「暇」 徐倫は端的にそう呟いて、中庭のテーブルにつっぷした。白い強化プラスチックのテーブルの上には、コーラの入った紙コップが一つ置かれていた。徐倫の向かいでは、一人の年齢がよく読み取れない男が、カップの中のコーヒーを飲んでいた。 「時期を見て、行動しなくちゃいけないから、それ以外の時間は案外暇だね、これは結構疲れるもんだよ」 男と徐倫は向かい合いながら、何を話すわけでもなく、空を見ていた。空はとんでもなく晴れて、太陽はゆるやかに庭を照らしている。徐倫は自分の目の前にいる男の横顔を眺めて、ふと違和感を覚える。よく見知った顔のはずなのに、全然違う人間のようにみえる。ぱっと、見知った人間が他人のように見えるとき、思っていたよりも普通の人間だと知ってがっかりすることがあるけれど、男の場合は別だった。 彼はたいそう、好ましかった。 徐倫は憮然とした気持ちで口を開く。 「花京院って、最近何してたの?」 最近? と花京院は首をかしげて徐倫の疑問に答えようとしていた。 「最近って、ここに入ってから? だったら普通に優良囚人やってるよ」 そうじゃなくて、と徐倫が言いながらコーラを飲んだ。州立グリーンドルフィンストリート重警備刑務所、通称「水族館」は、囚人の自由を可能な限り許す刑務所として有名で、その許された自由と同じくらい出るのが難しいとも言われていた。 「父さんと母さんが離婚してから、あんまり顔見せてくれなかったから」 横を向きながらそう口をとがらせる徐倫に、花京院はまぁねぇ、と笑う。 「だって、承太郎の友人だからね、顔は出しにくいよ」 「別に母さんは気にしないよ。私もね」 コーラを飲みきって、徐倫はそう答えた。その答えに花京院は緩く笑うだけで何も答えなかった。 「っていうか、花京院はこっちの国籍持ってたの、州立刑務所に入るなんて」 「あ、うん、随分前にね。永住権取ったよ。別にビザでもよかったけど、思いの外長引いたからね。承太郎も日本には帰らなかったし」 まぁ、そうでなくても財団は融通してくれただろうが、と花京院は頭の隅で考えながら徐倫の顔を眺めていた。承太郎の事は、あまり考えないように、互いにしていた。取り返すべくはディスクで、誰が持っているかが重要なのだ。それを探すために、潜り込むのはそんなに難しいことではなかった。 「花京院って」 不意に徐倫が聞いてくる。何?と問う様に視線を合わせると、すこし徐倫は逡巡した後に口を開いた。 「花京院のスタンドって、どんなスタンドなの?」 空条徐倫がスタンドに目覚めたのは、つい最近の事だった。それまでは父親がそういう能力を持っていたのも、また自分たちを本当に愛していたらしいのだとも、知らなかったし、自分を救うために死んだようである事は徐倫を強くしていた。それは徐倫がもう一度、きちんと立ち上がるための力のようなものだった。 花京院は徐倫の質問に、答えるかどうか少し迷った後で、口の端を上げて答える。 「いつか、使わなきゃいけないときがきたら、見せるよ、徐倫」 だから、代わりに一つ昔の話をしようかな、と花京院は笑ってコーヒーに口をつけた。期間は迫っているというのに時間をもてあますのは苦痛ではあるけれど、有用に使えないのならば思い出話をするのもまぁそれほど悪くはないだろうと花京院はコーヒーを飲みながら思った。 花京院が選んで話したのは、セト神のスタンドについてだった。自分よりも弱い者をなぶるのがすきな、アレッシーという名前のスタンド使いで、効果は相手を子供にしてしまうというものだ。 「子供に?」 「そう、精神も記憶もね」 襲われたのはポルナレフと承太郎だった、と花京院は付け加える。承太郎だった、という言葉に徐倫はすこし興味を持ったようだった。花京院はまぁ、僕はいなかったから、詳しくはわからないけどね、と笑う。 「見ていたポルナレフがおもしろおかしく言うには、承太郎は昔からやるときはやる人間だった、だそうだよ」 なにせ、子供のままアレッシーを殴り飛ばしてしまったらしいのだから、こわいねぇと花京院は冗談めかして言う。 「でも、ちょっと納得する。父さんだし」 子供の頃なんて想像できない。きっといっつも無表情で無口だったんだと思うわ、と徐倫は花京院の話を聞きながら答えた。花京院はうーん、とすこし考えるように首を傾ける。 「別に、そういう訳じゃないよ。まだ記憶が退行する前だったのかもしれない、承太郎は、そうだな、昔はやっぱり大声で笑ったり、してたよ」 「大声で笑う!」 徐倫の驚いた声は中庭に響いて、他の囚人達の視線が一瞬集まる。ぎくっとして首をすくめると、囚人達はすぐに興味をなくしたらしく、それぞれの遊びや、読書に戻っていったようだった。 「意外ね。でも父さんの子供の頃かぁ」 「どうだったんだろうねぇ、承太郎の子供の頃」 言いながら花京院は、コーヒーを飲みきって、徐倫のカップと一緒にまとめる。ゴミ箱に捨てに行くつもりらしい。 「もしも、アレッシーの能力が永続的で、承太郎が子供のままもどらなかったら、徐倫はどうする?」 たちあがってゴミを捨てに行くために、テーブルから離れるとき、花京院は徐倫に聞いた。徐倫は、すこしその質問に面食らいながら、花京院がゴミを捨てて返ってくるまでに答えを固めておこうと反射的に思った。 花京院はたまに徐倫に、こういう類のすこし不思議な疑問を投げかけてくることがあった。大体それは、愛してるなら何をするのが一番いいんだろうね、とか、人を食べるならどこからがいいんだろうねとかで、その答えはいつもどこが人を食ったような、真意のわからないものであることが多い。 徐倫の答えに花京院は、そういう考えもあるのかな、といつも笑っていた。徐倫は優しいね。優しいし、賢くて、さすが承太郎の娘だねと。 花京院が戻ってくると、徐倫は口を開いた。 「私だったら、きっと、育てちゃうと思う。きっととっても愛すだろうな。私が愛を感じられなかった分だけ、溶けるように注ぐわ。それで」 恋人にも、母親にもなってあげる、と口にしそうになって徐倫はぎくりとする。なんだろうこの答えは、これではまるで。 徐倫は焦って、花京院は、と目の前の男に水を差した。花京院は不意に途切れた徐倫の言葉に、追求をせずに、そうだなぁとぼんやりと口にする。 「怖くて、とっても何もできないな。承太郎の後ろに追随して、好きなようにさせるだろう。それでもきっと、彼は僕と出会ったときと変わらないように育つ気がするなぁ」 ジョースターさんに預けても良いけど、ホリィさんには会わせられないね、と花京院は笑う。それから、思い出したように付け加えた。 「でも女の人は、生々しいことを考えるね」 溶けるように、だなんて、とからかわれるように言われて、徐倫は自分の頬にかっと血が上るのを感じた。言葉のあやから、まるで真意を掴まれたように、恥ずかしかった。 違う、と否定をするために口を開くのと同時に、刑務所のスピーカーが房に戻る時間だとアナウンスした。それを聞いて花京院は目を細めてから、立ち上がった。 「じゃあ、徐倫、また明日」 手を上げて言われて、徐倫は反論する機会をなくしてしまう。 「ええ、また、花京院」 空はまったく晴れていて、太陽はおだやかだった。 |