きつつきうそつき、あしたはすてき






 必要なものは二丁の拳銃と二発の弾丸、エンジンのかかったままの車、人の性質を見抜く目、全国展開をするスーパーマーケットの目をふさぎたくなるようなセンスの仮面、手際の良さ、身軽な体。周辺の地図と洞察力、記憶力。
 要らない物は罪悪感と良心の呵責だ。
 必要なのにないものといえば、中肉中背の体くらいだろうか。
 銀行のシャッターが閉まる間際に滑り込んで、防犯カメラは一二三四、五六、七、八。金庫まで行くには人手が足りなすぎる。警察への通報スイッチはカウンターの下。断線すれば、それはすなわち通報とかわりないから、いかに押させないかの問題だ。要注意なのは、受付のあの落ち着いた女。
 合図を待つ。一二、三、四。
「ごめんなさい、有り金、全部、ここにいれなさい」
 安っぽいボストンバックをカウンターの上に投げ入れる。
 銃を女に突きつけるのと同時に、防犯カメラを撃ち抜く銃撃音がした。この銃が本物だというデモンストレーションだ。録画装置へのケーブルはもうすでに切ってあるから、本当にただの見せ物に過ぎない。
「通報スイッチがカウンターの下にあるのは知ってるわ。あと、あんたのところね。変な動きをしたら撃つわ、本気よ」
 答えるように、人質を押さえるための発砲音が一つ。まとめるための涼やかな男の声に徐倫は笑う。良いコンビネーションだ。こうやってかちかちと何もかもがスムーズにはまるのは楽しい。緊張感に唇をなめると、高揚した気分になった。
 だけど、それに流されちゃいけない。あくまでも注意深く、慎重に、すみやかに。
「はやくしなさい、別に金庫の中身まで全部取ろうってんじゃないんだから」
 徐倫とその父親は、職業的銀行強盗である。

 一番成立しにくい犯罪とは何かといえばそれは誘拐である。
「誘拐?」
 徐倫は、特に表情を変えずに銃を分解している父親を見ながらそう聞き返した。承太郎はちょうど、スライドからバレルを取り出したところだった。それを興味深そうに見ていた花京院が笑いながら答える。
「そう、誘拐それ自体が目的じゃなかったら、身代金を受け取らなくちゃいけないだろう。ってことは被害者と接触しなくちゃいけないわけだ。誘拐犯の逮捕率って100%なんだって」
 さ、と良いながら花京院はテレビの横に備えつけられた小さな冷蔵庫から、瓶入りのコーラを出した。花京院はコーラを好きなわけではないけれど、たまにどうしても飲みたくなるんだとよく言っていた。
 承太郎の花京院と徐倫の会話を聞いているのか、いないのか、よくわからない。ただ銃を分解整備する手順は滑らかで淀みない。冷蔵庫に入れっぱなしのオイルを、花京院が開けたついでに取り出していた。
 ふぅんと徐倫は、あまり興味がなさそうに相づちをうった。彼女は手に雑誌をもって、花京院に対する相づちと同じくらいの興味の無さでページをめくっていた。雑誌には、あこがれのリングがどうとか、今年のコートはこれが良いだとか、女優や俳優たちのコーディネートスナップだとかが並んでいて、どれも等しく興味をひくし、また等しくどうでもよかった。あげくにBGM代わりのようなテレビではアイドルオーディションなんてばからしい番組がやっていて、マイクの前ので金髪のティーンエイジャーが歌い出すところだった。ポップソングに徐倫はあまり興味がなかったから、彼女が歌ったそれも甲高い声で耳をいたずかにひっかくだけだ。
 花京院の話が父親のバレルの掃除の次に面白そうだと徐倫は考えて、花京院に問いかけた。
「じゃあ、二番目ってなに?」
 二番目?と花京院は面白そうに問い返した。それから、コップにコーラを移しながら、徐倫はいつもわざわざ瓶入りのコーラをコップに移す意味はんだろうと考える、当ててみなよと言った。
