第八夜/花京院/羽根
気がつくと羽が生えていた。背中からまっすぐに肩甲骨に根ざしている。花京院は首をかしげながら背中の延長線上を動かす気持ちで動かすと、その羽はきっちりと彼の思い通りに動いて風を巻き起こし、前髪をなびかせた。夏の蒸す空気の中で、それはとても心地がよかった。 花京院には羽が生える、という心当たりなどまったくなかったが、危機感を別段覚えなかった。羽が生えることくらい許容範囲であるような気もしたし、スタンド同様に周りの人間には見えないのかもしれない。それに今この瞬間、夏の道路のど真ん中、信号をわたる途中で唐突に気がついたのだが、誰も羽に目を向けることもないのだから、きっとたいしたことではないのだろうと花京院は結論付けた。 困るようなことはあまり起こりそうにもないし、その羽は手と同じかそれより一回りほど大きいくらいの大きさで、邪魔になるほどでもない。邪魔にならないなら気にすることもないのだろう。 突然のその変化は世界すべてを覆ったらしいと気がついたのはだいぶ後のことだった。夏は終わっていないながらも残暑が厳しい頃合で、夜には秋の気配が忍び寄ってきていた。 「ああ、へぇ」 「なんだよ」 「あ、いや、羽だなぁと思って」 花京院は承太郎の家に遊びに来ていて、そのまま泊まるつもりだった。窓を開け放していると涼しい風が入り込んできて、ベッドに横になっている承太郎と、それをクッションに座りながらぼんやりと眺めていた花京院をなでていった。 羽は承太郎の背中に小さく生えていて、何をいまさら当たり前な、というような顔で承太郎が聞いたものだから花京院は、この現象は自分だけに起こったことではなくて、そしてそれは世界の常識になってしまったのだと理解した。 「他人のは初めて見た、ような気持ち」 触っていい?と花京院が聞くと、承太郎はうなずいた。すこし神妙な顔をしていたのは、あまりに他人に触らせる箇所ではないからかもしれない。 承太郎だからなのか、それとも自分の目がおかしいのか、わからないけれど羽は美しかった。承太郎の部屋のそっけない蛍光灯の下でもゆるくプリズムのように輝いて、触るとやわらかかった。彼の羽は花京院の手のひらよりも一回り小さいくらいで、これだけ小さいと何のためにあるのかわからない。それをいったら、花京院だってどうして自分の背中に羽があるのかなんてわからないが、承太郎のものに比べたら大分空を飛べそうだった。 「へぇ、こんなになってるんだね」 「当たり前だろ」 「だって背中にあるものは自分じゃあよく見えないじゃないか」 羽は肩甲骨とつながるように根を張っていたが、根元は濃いピンク色をしていた。植物の根のようなものに似ている。たぶん引き抜こうとすればそのまま血管みたいなものも一緒にずるずると出てくるだろうと思った。それは思いのほか花京院を楽しませる想像で、ふいにやってみたくなってしまう。 羽の根元は肩甲骨の薄さと同じくらい頼りない。 「これって動かせるの?」 「あー、俺はあんまり動かせない。動かせるやつもいるみてぇだが」 「僕、そうだよ。結構自由に動く」 そうなのか、とおとなしく羽を触らせてくれる承太郎の好意に甘えたまま、花京院は羽の根元に指を滑らせる。ちょうど、指を引っ掛けられそうな窪みが存在していた。そこに指を当てると羽全体が握りこめるようになっていて、このまま背中を片方の手で押さえて引っ張れば抜けそうな気にもなった。 抜いたなら、と花京院は想像する。承太郎は苦痛の声をあげるだろうか。そういえば血はでるのだろうか、きれいにもぎ取ることができるだろうか。風が花京院の額をなでるのが、いやに涼しくて、いつの間にか汗をかいている自分を花京院は自覚した。 「花京院」 「…あ、な、なに」 承太郎は花京院のあいているもう片方の手をとった。花京院は姿勢を崩して、承太郎の上に覆いかぶさる。 「承太郎?」 「いや、いい加減暇だったからな」 羽もいいけどな、と笑いながら言う承太郎に花京院もつられて、少し前のあの妙な緊張感が解けていくのを感じた。笑いながら妙な高揚に引きずられたままの幸福な気持ちで目を閉じる。窓から吹いてくる風が涼しく、承太郎の体が暖かいと思う。 「花京院」 承太郎の声が優しいので、花京院は罪悪感に押しつぶされてしまいそうだった。 |