座にて





 アーチャーは出来るものなら全てのものを遠ざけておきたかった。

 何も残っていない記憶は、ただそこにあった事だけを彼に伝えて、彼はそれを意識していつも困った。困ったからには何かするのが正常だとは知っていてもどうしようもない事だから放っておいた。放っておいたら、なくなった事も忘れるだろうと思ったからだった。磨り潰されていくのは記憶だが、記憶がすりつぶされるのは自我が消えていくのとどう違うというのだろう。
 新たに積みかさねられていく記録は、記憶にもならずに彼の裡にたまっていくのだった。恨みは見飽きたし、嘆きは胸を打つがそれを汲む事は出来ない、自らの手で滅んでいく人間を関係のない人々ごと消し去っていく記録がただ増えていくだけだった。増えていく、というのすら的確なのか彼にはわからなかった。
 最初からここには全てがあるし、それを知覚する時期が違うだけだ。起こったのはいつなのか、この前に知った記録の後なのか前なのかすらわからない。ただあるのは、自分が起こしただろう事、いつか起こすだろう殺戮の記録があふれているだけだった。本のようなそれをなぞる度に何かが消えていき、おそらく幸福であったと偽りなく呼べる記憶なのだろうとぼんやりとは思うものの、思ったときには既にすりつぶされて跡形もなかった。
 困ったな、と思うのが常だった。空白は日ごとに増していき、意識は曖昧になって、目を開けているのか閉じているのか、意識があるのかないのかさえ判然としない。ここには無数の剣と人類の自滅の記録と、壊れかけた意識があるだけだ。
 困ったな、と何度思ったか知れなかったが、取り立てて何かをするわけではなかった。何かがあったはずの空白に降り積もる記録は、出来の悪い雪のようだとぼんやりと思ったが、それもすぐに忘れてしまった。