船を建てるパロ2
鈴木志保さんの船を建てるパロディ。
基本的にコーヒー=承太郎、煙草=花京院、チェリー=徐倫、な感じ。







 その部屋は馬鹿みたいに豪華だった。床は冷たい大理石で出来ていて、ベッドは天蓋付きのやわらかなガーネットの色をしていた。窓は小さいけれどしっかりと丸く開いて、一つなど開けることができた。浴室はユニットバスではなく、黒く光沢のある石に星がちりばめるように金色の粒がおどっていた。
 リビングルームにしかれた絨毯は深い青の色をしていてその上に置かれたテーブルは真っ白だった。色合いは美しく、全ては水の中だ。そうだ今や全ては水の中だった。花京院は真っ白なテーブルの上に座り込んで、膝から下を水の中につけていた。ゆらめいた部屋の中は何一つ無残ではなく相変わらず馬鹿みたいに豪華で美しかった。水はいくら重ねられても何色に染まることもなく、窓からのぞける風景と繋がっている物だとは感じられない。
 グレイがかった金属の扉は音も通さないはずだけれども、人の声がする。慌てる人の声だ。
 火事だ火が回って爆発穴があいて水が出口はどけそこに案内板がはじけとんで地図なんてこの船がひろすぎてあんなにひとがいたのにドアがあかな水圧だわ船員さんわたし生きているあなたにであいたかあの馬鹿みたいな歌姫が船で行こうなんていうからへいがーるずあんたら四人組だったのに、もう一人はどうしたの。水圧で開かないドアの向こうで。
 花京院は声を聞いて笑った。漏れた笑い声は別段絶望の響きを持っているわけでもなかったし、慌ててもいなかった。幸せそうでもなく、ただの、本当にただの笑い声だった。
「次に、君に会うときは」
 船の一等室は沈みかけていた。船は沈み行く。
「船、ではないところがいいなぁ」
 はじけ飛んだドアに足を挟まれて、男がひとり水中で浮いている。まるで眠るように。



 昼間だというのに看板のネオンがちかちかと光って雨に反射している。フロリダへと向かう道はどこか砂漠じみている。サボテンのはえた柔らかい土壌にまっすぐと意固地に引かれたハイウェイ。走っている車はつまらなそうに黒光りしてとばしている。
 時折薬でもきめているみたいにハイな二人組がバイクを飛ばして消える。雨が降り続いている。
「君は」
 花京院はさっきから雨が止むのを待っている。傘を持っていないのだ。豪雨は激しい。ハイな二人組は今頃どこかで立ち往生しているか、それともあの立派な赤いバイクは雨なんて問題にもせずに彼らをフロリダへ運ぶのかもしれない。
 海岸で、ワッフルを売って暮らすのよ、私たち。ビールのコマーシャルみたいな生活をするのよ。
「いつまで待っているの?」
 花京院の隣には男がひとり濡れ鼠でたっていた。濡れた前髪からしずくがしたたりおちて、落ちきったところで面倒くさそうに前髪を書き上げて煙草に火をつけた。
 自分に話かけた花京院にちらと目をやってから、何も言わずに煙草を吸っている。足元に視線を落として、話かけるなと言っているような木がするが、花京院はあまりめげなかった。
 なにせ暇だったのだ。もう長いこと、ちかちかと光るネオンしかない場所で雨があがるのを二人だけで待っている。
「雨、ひどくなるばっかりだね」
「そうだな」
 男が答えると花京院はなぜだか驚いた。それまでずっと話をしなかったので、もう男は自分には話しかけないものだと思い込んでいた。
「あんた、どこへ行こうと思ってるんだ」
 男は煙草を吹かしながらそう聞いた。聞きながら伸びをして諦めたように座り込んだ。水を吸った土と雨に濡れていなかった乾いた土がまじりあってじゃりっと音を立てた。
「ここからいけるところは二つしかないよ。ここから西か、ここから東か」
 花京院が笑って答えると、男は苦い顔をした。煙草をふかして、すこし考えるように沈黙した。
「道なんか無視するって手もあるぜ」
 南でも北でも好きにいきゃあいいのさと男は涼しい顔をしている。まあ、俺は、と彼は付け足して笑った。綺麗な緑色の瞳をしていた。
「フロリダへ行くんだが」
 花京院はフロリダから出て行くところだった。ビールのコマーシャルのような生活が出来るほどお金がたまらないのだ。さんさんと輝く太陽、冷たいビール、開放的な人々。
 けれど今は雨が降っている。
「そうなんだ、僕は、僕も」
 フロリダに行くんだ、と花京院は答えた。
 それから雨が止むまで二人はぽつりぽつりと話しながらネオンの下にいた。やがて太陽が沈みかけ、彼は立ち上がった。
「一緒に行くか?」
 真っ黒い大きなバイクを転がして彼が言う。薬を決めたみたいにハイな二人組を思い出す。ハイウェイが夕方の長い長い光りをどこまでも届けている。
「うん」
 花京院は頷いた。
 それから二人は一緒に暮らしていた。海辺の家を借りて、鯨の解体工場で働いた。徐倫という娘が近くには住んでいて、彼女は歌を歌わせると抜群にうまく可愛らしかった。バラの紅茶も蓮のお香も真っ白なバスタブも、わかったような答えもほとんどを持っている少女だった。
 三人で映画をみた。二人でクリスマスを祝った。近所の床屋のおやじは結婚してパリへと旅だった。徐倫と花京院と、男の名前は承太郎と言った。
 ある日徐倫はいなくなった。海辺の家を貸してくれた偉大なジャズプレイヤーはカビ取りを大量にかってから姿が見えなくなった。サーカスがやってきて火事が起こった。解体工場で働いていた男が自分を待っている犬が銅像になった話をした。船で帰るのだと言っていた。
 二人は船に乗ることにした。



