主は言われる、「イスラエルよ、もし、あなたが帰るならば、わたしのもとに帰らなければならない。もし、あなたが憎むべき者をわたしの前から取り除いて、ためらうことなく、また真実と正義と正直をもって、『主は生きておられる』と誓うならば、万国の民は彼によって祝福を受け、彼によって誇る」

エレミヤ書 第四章 一節




ラマ・サバクタニ



 遠坂凛は夢を見る。
 闇の中でうずくまっている。手足がひどく痛む。息をするごとに肺が軋んで痛い。喉から競りあがってくるものが血液なのか吐瀉物なのかも曖昧で必死に口から出すまいと、痛む手で口を押さえればせき止められた液体が行き場を探して鼻から出る。鉄くさいから血液かも知れず、喉が焼けるように痛むので胃液かもしれない。凛にはわからない。おもわず掌を口から離せば、涎のようにだらだらと粘度の高い液体がこぼれた。闇の中で色はわからない、指の間をぼたぼたと伝って、地面に落ちる。
 一体何がどうなったのだろうとそんな思考さえ動かした腕から伝わる激痛でわからなくなる。頭が真っ白だ。目の前は暗闇だ。体のどこもかしこも痛くて、涙が湧き出てきそうだが、その為に引きつる喉さえ激痛を引き起こす。動きたくないのに、痛みに体が勝手に動き、それはさらに次の痛みをつれてくる。胃が波打っているのがわかるので、やはり嘔吐しているのかもしれない。うずくまる。口からは白痴のように何かがこぼれている。暖かく、饐えた匂いがして、鉄くさい。
「…ぁ…」
 声がした。自分の声ではない。低くてよく響く声だ。囁くような声の小ささだった。一定の調子で時折変化をしながらも絶える事がない。歌だ、という事に凛は唐突に気づいた。喉の痛みは増すばかりで、嘔吐はおさまらなかった。うずくまる体を激痛に苛まれながらも起こして、目を見開いて暗闇を見上げた。生理的な涙がかってに目じりから流れ、むき出しになった喉がひくついた。
 そこでようやくその歌が自分の喉から出ていることに気づいた。

