09/07/14 インドの占い師は言いました。花承。 恋をしているのね、あなた、と占い師が水晶球を見たまま言う。埃っぽい路地裏で、日本円にしてみれば百円以下のお金を払って何をあてて貰っているのだか自分でも何をしているのかさっぱりだ。 「それは危険な恋ね」 「危険?」 危険と言えば今自分がこうやって一人で出歩いてる事実なんて危険以外の何者でもないだろう。一応自由行動は出来ても、単独行動はあんまりうまくないってジョースターさんにも言われてるんだ。それでもなんかこういう隙間みたいな時間があって、どうしようもなくて、ホテルの部屋に戻ればいいのに、そこに承太郎がいると考えるとどうしても二の足を踏んでしまう。 別に承太郎が嫌いな訳じゃなくて本当は逆なんだけれど、その承太郎を前にした自分のあんまりの無様さに、それは本当に無様で実際頭を抱えて今すぐ死にたいって思うことが何度もある、向き合うのが嫌なんだ。 誰にも心を許したことがない。誰にも進入を許したくない。というのに。 「身を滅ぼすような危険な恋よ」 「よく聞く文句だと思いますが?」 占い師が覗く水晶球はぴかぴかに光って曇り一つない。この占い師の目には何が見えているんだが、花京院は聞きたいが、そう言うとまた雑誌に載っているような占いじみた言葉を返されそうで、嫌みを言うだけに抑えた。 返す返すもどうして自分はこんな占いなんかしようと思ったのだろう。 占い師は雰囲気たっぷりに口元だけで笑った。といってもその占い師はローブを深くかぶっていて口元だけしか見えなかったからもしかしたら目も笑っていたのかもしれない。知るよしもないし、花京院は興味もなかった。 「違うわ、本当の意味で、身を滅ぼすのよ。あなたが恋をしている相手は随分と重い運命を背負いつつあるのね」 それはもちろん、そうかもしれない、と花京院は考えた。彼の背には彼の母親の命が押しかかっていて、それは多分相当に重いのだろう。 「年を経るごとにどんどんと重くなるわ。一人でもてるなんて到底思えないけれど、それさえかまわずに加速度的に重く過酷でどす黒いものになっていくわね」 それで、と占い師は水晶球から目を放して、紫色のつめを花京院に向けた。花京院はその勢いにじりとおもわず半身をそらす。 「あなた、その重荷の一つになるわ。ただの事実の一つよ。身を滅ぼす恋とはそういう意味ね」 「どういう意味だか、さっぱりだよ」 花京院は肩をすくめて、つまらなそうため息をついた。それから、もういいよ、といって札を重ねた。暗がりの路地からそろそろ表通りに戻ってもいい頃合だ。暇つぶしは充分にできた。未来は確約されていない。恐ろしいことに。 占い師は表通りへと向かう花京院の背に不思議そうに問いかけた。 「その割には、あなた、嬉しそうね」 花京院はくるりと振り返ってから笑う。嫌な笑い方をしていると自分でも思う。愉悦がにじんで表情にじわじわと表れるような、嫌な笑い方をしている。 「彼の、重荷になるなんて、それすら僕には分不相応なんだよ。嬉しがるさ、そりゃあね」 そして僕の重さに彼が息つくようなら死んだってかまうまい。恐ろしいことに、未来とはいつも不確定なのだ。 「その恐ろしさに息も出来ないと思ってたところだよ」 そしてホテルに帰っては自分の無様さにあきれるのだ。彼を目の前にして、何にもなれずどこにもいけない自分の末路が重荷ならばすばらしい。彼に背負わせるにはいささか汚れすぎてはいるけれど。 「業が深いのね」 占い師の言葉に花京院はもう取り合わずに、表通りへと出て、無様な自分を晒し上げるようなつもりでホテルへと足を進めた。 09/05/18 もののけ姫ニアパロ…サン徐倫と、たたら場の人花京院 徐倫と花京院が分かれたのは小高い丘の上だった。徐倫は花京院に一言、さようならといい、花京院はそれに答えて手を上げた。真っ白に滑らかな皮膚に徐倫は一瞬だけ視線を強めてから、駆け出すような勢いで踵を返して森の奥へと歩いていった。花京院は徐倫の背中をいつまでもいつまでも、それこそ彼女が木立に紛れて完全に見えなくなってからも眺めていたけれど、やがて風が冷たくなったのに気がついて丘を降りた。丘の下には湖があり、そこに張り出したようにあるまたもう一つの丘には集落が気づかれようとしていた。 そして二人はそれぎり二度と会わなかった。 