第四夜/花京院/世界の果て






 花京院は世界の果てにたたずんで、ただ果てを見ていた。世界の果てにきてまで、果てをみるなんてよくわからない話だと岩の向こうの地平線を見ている。空は濃く青く、岩は赤茶色をしている。
「ここは世界と隔絶されている」
 と昔の偉人は言ったらしいので花京院はうなずいて納得した。何億年という長さで変わらない風景は、過去を世界に残しておくものだ。生きるものが何もいないので、吹きすさぶ風の音しか花京院の耳には届かなかった。ここなら世界が終わっても、存在しつづけるのではないかなんて馬鹿らしいことを考えた。
 花京院はそういうものをずっと探していた。岩の上に座ったままで彼は目を細めて、周りを見た。赤茶色の岩と、まばらにはえた下草と、海すらなく、見上げると空があった。鳥も飛ばずに、どこかで飛行機でも飛んだのか飛行機雲がうっすらと空にのこっていた。飛行機雲は死者の道というけれど、ならばあそこはいまや大渋滞だろう。64億9998人が押しかけているに違いないのだ。
「何を考えているんだ」
 花京院の真っ青な視界に承太郎の顔がひょっこりと映りこんだ。花京院は驚いて息を呑み、そして笑ってしまう。
「どうやって君から逃げようかって思ってるのさ、承太郎」
「世界の果てまで来てか」
 承太郎は花京院の視線を受けながらあたりを見回した。花京院の視界には承太郎と青空くらいしか移っていなかったので承太郎がこの場所に何を思うのかは花京院には想像ができなかった。
「世界の果てまできてだよ。きれいだろう?」
 ここは暑いけれどね、と花京院はつぶやく。
「もう少しいけば青みがかった氷の敷き詰められた場所に着くはずなんだ」
 花京院の言葉に、承太郎は少しだけ考えてからもう行ってきたと口を動かした。花京院は目を丸くしてから、どうして?と聞き返した。どうやってではなくて、どうしてと聞くあたり、大分順応していると思う。
「64億9997人目が乗る飛行機を、墜落させに」
 花京院はぽかんと口をあけて、あはははと乾いた笑いをこぼした。別に絶望しているわけでも恐怖に駆られているわけでもなかったのに、声は思いのほか冷たいものに聞こえた。
「世界はきれいだ、花京院」
 海が好きだとかつていったのと同じ口調で承太郎は言った。そうだろうねと花京院は同意をする。
「僕も逃げて、逃げて、逃げて続ける間にいろいろなものを見たよ。そしてこの世界の果てまで来てしまった」
 世界はなんて美しいんだろうと、花京院は本当に思うのだ。荒涼として植物以外なにもいないような、こんな土地でも。
「世界の終わりがやってくるのか、承太郎」
「世界の終わりがやってくるんだ、花京院」
 それほど遠くない昔、世界が終わるのだと承太郎は言って、空は真っ赤に染まったものだった。通りを通るあらゆる人間が溶けて消えて、銀色の流線型が空を飛んでいた。
 あるいは世界が終わるのだと人々がうわさする頃、世界の端は灰色にとけて雪のように記憶を降らせていた。人々はまるで雪崩にうまるように灰にうまり静かに息絶えた。美しい光景だと思った。ざわめく人々が一人、また一人と眠りについて、やがて通りは真っ白になり、耳が痛いほどの静寂が立ち込めて、花京院は空をみあげていつこの灰はやむのだろうと考えていた。そしてやはり承太郎がやってきて、言った。世界が終わるんだと。
「この間は川辺で空が割れていた」
「向こう側から真っ暗な空が見えただろう」
「あれは綺麗だったなぁ」
 烏が一羽いて、それが鳥を見た最後だったような気が花京院にはした。川辺では白い小さな花が咲いて風に揺れていた。それも闇に飲まれて消えて、花京院は立ち上がって走った。世界がどんなことになっているかを見るのなんて、この両の目では荷が勝ちすぎるのだ。
 花京院は逃げて、逃げて、逃げ続けて、そして世界の果てまでやってきた。
「世界は」
「終わるんだ、花京院」
「君の仕事も」
 花京院の言葉に承太郎は笑った。
「お前で終わりさ」
 花京院は肩をすくめて、仕方なさそうに笑った。今度は普通のやわらかい湿度を伴った笑いになって、花京院を安堵させた。
「世界の終わりってどんなのなんだい、承太郎」
「俺にもわからんさ」
 案外爆発なんていうそっけないものなのかもしれないと承太郎はつぶやいた。真っ赤になって何もかもがなくなって、何かを知るものさえいなくなる。存在を消し去られて、記憶にすら残らない。誰も生きてはいないから。
「僕は今まで見たきたものは、どれも綺麗な終わりだったよ」
「終わりはなんだって美しい。先がないものは」
 承太郎は手のひらをゆっくりと花京院に差し出して、花京院は承太郎の手のひらをとった。手は乾いて冷たく、花京院は泣きたくなってしまう。
 世界の果てまできても、何からも逃げられない。

 空は晴れて鳥が鳴いていた。池の面には魚がときおりやってきて水面を揺らしている。花京院はぼんやりと糸をたれながら、藻が水の中で身をくねらせる様子を見ていた。水面からは思い出したように小さな睡蓮が咲いていて、これはあるいは極楽に似ていると花京院は思う。
 仏がカンダタに蜘蛛の糸を垂らすその池に。
 背後から草を掻き分ける音がして、振り返ると承太郎がたっていた。
「世界が終わるぞ、花京院」
「なぜ?」
 承太郎は少し首を傾げてからつぶやいた。
「俺が終わらせるからだよ」
 君が終わらせるからかと花京院は答えて、竿を確かめるように何度か揺らしてからあきらめたように立ち上がった。
「じゃあ、僕は君から逃げようと思う。世界の果てまでも」
「じゃあ、俺はお前をおいかけよう、世界の終わりに」
 花京院はだらりと体の両端に下がっている承太郎の腕をとり、それが乾いて冷たいものだと確かめてから泣きそうな顔をして、では行くよといった。
「世界65億の人間が僕ら以外すべて死んだら」
 あるいは君が殺したら。

 世界の終わりに、世界の果てで会いましょう。