2009/02/17 捜し物はハイエロ。代わりは承太郎。多分花承
 ばらばらに砕けてしまったので、好きな物から拾い集めることにした。晴れた空は好きなとき、嫌いなときがあった。運動会の日なんか最悪だった。木陰のない砂ぼこりの校庭に座らされて、面白くもない上級生や下級生の見せ物を見ている。上手に踊るわね、保護者を安心させるための。
 自分の母親が目にとまるともうダメだった。ああ、そんなに心配そうな顔をしなくても。別に、笑いあう友達が居ないことはそんなに寂しい事じゃないんだけど、わかってもらえない。本当に寂しいのは、笑い会ってもわかり合えていないことなのに。
 晴れているからいけないと空を睨む。雨でも降っていれば、授業になって、自分の母親のあの心配そうな顔を見ないですむって言うのに。

 ばらばらに砕けてしまったので、好きな物から拾い集めることにした。まずは自分の身体から。でも全然思い出せないのだ。苦しいと、へたりこんでも何も出来ない。好きな物って誰かに言ったことあったかな。さくらんぼが好き、相撲も見るかも。好きな色はきらきらした緑色。死んだのは17の時。
 それから、ずっと捜し物をしている。
「なにを?」
 自分よりも少しだけ年上の男が聞く。さぁ?と首をかしげる。
「ありがちな話。探している物が解らないのに、探していることだけを覚えている。こういうのって、案外目の前にあったりしてそれに気づかなかったりするんだよね、物語の中ではね」
 だから手を打っちゃおうと思うんだよ、君でね。
「いい加減だ」
「真実とか、本当のところ、なんて言葉はね、何の意味にもならないよ」
 そうかもしれない、と彼が言った。言われて僕も、そうかもしれないと思った。


 好きな物から拾い集めることにした。なにせばらばらだったので。かつて誰かが祈っていた。僕の祈りは光の速さを超えるかもしれない。なにせばらばらだったので、僕は彼にすがりついて泣いた。寂しいと、苦しいと、どうしていいのかわからない、君でもう手を打ってしまいたい。
 捜し物をしている。17で死んだときからずっと。
「なにを?」
「なにかを」
 漠然としすぎていると咎めるように言った。おいて行かれていると咄嗟に思ってそれが怖い。好きな物を考えようって思うけれど、嫌な思い出ばっかりだ。そもそもどうして死んだのか、本当はほとんど覚えていない。
「君でいい」
「俺で?」
「その言い方が嫌なら、君がいいよ」
 捜し物は、君でいいよ。
 彼は呆れて名前をよんだ。かきょういん、と耳慣れない響きにまた涙が出てきた。


2009/02/17 凍るくじらを読みました。徐倫と承太郎とくじら。
 凍った海の、氷河の隙間に挟まれた鯨たちの映像。か細く泣くような声は、本当にセイレーンのように響く。海から一度、脱出を試みた鯨が氷河を割ろうと身をよじると、まるで岩場が動くよう。
 きっと昔の人は、この鳴き声と現れる鯨の背中を岩場と勘違いして、セイレーンの伝説を生み出したのだろう。そうして、鯨は氷河の隙間で身動きがとれずに死に行く。あの三日間。
 父親のささやくような声。
 あのとき、私はどう答えれば良かったのか。

 言葉は簡単に言えば三つあった。

 いいえ、見たことがないわ、父さん。くじらはいつもテレビの向こうの生き物で、私は彼らの泳ぎ方だって知らないし、どうやって子供を産むかも、何を食べるのかも、ましてどうして潮を吹くかだって知らないのよ。
 
 ええ、見たことがあるのよ、父さん。父さんが見せてくれた図鑑や、父さんの話で、死んでいく鯨の話を聞いたことがあるもの。砂漠のどこかにある象の墓場のような場所に向かおうとする鯨の尾びれの力の無さを見ることがあると言っていたでしょ?私が見たことはないかもしれないけど、でも、とても綺麗だと思ったわ。

 ええ、今見てるのよ。あの死ぬ鯨がそうよ。たくさんの助けようとしている人たちがいるけれど、きっと助からないで、死ぬあの真っ黒い鯨がそうよ。海の向こうまで、泳いでいくのね。