となればそれは物語のすてきな終わりであったのだが、そうはいかなかった。二人のその別れは決して後味の良いものではなくて、互いを許せなくなった末にけれどどちらもこの地を離れられないが故に起こった決別であった。 花京院は本当に優しく、なぜなら彼の喪失を表すのに優しさ以外はどうしてもふさわしくなかったので、徐倫に一緒に暮らさないかと問いかけた。それに徐倫は本当に嬉しそうに、花京院の頼みを突っぱねる事が彼女の最後の意地だったので、それを断った。そうしてさようならと小高い丘の上で言ったのだった。 その地には豊かな森があった。かつて巨木の連なる苔むしていた暗がりの森はいまや下草のさやわかな明るい森になりはてていた。まだ生えて間もないような背の低い柔らかな若木がそここで揺れている。気の隙間では鳥がなき、獣がささやいていた。どれも小さく、人間に狩られる為に存在しているといっても言い過ぎではなかった。牙のある獣は去ったかあるいは死んで、いまは森の木の実を喰むかくらいのものであった。もののけの居る森は死に絶えたのだ。 森の空気はどこまでも澄んで風通しが良かった。それは本当に神の死んだ証だった。どこまでも深い場所はなく、溶けそうに湿った空気はなく、命生まれ出る原始の湿り気はもうどこにも無いのだった。 森の中心には湖の真ん中にそびえ立つ巨木があった。根元から三寸ほどの処でさけて、棘を中天をつきだしている。巨木の中心から水が湧いているかのように、折れたところから水がしみ出していた。そのくぼみで目をつむっていた徐倫はゆるゆると瞼を上げた。息を吸うと森の味がして、そしてそれは日に日に薄れていっていた。 湖に、誰かが入り込んだのを徐倫は感づいて頭を上げる。その手には石を削って作った短い剣があった。柄には磨かれた河原の緑石がはめてある。 徐倫は湖に入り込んだ人間の姿を見つけた途端に叫んだ。来ないで。そんなのは誓約を破っていると。だが人間は徐倫の事など意にも介さず湖へと足を踏み入れて巨木の元へと向かってきていた。 「なお、お前は暴くのか、人間!」 「君も人間だ、徐倫」 人間は、花京院は、そう言って足を進める。 徐倫は花京院の足を睨み顔を睨み、叫んで、剣を握りしめた。 「私が人間であろうとも、お前が人間であろうとも、墓を暴くのは盗人の仕事だ。そしてそれすら恐れ多い」 時代は、と花京院は呟いた。 「もう、命を扱う神などいない。僕は神の墓を暴くのではない」 花京院は湖を越えて、やがて巨木の生える小島へとたどり着いた。徐倫は巨木のくぼみから水をしたたらせおりて、花京院の目の前に太刀具下がっていた。 「お前が人間であろうとも、墓は暴かれるものじゃない」 徐倫は一度だけ山犬の名の形に口を動かし、そしてその獣がもういないのを思い出したのか口を閉じた。 「お前達は私から、何もかもを奪った。私の兄弟、私の父、私の生きる場所、私の意味。これ以上何かを奪わないで欲しい」 それは徐倫の、懇願だった。花京院は黙って聞いていた。彼も彼自身のわがままからここへ来て、そして願いを達するためにいるのだった。この出会いは二人のあの別れと同じ質のものだった。相反するために分かれて、相反するために出会う。 「ここが神の墓だ。遺体はあるな。僕は、会いたい」 花京院の言葉に徐倫は一瞬だけ泣きそうに顔をゆがめてから、ため息をついた。剣を握りしめたまま、じりと半歩下がった。 「そう、ここは墓。かつて彼の墓で、今また神の墓になった場所」 暴かないでと徐倫は懇願した。それは脅迫に近い懇願だった。半歩下がった足を蹴り出して、彼女は花京院の首に短剣を押しつけた。思ったよりも素早い動きをよけきれず、花京院は徐倫に巻き込まれて湖に落ちる。徐倫は必死で花京院を巨木に近づけまいと暴れ、最後には花京院の足にまとわりつくといった体になった。 何も食べていない身体で力は出なかった。 「やめて」 徐倫は叫ぶ。叫ぶ勢いで、けれどそれはただのつぶやきだった。 「やめて、花京院、やめて、お願い、暴かないで、もう嫌なの」 嫌だ、と花京院は真っ白なその手で巨木の根元を掘り返しだした。たった二つの手だったので、それは全く進まなかった。長く時間がかかると思われた。 「やめて、父さんの墓を暴かないで」 花京院は、ぴたりとその手を止めて自分の足に縋る徐倫を見下ろした。 