カーニバルカニバリズム3’/go to Starvation





 ありていに言うならば空条承太郎は人殺しで、人を食べることを好んでいた。好んでいたというよりも深く愛していた。彼は言葉を多く使うことを得意としていなかったので、それがどのようなことかあまり周りには伝わらなかったのだけれど(というよりもそれほど多くの『周り』がいたわけではなかったが)言うのならば博愛に似ていた。
 食べられるものは何であれ愛しい。この口に入るものが人間であれば。
 承太郎はその人生において彼独特の嗜好ゆえにあまり和やかな食事というのを行ったことがなかった。テーブルの上で行儀のよい食事、フォークやナイフは外側から使いましょう。迷い箸はよくありません、物を口に入れたまま喋ってはいけません。そういう作法の殆どは承太郎を納得させていたし、もしも自分がそのようなものを食べるならば守りたいことのうちの一つだとも心に刻んでいた。
 最初に食べたものは干し肉だった。固く噛み切れなく、飲み込み辛く、空腹で仕方がなかったというのに食べたら吐いた。肉は食道を通ってすぐに吐かれたし、胃液以外(というよりもそれすら少なく)胃に入っているものなど何もなかったから、胃液にまみれた肉はまだ食べられそうだった。
 一度目を閉じて、あけても変わらなかったので承太郎はそれをもう一度口に押し込んだ。噛み切って飲んだ。今度は吐かなかった。どうだったかと聞いてくる人間は誰もいなかったが、もしも聞かれたら承太郎は何の惑いもなく答えたはずだ。
 うまかった。
「終わりよければ全てよしとは言うけれど、百メートル走じゃスタートのほうが大事じゃないか」
 と僕は思うわけだよ、と花京院が穏やかに呟いた。口調に似合わず彼は血まみれだったし、指は震えていた。腹に大穴が開いていて、口から血がばたばたと垂れていた。傷口から出る血が赤いのは、結局人間の身体には酸素のほうが多いからなのだろうかと承太郎は人を食べるときいつも思う。
「君はいつか言ってたじゃないか、生のほうがすきだって」
 暖かいものが苦手だなんて、本当に野生動物もいいところだけれどね。承太郎はのんびりと喋る血まみれの、腹にあく穴のせいで身体が千切れかけた花京院を本当ちぎれないように気をつけながら肩に抱えた。花京院はあはは、と笑って、服が汚れるよと付け加えた。
「ああ、でも君はそういう事を気にしないんだよね。はじめて会ったときも血まみれだったもの。路地裏に座り込んで何か食べてたよ。あれは男だったかな、女だったかな」
「あれは男だったな。二十代くらいの、若くて将来有望そうな、顔の良い男だ」
 そうなのか、そうだったのか、と花京院は笑う。承太郎は花京院の言葉を聞きながらここからどうやって逃げようか考える。人殺しなら、人食いならば、足を掴まれれば法に裁かれる。それは承太郎も花京院もわかっていたことだし、途中でどちらかが殺されるかも知れない事もわかっていた。
「あの時のことを、僕はたまに思い出しては、うらやましいなぁと思っていた。僕は、ね、承太郎」
 だがそれは普通に生きていくこととどう違う。誰だって何時死ぬかわからない。やってくるのは突然だが、人間には常に今しかないのだから。食う今、食われる今、死ぬ今、生きる今、殺される今、失っていく今。
「君に食べられたくて、食べられたくて、食べられたく、て」
 たまらなかったのだと花京院は言う。向かい合って同じ料理を食べるとき、皿に乗せられた色とりどりの料理はワンパターンにならないように何よりも気をつけて作っていた。常に材料が一緒のものをバリエーション豊かに作るのは難しい。中華料理はことごとく、四川、広州その他もろもろ、フランスイタリアドイツにオランダ、西欧、北欧、日本料理や、数え上げればきりがない。本屋に高く積まれているレシピ本から一つ一つ。
「でもほら、君は言ったじゃないか。生も好きだし、美味いって。だから」
 残さず食べてよ、どうせ死ぬのだから。君に食べられたくて食べられたくて食べられたくて。
「たまらなかったんだから」
「ならなくなった腹の中身分くらいは後悔してくれ」
「あ、ははは、は」
 そんな無理なこと、いわないでくれたらいいのに。

 最初に食べたものは干した肉だった。結果的には干した肉になってしまった子供の太ももだ。最後に食べたのは肋骨にへばりついた肉だった。肺は青灰色の冷たい味がして、肉は血の抜け切る前が美味いのだとやはり思った。
 暖かいものは好きじゃないというよりも得意じゃない。食事作法は常にいつだって可能ならば守りたいと思っていたし、この口に入るもの、人間全てを愛している。博愛は愛情とは一線を画している。
 路地裏で男を食べたとしたって、もう二度と彼は現れないのだと承太郎はわかっている。へんなところばかり通りの良い頭の、かっちりと動く回路の中身で、どこまでも理解している。
 今度ばかりは吐きもしないし、本当に美味かったのだ。よく似た味を思い出して、それがいつか殺した自分の子供だと気づく。そこで承太郎は、ああ、と思う。愛したものは美味いのだと、そんな理屈にたどり着く。

 あんなに美味しい物を食べたなら、これから先、もう何も食べられない。