第五夜/仗助/世界の終わり
世界の終わりだと聞かされたとき、仗助は泣きたくなった。 「世界が終わる?」 そうだ、と仗助の目の前で承太郎が喋り、仗助は笑って納得した。多分承太郎さんがいうのならそれは本当でしょうねと囁いた。杜王町はいつもと変わらない風景で、空は晴れていた。太陽の光は窓から差し込んで、なにもかも全く幸福だった。 「どうしてっすか?」 仗助の質問に承太郎は少し困ったように首をかしげてさぁと答えた。 「あえて言うなら、そう決まっていたからとしか」 言えないと。 承太郎の答えに仗助はあまり疑問を感じなかった。まだ自分は若く、これから先に続いていくはずだった未来がどうやら途切れるらしいと思っても怒りも絶望も特に感じなかった。 承太郎がいうからにはどうしようもないと思ったのかもしれないし、もしかしたら承太郎のいう事を全く信じていないからかもしれなかった。本当のところを仗助は考えずに、そのままでいようと思った。世界はいつも仗助と近しく、承太郎とは遠かったので。 「どんな終わりがいいだろうか、仗助」 「優しいものがいいですねぇ、でも承太郎さん」 一つお願いを聞いてくれませんか、と仗助は口にして、承太郎は頷いた。 「何でも聞こう」 窓からは光が差し込んでいた、全く幸福な午後だ。 世界が終わるかどうかについて、仗助はあまり考えなかった。 世界について、仗助がどう思っているかといえば別段何も考えてはいない。半径三キロくらいの、具体的にいうならば杜王町の中くらいの平和が彼にとっての世界で、多分誰にとっても世界とはそれくらいなのだろう。むしろ仗助のものは人よりも大分大きいとさえ言えた。 だから世界が終わると聞かされて、理解したのは杜王町がなくなってしまうのだという事実だけだった。海の向こうや町の先の風景は仗助にとって映画の向こうと同じなのだ。どうやら存在しているらしい。どうやら生きているらしい。どうやらあるらしい。人によって世界とは様相を変える。同じなのは終わるとき、なくなるときだけなのかもしれない。 「承太郎さん?」 そのとき仗助は一人で庭に座り込んでいた。そこは何も生えていない殺風景な庭で、湿って養分の多そうな土が何を植えられるのかを待っているようにも見えた。仗助は一人、苔むした小さな岩に座り込んで、突然視界にはいった承太郎の姿に驚いた。 承太郎は仗助の驚きも予想の範囲内だったのだという顔をしてから、仗助の前で膝を落として、目線を合わせて優しく言った。 「時間だ、仗助」 夜だったので、月の光が庭を照らし出していたが、別段照らされるべきものは何もなかった。承太郎の帽子や、自分の前髪やがおぼろげに照らし出されて、あとは互いの手が異様に白く見えるくらいだった。 「もうっすか、早いですねぇ」 「俺はこれでも、それなりに待った」 仗助の足元には苔むした星の小さな欠片があって、傍には大きな貝殻が落ちていた。 「百年まってくれるもんかと思ってました」 「そりゃあ、百合が咲くならな」 待ってもいいが、と承太郎はため息をついて呟いたのを見て、仗助は笑った。そうして異様に白く見える手で星の欠片のその下を指す。 「死体も埋まってないですからねぇ」 「誰も死ななかったからだ」 いいことじゃあないっすか?と聞くと、承太郎はなんともいえない顔で眉を顰めた。仗助が世界の終わりと聞いてから幾年かたっていたが、世界は終わっていなかった。いまだに人々は生きて、悲しんだり喜んだり、希望をもったり絶望したりしていた。 「なんだか気疲れのする時間だった」 「それはすみません」 いや、いいさ、と承太郎は笑う。 「何でも聞くといったのは俺だしな」 仗助は笑う。世界の終わりがくると、どんな終わりがいいか、と聞かれて答え、仗助は一つ付け足した。もう少しまってくれはしませんか、終わりまで、まだもう少し。 仗助のその言葉に承太郎は少しためらってから頷いた。いいだろう、と。どうして承太郎が仗助の言葉を聞き入れたのか仗助は知らない。知りたいとは思うけれど、いつも泡のように消えていってしまう。 「承太郎さん、俺は、ここであんたを百年待ってもよかった」 「ずっと早く、会いにきただろ、花でもなくな」 ちがいないっすね、と答えて、仗助は立ち上がった。承太郎も跪いていた体勢を直し、空を見上げる。月がのぼって星が光っていた。あれが何万年前の光かなんて仗助にはわからないし、承太郎にもわからない。 「世界の終わりはやさしいっすか?」 「すくなくとも朝はこねぇな」 世界のあらゆるものが光になってのぼっていく。世界のあらゆるものが灰になってふってくる。世界のあらゆるものが燃え尽き、溶けて、何もなくなる。静かに死んでいく。月は地球をなくして、引力も重力もなしくずして、空一杯にひろがっている。 冷たい優しさだ、と仗助は思う。横にいる承太郎が何を思っているかなど永遠にわからない。これまでも、これからも。 「こんなときは何をいっていいのやら」 「何も」 言わなくていいんじゃないかと承太郎が言った。それじゃあだめだと仗助は思ったけれど、世界が終わるのでどうしようもなかった。湿って黒い土の上に、苔むした星の欠片と、大きな貝殻落ちていて、誰かあれで自分達の墓穴を掘ってくれるのだろうかと、仗助はぼんやり考える。 |
夢十夜/第一夜