「犯人は動けない。いくらでも時間を引き延ばすことは可能。かなり厳重で、成功率は低い、犯罪を起こしている最中に通報されることがほとんど。逃げ切れない」
「心当たりがありすぎる。絞りきれないよ」
 花京院と、徐倫が言うのと、銃のスプリングが承太郎の手のひらからこぼれて徐倫の方へと転がるのは同時だった。徐倫は飛んできたスプリングを拾い上げて、承太郎に手渡す。承太郎は、それに小さく礼を言って、一言付け加えた。
「銀行強盗だろ、花京院」
 突然のその言葉に、花京院は少し驚いてから、笑う。
「その通りだよ、承太郎。銀行強盗って本当は全然成功しないんだよ」
 そして、そんな君たちに仕事を依頼しにきたんだよ、と花京院は穏やかに言い放って、徐倫の眉をひそめさせた。



 花京院の仕事とはちょっとした詐欺の仕事だった。彼の持ってくる仕事はちょっとしたとか、簡単なとかばかりが頭につくけれど、そうだったことは一度もない。
 たとえば今回は、パーティにもぐりこんである人間に近づいて取り入れ、情報を仕入れてほしいというそれだけだが、そのそれだけもまた面倒くさいのだろう。報酬は多いが、別に徐倫と承太郎は金に困っているわけではない。花京院からの仕事を承太郎が断ったことがないのがなぜかを徐倫はまだ聞いたことがなかった。
 車の窓から流れる風景はちかちかとネオンがせわしない。途中までは赤に青にと派手に流れていき、やがて小さな白い街灯しか見えなくなってきた。門の前につくころには、くすんだ緑色をした門の上に、アンティークなランプが付いている。
 シルクハットをかぶって、黒いロングコートに身を包んだ門番が、うやうやしく門を開ける。横目で見ながら大げさなものだと徐倫はため息をついた。大体車が気に入らないのだ。今時、ベンツなんて大仰すぎるし古くさい。それでもなめらかな加速の心地よさに、自分が運転したいくらいだと舌打ちをしたくなる。
 出かける直前の花京院といったら、と考えて徐倫は眉をしかめた。彼は運転手と一緒にベンツでのりつけて、入ってくるなり大仰に徐倫を褒め称えた。曰く、おりこまれた百合がすてきだとか、ラインが細身だから徐倫によく似合うとか、襟があると徐倫の顔の小ささが際だっていいだとか、まったくきっと彼には舌が二枚どころか三枚あるんだろう。二枚抜かれたって一枚残るんだから、文句をいってもかまわないとよくわからない理論が出たのは慣れない格好をしていたからかもしれない。
「で、ベンツなの、安易じゃない?」
「フェラーリでもいいけど」
 冗談、と徐倫は笑った。大体自分で運転もしないのに、どうしてそういう車種を買うのだろうと、世のブルジョアが本気で不思議だ。でもさ、と花京院が徐倫を前にして笑う。心底楽しそうなのが、徐倫はくやしくて仕方ない。
「安易なのって、わかりやすくて安心ってことだろう?」
「で、何を持ってきたんだ」
 承太郎、と花京院の後ろからやってきた承太郎が声をかけた。承太郎は別段なにか凝った服を着ているわけでもなく、普通の礼服を着ている。ボウタイはつける気がないようで、かわりに白のポケットチーフをしていた。
 あとはコートと、シルクハットだけで出られそうだ。
「車だけね」
「車種は?」
「メルセデス・ベンツ、S65 SMGロング、ボディカラーはプラチナブラック」
 花京院がそう言うと、承太郎はすこし眉をしかめてから、わかりやすいとだけ答えた。その答えに花京院は不満げな顔をしてから、笑い出す。
「それ、さっき徐倫にも言われたんだけど、まぁ許してよ」
 それにしても本当に、と花京院はおそらく感嘆か、あるいは単純な呆れのため息をついて付け加えた。