 それからもう一つ。
 父さんは、もう戻ってこないんでしょ。

 鯨の鳴き声は、遠く響いて、女の声みたいに聞こえる。泣き叫ぶというものではなくて、ただ空気に響いて響いて、遠くなっていく。きっと元々は海の中で上げる声だからなのだろう。海の中で聞く、彼らの声はどんなものだろう。
 言葉はないけれど、彼らははっきりと意志を通して、生きていくのだろうか。徐倫は顔を上げて、自分の手のひらを握る父親の表情を見つめた。普段と何も変わらない、冷たい顔をしている。冷たい顔。そうだ、彼女の父親いつも、何も言わないでいるだけだ。
 もしも、と彼女は思う。
 もしも今、私と父さんでこの海中に沈んだら、くじらの声みたいに、父さんの心もわかるのだろうか。悲しい? 寂しい? せいせいした? それとも何も思っていないのかもしれない。深い青に沈んでも、冷たい水が耳に入って…どこまでも続く静寂。何も聞こえない。自分の鼓動すら。水の中で歪んだ残像に、鯨が力尽きて沈んでいくのが見える。

 それは涙だった。自分の涙だ。
 何のために流したものなのかを徐倫は考えなかった。この涙は決して父を責める要因にはならないのだと知っていた。むしろ涙を流す自分が気恥ずかしく、まだそんなものを父親に求めていた自分を思い知らされるだけだった。
 空気は冷たい。それが彼女と父親の最後の旅行だった。

 彼女は黙っていた。黙って何も言わなかった。そして時々、あの鯨の沈む夢を見て、あのとき何を言えば正解だったのだろうかと考える。冷たい水の、静寂を思い描くと同時に父親の横顔を思い出すことが出来た。何も感じていないように思えた横顔だった。そしてその考えは覆ることのない、確かな思いだった。

090204 中二病花京院。花京院はこういう事しないタイプだとは思いますが。
 息を吸って、吐いて。冷たい空気が肺の底まで届く。見ているのはあるかもしれない希望。彼らのアドレス帳の中身。あから順にはじまって、あかさたなはまやらわ。その中に、いますか。この世界に、僕を真に理解してくれる人間はいますか。
 花京院は笑う。口の端から呼気が漏れて、それはどうしようもなく間抜けに聞こえる。
 見ている人間がいないかと考えている。自分の肩あたりでまるで鳩のようにうずくまる、この緑色の生き物が見えると声をかけてくれる人間がいるのではないかと、そうして、自分に向かって笑いかけてくれるのではないかと考えている。笑顔の向こうが怖いのか。ああ、そうだ怖いのだ。
 目の前で笑う、教師やら友達やら、そうして真に愛すべき両親のその柔らかい表情に、花京院は恐怖していた。いつも、それは彼に一つの結論を考えさせた。人間同士が理解し合うことなど決してなく、その上で幸福に興じているのだと考える事が恐ろしかった。
「飛ぶ」
 んだ、と花京院は目を閉じた。コンクリートも空気も冷たかった。地面は近い。そうだ、地面はとても近かった。この足にかかる少しの力で飛ぶことが出来るのだと思う。階段が降りるときと同じだけの力でよかった。すとん、ぐしゃん。
 遺書など残してこなかった。意味がない。
 口さがない連中達が自殺の原因を勝手に推測すればいいのだ。いじめもなかった、彼はきっと頭がおかしかったんだと笑えばいい。間違っているのは世界だ、と花京院は食いしばるように思っていた。それはぎりぎりの妥協だった。正常と異常、正気と狂気、その境界線があるならば自分は最初から後者の側に立っていた。そう生まれたのだ。自分の頭が生まれつきおかしいならば、やはり間違っているのは世界だろう。
 世界全部が滅びればいいと思うならば、自分一人が死んだほうが早いのだ。世界全部がおかしいのならば、結局自分一人がおかしいのだ。
 階段を下りるときの軽い力のこめかた。街で一番高い建物の屋上。いちに、さんの浮遊感。