 本当は見たくない事など、たくさんある。気づきたくはない事も。私は夢を良く見るけれど、よく見るからこそ夢について考える事はそれほど多くない。夢の中で世紀の大発見だ、これでもうお金に困ることはないのだ、なんて有頂天に思っても、目が覚めれば泡となって消えてどうにもならなくなる。もう二度と日の目を見ることもなく、頭の中でいくら探っても欠片しか探し出せないし、その欠片もすでに意味を見失っている。私は時々そんなものをアーチャーに重ねては、ひどい想像だ、と思う。現実を正しく把握する事と、推測を重ね続ける事は近しくなるものだろうか。思索の合間にはまり込んで、身動きが取れないとき私はほとほと途方にくれる。心の贅肉だ、とカテゴリーわけをしても、どこまでを切り捨てればいいのか分からなくて、曖昧なまま沈黙する。あの夢を見ると私は泣きたくなる。
 それは真っ暗闇で、激痛にうなされながらも歌っているという夢なのだ。胃は煽動してどこまでも気持ちが悪い。えづいてもえづいても、肝心の出したいものなど欠片も出てこない。喉の奥は痛くて、体はどこもかしこも痛んで、視界も利かずに、真っ白な頭で、勝手に口から流れ出る聖歌を意識の外で確認しながら。何かを恨みそうになる、という夢だ。最初それが何か全く分からなかった。。激痛は思考回路を焼ききって、連続した思考は出来ない。あともう一歩何かがあれば二度と回路はつながらなかっただろうとすら思った。なにか、ちらりと考えた事があるのだとは覚えていても、何を考えたのかは思い出せない。それは絶望ではなかった、ような気がする。あきらめでもなく、悲しみでもない。感情の名前を挙げてはそれを探る。喜び、怒り、悲しみ、嬉しさ?わからない。お手上げだ。私は思考を放棄した。所詮は夢の話だ。目が覚めれば泡のように消えて、欠片の意味さえ見失う。歌の意味や痛みの意味も、口から何がこぼれていたのかさえ私には分からない。
 でもそれは恨みにも似た何かだ。何を恨んでいるのかを考えて、安易に言葉にすがりたくて、神様、なんてものについて考える。神様。だって世界なんて恨んでいたらあまりにも脆弱で救われない。そうであったならどれほどよかったんだろうと思う反面、どこまでも歪にかたくなであってほしかった。だから私はかみさま、という柔らかで馬鹿みたいな響きについて考える。
 紅茶を手にして向かいに座るアーチャーにいつかの四日間で問いかけた事がある。神様なんているのかな。アーチャーはもうなんてことなく笑って、いるのだろうよ、と答えた。君が会うランサーやギルガメッシュの親は神だっただろうと。そう、その通りだ。私は沈黙する。でも私が言いたいのはそういう事じゃなくて、厳然と在る超存在のようなもの。人間ではなく人間をありとあらゆる事から救う事の出来る全知全能の神様、は本当にありとあらゆる救いをもたらしてくれるのか。愛は平等に注がれ、だからこそ人々は救われないのか。悪魔さえも神が生み出しのならば、恨まれる事さえ諾々と受け入れるのだろうか。
 私はゆるやかにため息をついた。それはあまりにも緩やかで、深呼吸にさえ見えた。アーチャーと目線があってふっと笑えば、彼は満足そうな顔をした。暖かい時間は思考を和らげて何もかもをぼんやりさせる。今がいつで、彼と自分がどんな関係で、これまでどうだったのか、これからどうなっていくのか。
 十月の空は遠く薄い。小鳥は囁く、おだやかな午後だ。私はアーチャーに何をしているのかを聞かない。半年間徐々に疎遠になっていった。そこにあったつながりが薄皮を剥がすように千切れていくのは非常にもどかしかった。はがれていくのは日常という共有だった。レイラインもパスも閉じ、ただの触媒となり、私は時々アーチャーに聞きたかった。何から逃げているの。どうしてそこにいないの。たった二週間の日常は非日常であったからこそ深く刻み込まれていた。つづく穏やかな日々もそこにいるのだと信じていた。だから、再契約はしない、と聞かされたときに納得しながらもどこか衝撃で、言い負かす事はできなかった。
 その日は夕焼けだったから、その青さをよく覚えている。記憶のどこかで、それはひどく赤い夕焼けで、彼のやすらかとも言えるような笑顔を見たのだとも知っていた。自分はそれを見て、どうしようもなくて、どうにかしたいと思ったのだけれども、やっぱりどうしようもないからせめて出来る事をと思って、いた。果てしなく終りのない繰り返しの(繰り返しであることすらわからないけれど)、どこかでこれからやることが彼の救いになるんじゃないかと、その笑顔を見て思ったのを知っていた。
でも言い負かす事の出来なかったその日はもう夕焼けは沈んで、空は薄青かった。そのことを考えると、神さまなんていないような気分になる。そうだ、と私は信じる。かみさまだなんて、あまい言葉は嫌いだ。
 十月の空は薄い。何かを隔てる川の色のようだし、あの日の夕焼けのようでもある。私はかみさまなんて、縋る言葉は嫌いだし、同じくらい彼を想っている。ねぇ、アーチャー、今度はお茶請けを作ってよ、と私は言う。とびっきり時間がかかって、とびっきり美味しい物がいいの、と。アーチャーは笑って、もちろんだとも凛、と答える。それは嘘ではないけれど、救いはどこにもない。私は私の為に救いを求めていて、そしてそれは神の愛のように遠い。

 あの夢の、恨みの出所は強大な自己嫌悪から来ている。恨んでいるのは神様でも世界でもなく自分なのだ。頭の片隅の回路はどこかちぎれて、道理のねじなんて一本くらしか残っていやしない。痛みにはなれているけれど、感覚はしょうがないからあきらめて、痛い痛いって99%麻痺した頭で考える。それで、それでも救えなかった人々が悲しくて、けれどどうしようもなく血だまりの中でうずくまる。
 弔いの歌ではなくて、ただ、もしも世界なんてものがあって、神様なんてものがいて、自分に力を貸してくれるならと信じて歌う。真っ暗闇で、かすれた声で、どうしようもない下らない祈りだ。彼は魔術師だから、本当は知っているはずだ。悪魔の存在も、神の限界も、魔術のどんづまりも、世界の外側の可能性も。全知全能の、恒久的な世界平和をのぞむ神なんていない事を。天上図、塀で囲まれたその外には苦しむ人々が描かれているのに。
 でも彼はねじがのこっていない頭で、激痛に苛まれながら、どうしようもない体を動かして祈っているのだ。涙は、生理的な涙なのか、見知らぬ人の為の涙なのか、私は知らない。ばかね、ほんとうにばかね。どうしてそんな事をしたの、と私は夢を見ながら思うのだけれどそれは彼の記憶だから絶対に展開は変わらない。そうして、アーチャー/エミヤシロウは言うのだ。わが死後を捧げよう。
 うずくまっている。指の間からぼたぼたと粘度の高い液体が落ちていく。饐えたにおい。暖かい、鉄くさい。私はうずくまる彼を、どこかを見上げひくつく喉を愛おしい、と、思う。思う以外に出来る事などないから、せめて悲しまないでいたいと思う。この手が何にもならないなら、せめて。夢の、暗闇を見上げたときのあの涙だけはどうか。どこにもとどかないものならばせめて、記憶に残したい、と私は願う。




エリ エリ ラマ サバクタニ / 神よ 神よ なぜ私をお見捨てになったのですか