「最低の君を忘れない」の椿様にささげさせていただきました。
「シーズンバイオレンスで書いてみたいです」といったら快く了承してくださいました。
ありがとうございました!とても楽しかったです。
とばり
「あめ、」 夜の帳に承太郎がそうつぶやいたのをDIOはぼんやりと聞いていた。彼が外にでるときに常にまとっていたへジャーブも今はない。ただ薄く開かれた窓から、手のひらをだして雨に触れているようだった。 「すぐやむだろう」 「音がする」 館には夜と同様に、あるいは雨と同じように静寂が降りていた。ソドムとゴモラの快楽がつかれきった神経のように平坦になることもある。雨が降っているならなおさらだろう。今回は鳩が葉を持ち帰る保障もないのだから。 DIOは自分を世界の中心だと思っている。信じ込むことと真実というのはある程度以上の力を持つものからすれば同じなのだ。承太郎は夜の真ん中でいつもぼんやりとつぶやく。DIOはそれを熱狂の後の、静寂のように愛している。若干の誠実さの不足は、ゆるやかな拘束で補えると信じる。 「どんな音だ」 DIOの問いに承太郎は微笑んだ。すこしだけ首をかしげて、答えない。DIOは承太郎のそんなわずかな沈黙すらも、甘噛みをする猫のようだといとしい。愛しい、ということは相手を侮っているということに近いとDIOは理解している。今この瞬間、さてこの男の首に手をかけたら男は抵抗するだろうか。しても、しなくてもどちらも面白いとDIOは思った、DIOが思ったならば承太郎はどちらの行動をもとっただろう。 あるいは裏切り、手をひっかく、その後の甘やかな行為までも求めるとき、彼がわざと反抗するように。 「さぁ、雨に音なんてするだろうか」 「お前が音がするといったんだろう?」 DIOはベッドの上から立ち上がらない。常にある甘いにおいも今日はどこか薄く感じられる。雲が水を伴い空気を潤すからだろうか。地面に落ちる音がわずかに聞こえそうなのだが、DIOの耳に届く前にどこかに落ちてしまっているようだった。 「空気が新しい」 「世界は夜に生まれ変わる」 朝日の昇るその瞬間、すでに世界は新しい。 「産声もあげずに?」 「真に無から作られるものに聞かれる音などありはしない」 DIOの言葉に承太郎は窓から出していた手のひらを滑らかに戻して、窓をしめた。薄れていた部屋の密度がまたうっすらと上がっていく。承太郎は窓のそばから離れてベッドに寝そべっていたDIOに近づいて、その頬をなでる。夜の空気に冷やされたその手のひらは心地よい。DIOは目を細めて、うっかり閉じてしまいたくなる。 面紗をまとわない彼のその顔は整っている。 「お前は賢いな、承太郎」 承太郎は微笑んだ。生き抜くということは抜け目ないという事と同義だ。ここで言葉をかけないこともまた、DIOの愛しさを深くする。 隠れていると、隠しているということはだいぶ違う。承太郎は隠れているのではなく、隠されていて、しかも隠しているのだと彼(あるいは彼の傲慢に君臨する主人)は周囲に現す。ここには何か良いものがあるんだと。確実にあるが、隠している。墓の入り口から漏れる、光のようなものだ。その暗い穴に入っていくのは勇気ではなく無謀だ。大胆なのではなく無知なのだ。 「けれど、無知と大胆は紙一重だ」 「だが薄さと深さは無関係だ」 カフェのテーブルで、あまり長くはない時間、花京院と承太郎は話をしていた。それは自分たちの(あるいは花京院の)状況や感情をなぞらえた中身のない御伽噺、たとえ話の類だった。何かに迫られたならば、すぐにでも逃げられるぎりぎりの淵で、見えない暗闇に落ちるかもしれない恐怖を抱えながら、それすらも楽しんでいる。 