 船はゆっくりと沈み続け、水中でぽかりと承太郎は浮いているのだった。花京院はテーブルの上に寝そべって承太郎の水面の下に浮かぶあの雨の日と変わらない顔を見ながら笑う。
「次は、砂漠のようなところで会いたいな。今度は僕から声をかけよう」
 それでね、と花京院はまるで夢のように喋る。それは事実、夢なのだから仕方がないというように。
「一緒に暮らせたらいいな。海辺の家でね、近所には歌のうまいかわいい子がすんでいるんだ。この船にのっていた歌姫みたいな子がね」
 それで、そして。
 花京院の口調はとめどない。とめどなく流れつづける。
「鯨の解体工場っていうのが、僕の故郷にあってねそういうところで働いて、二人で家にかえってくるんだよ。そういう、今度はね、そういうふうに」
 今度はそういう風に出会いたい、と花京院が言うと、沈んだ承太郎の口からぽかりと泡が出てきて、水面でぱちんとはじけた。花京院は弾かれたように上体をあげて彼の顔を真剣に見つめた。雨の降り続けた、あの日と同じように。
「生きて、」
 る? と言い切る前に花京院は気づく。肺に残った空気が吐き出されただけだ。真っ白なテーブルの上から、まるでほしぞらのようなバスタブが見える。丸く開けられた小さな窓からは、途方もない海が見える。
 彼の最後の言葉は、水面にもう少ししか顔がでていない、足の挟まれた最後の言葉は何だったっけ。
「それを思い出すためにでも良いんだよ、もう一度」
 もう一度、神様。



「いくぞ、花京院、船に乗るんだろ」
 ちょっと待って、と花京院は慌てる。玄関先で出会った日と同じように煙草をふかして承太郎が待っている。
「地下の冷蔵庫の電源、切り忘れてた」
 コートをきて、マフラーをして、玄関に向かう。それにしても徐倫は一体どこにいってしまったんだろうねぇ。承太郎が答えて笑った。案外船にのって再会するかもしれねぇな。
 夕方の太陽が長く海辺の家に差し込んで、玄関に立つ花京院と承太郎を照らした。床にたったひとつ影が伸びる。
「忘れ物、ないか?」
 承太郎が聞いた。花京院が笑ってこたえる。
「ないよ」
 忘れ物なんて、最初からなにもない。