「君たちがそうしてると、親子じゃなくて恋人みたいだ」
 なんだかすごく育ちが良さそうにも見えるねと笑っていた花京院を思い出したら花京院のあの顔が何もかもわかっている顔だと確信が深まって、あのとき殴ればよかったと思う。ついで舌打ちが出てきた。
「徐倫」
「わかってるわ、おしとやかに、ね」
 徐倫を静かにいさめた彼女の隣の父親は、まったく礼服がしっくり着すぎていて嫌になる。正直に言えば見とれてしまうし、胸がときめくのはしょうがない。
 いくら仕事といえど、前提が逆だと言うことを徐倫は分かっているがそれでもそう思う、いくら仕事といえど、父親とパーティに出席をするのは嫌いじゃない。エスコートをされるのは気持ちが良い。静かに車が玄関先についてドアが静かに開けられて、手を取られるのなんかが特に好きだ。飴色をした高い扉は今は開かれてボウルルームまでレッドカーぺットが続いているのが見えた。
「お待ちしておりました、空条様」
 扉の前で直立不動の姿勢を保っていた男が完璧な仕草で頭を下げる。徐倫はゆるやかに微笑をつくってから、その表情を固定するほうに気を向けなければならない何時間かにすこし面倒くささを感じていた。
 横を向けば、自分の手をとった父親はこの場にすぐに馴染んでいるように見えた。自分は変じゃないだろうかと一瞬不安になるが、花京院の言った事も、まぁ半分くらいは嘘じゃないだろう。
 そういえば、とボウルルームに向かう途中で、承太郎が徐倫に何かを投げてよこした。徐倫は少し驚いてそれを咄嗟に受け取る。
「何これ?」
 手の中に収まったものを見るとそれは指輪だった。シルバーの蜘蛛の巣をモチーフにしたようなデザインの銀からのぞけるようにアメジストがはいっている。指輪? と目を丸くすると承太郎はそんな徐倫をみながら何でもないという風に首をかしげる。
「手に何もつけてないのはさみしいだろう」
「だからって、指輪?」
「腕時計よりそれらしいだろう」
 そうだけど、と徐倫は呟いてから、でもそれにしたってこんな渡し方はないと考えた。こんなところで投げるように贈る物じゃないとも思ったし、こんな時にまるで不意打ちのように渡されればうれしさがこみ上げてどうしていいか分からなくなってしまうのだから。
 今、この瞬間に、ちょっと生意気でわがままな娘の表情を保っている方が、これから数時間ほほえみを浮かべるよりもずっと難しいだろうと徐倫は考えながら、息を吐いた。思いの外、熱のこもった息になっていて驚く。そうして、いつのまにかハットを脱いでいる承太郎を見つめて笑う。
「なら、父さんからはめるくらいはしてほしいものね」
 そう言って手を差し出すと、承太郎は一瞬瞠目してから、苦笑したようだった。徐倫の右手からリングをとって、彼女の左手を取る。そうしてあまりにも素っ気なく彼女の指にリングをはめた。その素っ気なさはつまりこなれて、洗練されているということと同じだった。
 指先が脈打つ心臓に合わせて震えている。
「きれい、ありがとう、父さん」
 いや、と承太郎は答えた。そうだろうと徐倫は思う。多分彼は必要だと思ったからやっただけで、特に他意はないのだ。そこが徐倫にとって困ることでもあるし、好きなところでもあった。胸の辺りが暖かいを通り越して熱い。幸福は過ぎれば衝撃と変わりない。衝撃は失敗を生みやすくする。この熱さに浸っていたい気持ちはあるけれど、切り替えは重要だ。
「仕事、ね」
 そうだなと承太郎は頷く。
「ジョルノ・ジョバーナに取り入ってくれ、か」
 開け放たれたボウルルームは、ざわざわと控えめに盛り上がっていた。軍服を着た人間もちらほらと見える。面倒くさいことになりそうなのは分かっていたことなので、今更徐倫も承太郎も、ため息をついたりはしなかった。