 やってきたのは、単純な恐怖だ。

「はっ…はは」
 ゆらりとゆれる。屋上の柵がしなっている。花京院は屋上の柵からハイエロにぶら下がって、空中でゆれていた。花京院は息を吸った。冷たい、肺の底までとどいて、涙が出そうだった。安心の、あるいは失望の涙だった。自分は結局それでも、この世界にとどまりたいと願うのだ。
 彼のアドレス帳のなかみ、あかさたなはまやらわ、の中の、たった一人を捜したいと願う。理解という言葉、幸福という証、信頼という絆、友人という言葉。何もかもをどうして預けられないのかと、考えるのに疲れてしまう。疑問を投げかけるのがつらい。答えが返ってこないとしっている。
「見えないものと真に理解しあうことは出来ない」
 ブランコに乗っているときのように風景が揺れる。ゆらりと美しい。このまま手を離したいと花京院は思う。けれど、出来ないのももう知っている。
 口の端から漏れた呼気は、やはり間抜けな響きだった。



2009/01/11 花京院で…なんか…イメージ小説?なんとなく花承

 目を閉じると冷たい床の感触があった。冷たいといっても不快ではない。体を起こす気になれずに、だからといって何をするにも気力がたりなかった。ぱかりと口をあけると空気がなだれ込んできたがあまりにも体温と同じ温度なので、吸った気がしなかった。体の感触は依然としてあった。しんとした場所なので、自分の鼓動の音がよく聞こえた。それはうるさいくらいで、どうして止めてしまえないのだろうと花京院は考えた。
 本当の沈黙というものを花京院は聞いたことがない。どんなに物音ひとつしない場所でも、自分の鼓動は肉体の内側から振動として聞こえる。こうして動いていなければ、指先が鼓動に合わせて動くのさえ感じ取れるような気になった。気のせいかもしれない。
 観念して目を開けると、片方はまっくらだった。片方には真っ白な天井が見えた。そこではじめて自分が仰向けになっていること気がついた。口の中には何かが入っていて、口の中にたまった唾液を飲み干すとわずかにしょっぱかった。あとはねばついた鉄くさい血の味がした。血は全く甘くないのに、どこか甘いような気がするのはきっとこのねっとりとした感じが砂糖の甘さに似ているからだろう。本当に甘い訳ではない。だが味覚自体が舌に受けた刺激を受け取った結果だとしたら、同じように感じるのだから血はやはり甘いのかもしれない。
 どうでもいいことだ、と独り言を言おうとして舌を動かしたら口の中に入っていた物にあたった。表面はゼリーのような柔らかさがあったが、芯の方は固い感じがした。丸い。指を動かして取ろうと思ったが腕が動かなかったので諦めた。瞬きをすると白い壁が明滅しているように見える。黒と白が入れ替わる。瞼の裏側が黒いだなんて変だ。目を閉じると訪れる暗闇は、そこに光があるかぎりはわずかに赤みがかっているのに、花京院の瞼の裏に訪れる暗闇は、真っ黒かった。
 比較の問題かもしれない。見続けて居たら目が痛くなりそうに漂白された白だ。漂白された白には、すこしだけ発行するような青がはいってるのではなかっただろうか。確かな事は言えない。
 首は動いたので、横に頭を動かすと、口の端からよだれがこぼれた。口の中に物が入ってる限り唾液は出る物だから仕方がない。ころんと自分の左目のあった場所から、眼球が転がり出たのがわかった。最初からそちらがわの視界がなかったために、何か入ってるのだとしらなかったが、それは眼球のようだった。眼球があるならば目が見えなければ困るが、今はもう天井と同様に真っ白な床に、転がっているのだから見えなくてもしょうがない。
 転がりでた眼球は、ころころと宛てもなくころがってから、花京院の目の前で止まった。緑色の虹彩をしていた。それをみて、もしかしたら、口の中の眼球もそうかもしれないと思って、吐き出そうと試みたら今度はあっさりと吐き出せた。それは、唾液にぬれて少し光っていた。ぼとんと落ちて、すこしだけ転がった。薄茶色だったので、自分の目なのだと思うと、なんだか花京院はつまらなくなった。
 変わらず体は動かなかった。首を戻す方が楽だが、見る物がない。眼球はゆらゆらと揺れ続けていたが、磁石のように反発して、決して寄り添ったりはしなかった。
「つま」
 らないな、と言おうと思ったが、そこまで声が出なかった。大分長い間自分は喋っていなかったらしい。喉の筋肉が大分衰えていて、声を出すのが難しかった。

