狂人がゐた







 昔、家には一人の狂人がいた。

 少し変わった家に生まれ育った。変わったことがありすぎて、小学校ではなんとなく友達との話が合わなかった。ゲームの話をしていても、マンガの話も、おやつの話も、出てくる単語が時々わからなかった。「毎日決まった時間に帰ってくるお父さん」だとか「お母さんとおばあちゃんの話し合い」とか「気持ちの悪いお隣さん」とか「一日連絡が付かなくてお母さんが怒っている」とか、そういう言葉はそういう状態がこの世の中にあるのだと、感じさせた。
 そもそも家には母が二人いた。父は奔放に奔放を足して掛けて、さらに足してまだ足りぬくらい奔放な人で、一日二日帰らないのは当たり前の人だった。二人の母もそれを当たり前と受け止めているようで、当然それを日常だと受け止めていた。どちらの母が本当の母なのか考えた事はなかったし、父のことだからどちらの母も本当の母ではないのかもしれなかった。父は全てのものは皆で分け合おうと、分け合い幸せであればそれ以上に自分に返って来て、そして世の中は回るのだと考えていた人で、母たちはそれを誇らしく思っていたようだった。父が母たち以外に関係を持ち、生ませた子供がいて、その母が自分を捨てたのなら父は引き取ったかもしれないし、母も認めたのかもしれない、という想像が時折頭をよぎった。
 それくらい、変わった父と母たちだった。彼らと自分を見ていると遺伝などないのだと思わせた。彼らに比べて自分はあまりにもかたくなだった。柔軟ではいられなかった。「いつも同じ時間に帰ってくる父」や「連絡を入れないと怒る母」のほうが自分に似合うのだと考えたし、それは多分実際に当っていた。暖かい家庭で、とても愛されたけれど、人間には合う、合わないがあるのだ。父にも母たちにも自分は愛を感じ、憧れを持ち、あまつさえ羨んで憎み、そしてやはり最後には愛したのだけれど一緒にはいられなかった。成人する少し前に豪快に笑う父と幸せそうな母たちの前から穏便に去った。連絡先も知らせたし、どこにも住むかも、何を仕事とするかも全て伝えたけれど、それ以降こちらから連絡は取らなかった。向こうも時折手紙をよこすだけで、顔を合わせなかった。きっと父は、しょうがない、と豪快に笑うだろう。そのような自分さえまとめて愛しているのだろう。そういう人達だった。

 住んでいたのは狭いボロアパートの部屋だった。四人で住むには狭すぎた。台所、六畳の和室、窓が付いているだけの廊下のような狭い部屋。そこに一つコタツが置いてあった。随分昔の話だと思う。記憶の中の風景は今の自分のよりも随分と目線が低いし、丸く歪んでいる。魚眼レンズのように。白い頭の老人が虚ろな目をして笑っている。底なしの真っ暗闇。固まった関節、震える指。老人は赤にも近い茶色の目をしているというのに、ぼんやりとした膜がはっているように見えたのに、どこまでも底がない。生まれたときからあったもの。
 コタツは唯一この家にある暖房器具だというのに、六畳の和室ではなくて、その窓の部屋においてあったのだ。それも自分が小学校に入る前には和室に移され、そこで朝食や夕飯をとるようになった。便利だなと思ったし、どうしてそうしなかったのだろうと思った。母たちは楽ね、と言った。父は、コタツの上で麻雀の牌を弄りながらそうだなと嬉しそうに言ったのを覚えている。
 麻雀の牌。父は代うちで稼いでいる男だった。とても強いのだと聞かされていた。麻雀のルールを幼い頃にならい、父と母たちと四人で打ったことはあるが、あまり面白くなかった。父と母たちは面白そうで、実際の勝負としてはぐだぐだとしたものだったのだが、なぜかはじき出されたような寂しさを感じたのを覚えている。そういうものに、自分は楽しみを見出せないのだとその時知った。父たちとは違うのだ。父を慕う人々たちとは違う。それはとても寂しい事だった。父のような人間になりたくないわけではなかったからだ。けれどそれは、コタツが和室に移ってからの話だ。
 どうしてあの窓の部屋においてあったのだろう。小さく狭い部屋だった。光だけは存分に取り込まれるつくりに偶然なっていたけれど、なんとなく入りにくいものがあった。抹香のような匂いがする。かすれたもの、粉々になっていくもの、枯れていくもの、死の匂いがした。もっと取り返しの付かない、破滅のようなものがその部屋にはわだかまっていた。明るい光のその下の、暗い膿んだ影のようなもの。けれどあまりにも綺麗なので、どうしても目が行ってしまう部屋。入らずにはいられない場所。敗北感と共に部屋を後にせざる終えないような。
 どうして父はあの部屋であんなにも楽しそうにコタツに入る事ができたのだろう。一人で。一人で?

