌な感じの桜と弓。