 愛ならば金言です。成るのは生命です。伸びるならば枝です。枝は茶色です。森ならば濡れます。はたして為るでしょうか?
 いいえ、
 いいえ、いいえ。

 虹彩は波打った緑色で、濃淡がまるで森のようだと思った。眼球からまるで虫が這い出るように、茶色の乾いた色が見えた。ぱきぱきとプラスチックをおるような音とともに枝は部屋の中に広がっていった。周りが、白い部屋なので、それは画用紙に絵の具で線を引いているように見えた。大樹になる、と花京院は直感した。この部屋をつきやぶるような太い幹と豊かな葉をもつ樹になるだろう。根本には抜け殻のような眼球があった。自分の口に入っていた茶色のそれはどこかで枝に巻かれてしまったらしい。
 そう花京院が考えている間にも、緑色の眼球から生まれた幹はどんどんと大きくなっていった。やがてうろのように天井を覆い、白い光が葉の間を透けてきた。人工的な光であったが、花京院はそれが暖かい太陽の光か、あるいは天上からふってきた光のように感じられて緩く微笑んだ。
 樹の成長は止まっていた。ゆるやかな息を樹がしているように感じ取れた。冷たい床と違って、樹の表面はでこぼことしているが、暖かくしめって生命の匂いがした。水のような甘い匂いだ。
 しばらくまどろんでいると、また小さな音が聞こえてきた。今度はしゅるしゅると蛇が這うような音だった。でこぼことした大樹にいつのまにか、触手のような枝が這っていた。それはまっすぐに床を目指してすさまじい速度で増えては樹の表面を進んでいっていた。すぐに樹の表面は触手のような枝に覆われた。元の大樹と違って枝は乾いた茶色をしていたので、すぐにわかった。まるで、その樹を絞め殺そうとしているように花京院には見えた。
 やがて枝は床に到達した。どんどんと大樹を包んで、やがて樹と区別がつかなくなった。花京院の目の前に、つぶれた茶色の虹彩が落ちてきて、この枝がその眼球から出たと言うことが分かった。
 目をつぶると、鼓動の音がした。それを花京院は数え続けた。そうしていると眠くなった。だが眠ることはできなかった。たとえばこれは想像であるが、そこまで脳裏で呟いて、想像? と花京院は思う。想像を超える現実があるだろうか、そもそもその想像が現実と違う確証がどこにあるというのだ。
 水のような匂いはいつのまにか消えている。
 目を開いてわずかな枝の合間をのぞくと、中では乾ききった大樹が外側の樹皮に寄りかかって、枯れるところだった。よく燃えそうだと花京院は思った。大樹とて死ぬのだと。
 これは想像なのだけれども、たとえばあの眼球の持ち主を、殺してしまったのではないかという、想像。それとも、あの持ち主を今も殺しかけ続けているのではないかという妄想。
 名前が思い出せない。
 あったはずだ。その名前が。持ち主の、あるいは彼に向ける感情を。彼? と花京院は考えた。記憶を洗いざらいにしたかったが、途方もない悲しみがそこには横たわっているだけだった。それはまるで川か、あるいは泉のように清廉だったように思えたので、分け与えたいと思った。今、自分はそれほど不幸ではないと伝えたいと。
 誰に、そしてなぜ?
 花京院は思いだそうと考えた。宿り木が大樹を殺してしまったことに、絶望と変わらない怒りさえ抱いていて、それはすぐに悲しみになってしまうのだった。やがて宿り木も枯れて、元の部屋の様子に戻った。どこもかしこも真っ白で花京院は不意に眠くなり、瞼を下ろした。
 目を閉じると冷たい床の感触があった。冷たいと言っても不快ではない。口の中には何かが入っていて、唾液を飲み込むとすこしだけしょっぱい。

 果たして為るでしょうか?
 いいえ、いいえ。