 父がほぼ毎日家にいた頃があった、と母たちが漏らしたことがあった。あれは少しだけ鬱陶しかったわね、いつもいないのが普通だからと笑って言ったのだ。そのときはもちろん父は居ずに、母たちと和室のコタツでミカンをむいていたところだった。
 あの時は、大変だった、と母は呟いた。やっぱり大変だったと。父は後悔していないように見えたけれど、それでも傷ついていたといった。父が傷つくような場面を思い浮かべるのは子供の自分には不可能だった。いつでも彼は雄雄しく巨大で優しかった。まるで象のように、強大だった。
 繊細なものを繊細に扱うのには向いていなかったのね、と。彼は知らずに繊細なものを繊細に扱う事の出来る人だから、意識したならばダメだったのだと。意味はわからなかった。コタツの天板にある小さな傷を自分は数えている。その傷は引っかき傷に似ている。

 今さらになって、考えるにようやく繋がる事がある。子供の頃の、感情の伴わない映像、老人の記憶。おぼろげな記憶と、あの小さな窓の部屋、うらさびしい明るい場所、死の匂い。父の背中。父はあの部屋であの老人と語らっていたのだ。
 老人、と今思い返してみれば彼はそれほどの年ではなかったように思う。白い頭も白髪だと思ったけれど、それにしてははりのある髪だったような気もする。間接は固まっていたのではなくて、動かす気がなかっただけではないか。彼はいつでもぼんやりとしていた、ような気がする。窓の外ばかり見て、意味のわからない話ばかりする。虫をひねりつぶす話、暗闇の中で見えた光の話、後を追ってくるものの話。老人の話はいつでも彼自身の感情のみが語られて、何が起こっているかはよくわからなかった。前後の文脈もつながらぬ。悲しい、寂しい、嬉しい、くすぐったい、面白い、沸き立った。時折呟いた。無念だ。
 出歩く事はあまりない、母たちがいつも付いているからだ。夜中、朝方、昼間、夕方。時など問わず、発作のように暴れる事があった。そういう時はかならず父がいて、殴られる分にはなにもしない。彼が傷つきそうならば縛り付けて止めていた。そうしないと家の中がひどい有様になるからだ。それも段々と数を増していき、あるときを境に激減した。彼自身に体力がなくなったからだ。父も、そういえば父がいつも家にいた日々というのはアレの事だったのかもしれない。
 子供心に彼が遠からず死んでしまうことはわかっていた。恐れたのは死の匂いではなく、もっと別の破滅の匂いだった。明るい部屋の、白い老人は狂人だった。父は何をあんなにも楽しそうに話していたのだろう。話すことがあっただろうが。彼に、彼の。そもそも彼はどうして家にいたのだろう。聞いたことがない。おそらく聞く事もない。あれは狂人だった。生まれたときから家にいて、いつのまにか消えていた。人間ではないと思っていた。あのように奔放な父の、奔放に奔放を足してかけてもまだ足らない父の、足をとどめる人間などいないのだと思っていた。

 狂人は醜く、無様で、ひどく美しく見えた。ぼんやりとした横顔と、光のはいった目の色。魚眼レンズで見たように歪んで記憶は改変に改変を重ねて、現実とはおそらく似ても似つかなくなっている。名前は、そう、名前は何だっただろうか。父は懸命とも呼べる必死さで、あんなにも彼の名前をよんでいたように思うのに、よく思い出せない。
 昔、家には一人の狂人がいた






まさかの福本。天赤?とはかなり言い切れない微妙な感じ。
損なわれた赤木しか知らない天の子供の回想。まだ続きます。