承太郎が美しかったのは、そこにある彫刻が美しいのとさして変わらない事実だったと花京院は考えている。承太郎は膝をついて、ずっと天井を見上げているのだった。その後ろで艶然と徐倫が微笑んで立ち尽くしていた。絵画のように美しいと花京院は想った。承太郎のその姿は宗教がさながらで、後ろで立ち尽くしている徐倫はいうならば聖母か天使のようだった。 立ち尽くしていた、と表現するのが適当なのだろうかと花京院はしばらく考えてから、やはり妥当であると判断した。膝をついて天井を見上げている承太郎には黒い布が気まぐれに垂らされてその表情は見えない。 死んでいるのかもしれない、と花京院は思った。 承太郎は死んでいるのかもしれない。 すぅっと息を吐くと、埃っぽい空気が喉に触れる。それは想像だけでも恐ろしいほどの絶望を伴った。花京院は自分がもしも死んだ承太郎の後ろに立たなければならないのなら、やはり徐倫と同じに微笑んだだろうと思った。 たとえその微笑みの質が違ったとしても、自分は承太郎の後ろでやはり笑っただろう。 「内緒話の」 徐倫が立ち尽くしたまま、そういった。紫色の瞳は花京院を射貫いていた。徐倫が承太郎の娘だと花京院が思うのはこういうところだった。彼女は自分の為したことに後悔をしない。その痛みもすべてそのまま飲み込んで受け止める。 それを幸福としない。感情を感情そのまま受け取って、意味も正しく受け止めて、幸せに変えもしないで笑うのだ。 「未来は実現したのよ、花京院」 徐倫はそう言って、承太郎の首に腕を回した。承太郎はぴくりとも動かない。徐倫の腕は女らしく細く白く、たおやかだった。その手は本当は花を摘むためにあり、父と手を繋ぐためにあるはずなのだろうと花京院は思う。 「もしも、承太郎が君の物になったら?」 徐倫は笑みを深める。慈愛の笑みだ。聖母の微笑みをしている。 「もしも、父さんが私の物になったら」 花京院は俯いた。足はちゃんと木製の傷んだ床についていた。暗幕が垂らされている、と花京院は思う。穴の開いた暗幕から光が漏れて、すぅっと降りてきている。希望のように思える。思えるだけだ。 「花京院は花束を持って祝福してくれると言ったわ」 「そりゃあね」 花京院は肩をすくめた。 「だって承太郎はいつでも君の物だもの、徐倫」 「そうかしら」 埃が光の道筋を照らして、閉ざされた劇場の暗幕の隙間を縫って落ちてきている。的はずれたピンスポットのようだな、と花京院は思って乾いた笑いを漏らした。 「そうだとも、徐倫、承太郎はいつだって君の物だったよ」 「だって父さんは帰ってこなかったんだ」 花京院は沈黙した。徐倫にはそれが花京院の肯定に感じ取れただろう。花京院は承太郎がなぜ帰らないかを知っていた。理由などいくらもいえる。たとえば徐倫の誕生日の時、なぜ帰らなかったか。三年前のクリスマスも、徐倫の母の誕生日も、なぜ帰らなかったか花京院は一つ一つ説明ができた。覚えているからだ。 それを説明しないのは、やはりただの意地の悪さだろう。 「今や承太郎は君の元に戻ってきたじゃないか」 徐倫は自分の細い腕を動かない承太郎の首にまとわりつかせながら眉をひそめた。眉間の皺がよっていくのを見ながら、花京院は徐倫は承太郎に似ているな、と思った。 絶望が花京院を襲わないのは、それがあまりにも圧倒的だったからだった。あまりにも大きく、まるで生まれたときから自分のそばで絶望が寄り添っていたのだと錯覚した。 「これが」 徐倫の言葉は嫌悪の響きしかなかった。 「こんなものが父さんだったというの」 「こんなもの、と君が思うならば、それは僕にくれよ」 「嫌よ」 花京院にはあげないわ、と徐倫は歌うようにいって、腕に力を込めた。 「花京院にはあげないわ、こんなものでもあげないわ。父さんの形をしてるものは全部私の物よ。花京院にはひとかけらだって、渡さない。触らせない。話しかけさせもしないし、本当は見てもほしくない」 「埒のあかない話だな」 「どっちが」 徐倫が吐き捨てた。 花京院は笑った。 朽ちかけた劇場で、的はずれた光が舞台の上を照らしている。徐倫と花京院は同時に息をすって、同時に口を開いた。 ところで 「殺したのは君か?/花京院?」 徐倫は承太郎の肩に手のひらをおいて、力をこめて反動をつけ舞台を降りた。ぐらりと承太郎の身体が暗幕ごと倒れていく。花京院は傷んだ床を蹴り抜いて、舞台を飛び降りる途中の徐倫に迫った。 「嘘はよくないわ、花京院」 「君は演技がへたくそだなぁ、徐倫」 花京院の首に入る形で徐倫の足が止まっている。花京院の拳は徐倫の眼前で止まっていた。どさりと、舞台の上で重い物が横たわる音がする。 「首だなんて、殺す気か」 「顔だなんて、容赦ないわね」 互いの顔は先ほどまでの笑みは捨て去られて無表情だった。 「あなたを殺せば、私の気は晴れるのかしら」 「まさか」 そうよね、と徐倫は冷たく言った。 「君を殺せば、あれは僕の物だろうか」 「知らないわよ」 だろうね、と花京院は笑った。 |