「君の目の前で、誰かが谷にでも落ちて行ったの?」 承太郎は面紗の下でわずかに笑って答えない。花京院はそれを肯定と受け取って、珈琲に口をつけた。カフェの外では、日差しが影を濃くしている。熱気の立ち上る暇すらなく、人々の瞳は伏せられている。 「谷を渡るには何が必要だろうか」 花京院の問いに承太郎は黙って猫をなでた。ひざの上でまどろんでいた猫は白い手のひら降りてくるのに耳を動かして、その瞳を億劫そうに持ち上げた。そうしてあたりを見回して、花京院を認めると、またつまらなそうに首を伸ばして、彼のひざの上で目を閉じた。 「衝動と運。あるいは、十分な道具」 けれど何もかも不確定。明日は知れない。猫をなでていた彼は花京院の瞳を覗き込む。そのいっそ無国籍な美しさに花京院は引き込まれる。まるで、手招きをされているかのようだ。ほしければ、くりぬいて、入念に、丁寧に、かわいがらなければ。 「谷を渡る意味はあるか?」 花京院は笑う。 「それは渡るものが考えることさ。海の間を渡った人々も、追い出した人間にとっては愚かに見えたに違いない。君には」 愚かに見えるの?と、花京院は問うた。猫が甘える仕草で、承太郎の手のひらに額を押し付けた。承太郎はやさしげに笑う。 「そんなもの、人間だとも思えない」 承太郎の前におかれた珈琲は、一口も飲まれないままにただ冷めていく。 DIOは人を殺すことを躊躇しない。だから承太郎は何かが殺されていく様を少なくない回数見た。それはあるいは仕事上のトラブルで、あるいはただの私情、承太郎を奪うための、いろいろな理由があっただろう。だがそれは口の端に中途半端に上り、最後まで語られることなく死体と成り果てる。知ることのできない事情を慮るのはくだらないことだ。承太郎には床に打ち伏せられた死体は物体と変わりなく写る。事実、物体、というものが思考をしないものとしてくくられるのならば死体は紛れもなく物体であるから、承太郎の思考もあながち間違ってはいない。要はくくりの問題に過ぎない。 火の回りきった館は、夜の帳の中で美しい。もう面紗をまとっていない承太郎の炎に照らされた横顔に花京院は見ほれた。通る鼻梁も、やわらかにしか見えていなかった唇や、冷たそうな頤も、滑らかな首も、赤く照らされて美しい。まるで夜明けのようにも見えた。 花京院の抱く猫と同様に、だた燃え盛るそれを見つめている。 「君も飛び込むのか?」 猫のように、と、言外につぶやいた。夜の真ん中で承太郎はぼんやりとつぶやく。それを花京院は愛しいと思う。緑の瞳が、本当に、ぼんやりとぬれている。 「いや、まさか」 声には笑いが混じっている。それはあざけるようなものでも、安堵するようなものでも、蟲窓的なものでもなく、ただ純粋な笑みの気配だった。 「ただ」 純粋な気配というのはそれだけで狂気に近い。静かな興奮に包まれていた花京院はそれにあっという間に同調し、抜け出せない。あるいは彼の声のやわらかな気配から、美しい横顔から、奪い取ったその満足感から。 「良い香りがする、と」 思っただけだ、と承太郎は瞳を細めた。甘く立ち込めるそれは、夜の風にのってどこまでも飛んで、記憶すら奪っていく。猫は目を一度瞬きしてから、まるで今までのことをすべて忘れたかのように花京院の腕を抜け出して承太郎に足元にすがる。か細い鳴き声を耳にとどめて、承太郎は微笑んだ。 花京院はそれを眺めながら、ただ滑らかに静かな笑みの気配に手足ととられていた。スカラベに食われる盗人にもにているのかもしれない。だが全ては変わる。世界すら。 夜の帳の中で、一人は奪い、一人は死んで、一人はいまだ変わらぬ。 それでも世界は夜の帳に生まれ変わる。 |