「君の父親じゃないだろう。血はつながっていないんだから」 山犬の姫、神の娘、花京院は歌うようにつなげた。徐倫は首を振って、笑った。それはもしかしたらただの絶望の表情かもしれなかった。 なにをいっているの かきょういん 「わたしは ほんとうに とうさんのむすめよ かれとかれのつまのあいだにうまれた ただのにんげんなのよ」 徐倫が花京院の足にすがりつきながらそう言うと、口に湖の水が入り込んだ。そこにはもう、命生まれ出る原始の湿り気など、欠片も感じることが出来なかった。 09/02/22 四部承太郎と 暗い洞穴の中で承太郎はため息をついていた。見上げれば空は覆い被さった濃い灰色をしている。太陽は昇っていないのか光は差さないが、かといって夜でもない。己の手のひらがくすんだ肌色をしているのがよく見えた。 暗い洞穴といってもそこはどちらかと言えば広めの井戸のような場所だった。積み重なった石たちが切り立って積み上げられている。上れそうな箇所はなく、そこから出る術も承太郎は持っていなかった。スタンドが出せない。 承太郎は手のひらを二、三度開いたり閉じたりしながら、別にたいした問題ではないと直感的に思った。根拠はなかった。井戸の底は直径五メートルほどのいびつな円で、土がむき出しになっていた。土は踏み固められて冷たく、雑草の一つも生えては居ない。息を吸っても、何の感触も得られなかった。 ところで、首を絞めている。 承太郎は自分の下でぐったりと横たわる男の首を絞めている。あまり気持ちの良い作業ではない。男の顔は見えないが、首は太く、筋肉質でとても絞めにくい。のど仏の上に親指を重ね合わせて、押し込まれていく感覚に、このまま割れたりしないのだろうかと思う。 身体の下の男は抵抗をしない。承太郎も特別に、男に対して憎悪があるとか、恐怖やまして焦燥を覚えている訳ではない。これはただの単純な作業である。 男の手が、何かを探すように空をきって自分の頬に触れた。自分の身体が大分温かいのか、それとも男の体温が低いのか、彼の手はしめって冷たい。爪が頬にかすって、傷を作った。それに目を細めると同時に、男の手が地面に落ちた。 どうやら男は死んだようだった。 承太郎はため息をついた。やはり何度やってもあまり楽しい作業ではない。濃い灰色の空から、色味のない光がどこからともなく差し込んでくる。何度もなぞられた展開にそれでも心臓が冷えるのはなぜだろう。男はこの上もなく死んでいる。生前を思わせるとか、まるで眠っているようだとか、今にも起きてきそうだなどと言うことが一切ない。歪んだ顔、首の痣、見開かれた瞳はどこも見ていない。死体はやはり死体以外の何者でもないのだ。 それは自分の顔をしていた。 夢だ、と承太郎は思う。 自分を殺す夢をもう何度も見ている。 いつもはここで目が覚める。目が覚めた時には大体その夢のことなんか忘れている。夢見が悪かったのだろうかと、すこしだけ痛む頭に首をかしげてから、それでも起きればすっかりそんなことを忘れてしまう。 そしてまた夢を見て、ああ、あのときもこんな夢を見たのだと思い出す。スタンドもだせない、井戸のような暗がりで男の首を絞める。それは自分の顔をしている。 今回はその続きがあった。自分の顔をした死体の口から笑い声が響いてくる。ちょっとしたホラーだ。 いつのまにか、自分が首を絞められている。自分に首を絞められていた。相変わらず死体の口からは笑い声ばかりが漏れている。そろそろ息が出来なくて意識が落ちそうだと承太郎は思った。感触がリアル過ぎる。死体は笑う。 「あんたを殺そうってずっと思ってたんだ」 だってカキョーインは、もういないからね。 承太郎は少し驚いて目を見開いてから、酸素の回らなくなりつつある頭でぼんやりと納得をした。死体が陽気に、ラリホーと笑う。 承太郎は思わず笑ってしまった。死体がぎょっとして動きを鈍らせる。ゆるんだ手の隙間から空気が肺に入り込んで、酸素が回るのが解る。スタンド攻撃にしては、自分の感情は本当の夢のように抑えが効かない。ぼろぼろと漏れている。 「ああ、そうかい」 自分に馬乗りになっている死体に向かって膝蹴りを入れると、力で押されて死体はのけぞった。笑いが止まらなかったのは結局は安堵したからに過ぎなかった。 ああ、この夢は、自分の夢ではないのだという、浅ましい安堵だった。 |