がらくたさん最前線
○月×日
今日、治したもの。小指。
○月×日
今日、治したもの。ワイングラスと切り傷。
○月×日
今日、治したもの。壁と骨のヒビ。
○月×日
今日、治したもの。ガラスと、腕。
○月×日
今日、治したもの。電話と眼球。
○月×日。
今日、治したもの。じじいの杖とPCと本。両腕。
治せなかったもの。自分の頬の切り傷。
渡したもの。あめ。
○月×日
今日、治した…もう、いいや。
瓶の中に昨日渡したの、入っている。割れていたので、直した。
あめ。
「承太郎さーん」
「仗助」
承太郎さんが笑う。眩しそうに目を細めて、そういえばカーテンをあけっぱなしだったなぁと、仗助はブラインドをしめた。あの日から瞳孔は開きっぱなしで承太郎さんはいつも眩しそうだ。PCの画面なんかは見辛そう。やめればいいのになぁと思いながら立ち上がってるPCを見ると、よくわからない生物の解剖図(ひとで…?)と英語の文章がずらずらと並んでいる。横には何冊もの本が積まれていて、いろんなところに付箋が貼られている。そっけない付箋の青も、小さな文字のそれらも、英語であることを差し引いてもわからない。まず単語が拾えないのだから何か専門書なのだろう。
じじいがなんかの機会に読んでくれたところによると、論文はちゃんと文になってるし、別に変なところもないらしい。仗助はいつも、承太郎のそういう気持ちの悪いほどの強靭さみたいなものに感心をする。
壊れかけた電話が落ちていたので、クレイジーDで直した。承太郎さんはあまり外には出ないから(一人ならば出てもせいぜいビーチまで)、直せないということはあまりない。
「相変わらず目が死んでるっすね!眩しそう」
「こら、仗助」
瞼に指をおいてまじまじと覗き込むと承太郎さんはちょっと嫌そうに顔を背けた。あ、ちょっと傷ついた、と眉をわざとひそめたら承太郎さんは罰の悪そうな顔になった。そういう顔、好きですよ、と笑う。でも本当に瞳孔がひらきっぱなしの承太郎さんの目は控えめにいっても焦点が合ってなくて、なんかあっち側の人みたいでちょっと怖い。いや、事実あっち側の人なんだけど。死んでる人間の目をしている、ガラスだまみたいで綺麗だけど、飴みたいだし。
「あめといえば、仗助」
「はい」
別に驚かない。壊れてから承太郎さんは人の心を読めるみたいに話題を先取りするので、便利だ。嫌だと思えば悲しそうな顔をするし、この人好きだなぁと思えばちょっと困った顔をする。いやそこは嬉しそうな顔をしてほしいと思うっす。超好きなんで。愛してるんで。
「昨日はありがとうな」
「あ、いえ、別に。持ってただけっすから」
違った。話題を先取りじゃなかった。いや、飴の話自体はあってるんだけど。学ランのポケットに入ってた、透明なビニールに包まれた緑色の飴を、昨日帰りがけに渡した。じじいは本当に困ってたし、承太郎さんは両腕ズタズタだし、俺も怪我してたし、全部直してからの雰囲気といったら鬱なんてものじゃなかったから、普段しないことをしてみた。飴、いりますか?なんて言ったら承太郎さんは少し驚いた顔をしてから頷いた。瞳孔くるり、丸い。首の裏できち、なんて広がる音。
緑色の飴って何味かちょっと不明っすよね。メロン?
「メロンのあのヒビは、糖分なんだよな」
「へぇー、そうなんすか、知らなかった」
あ、でもやっぱり心読めてるのかな。テレパシー、精神感応って奴だ。まぁスタンドがあるからそういうのあっても不思議じゃない。昔居たって、まだ話の通じる頃の承太郎さんが言ってたし。ゲームしたとかなんとか、変な状況。それにしてもすごくスピード早くて、すごく正確で、時を止められて、心も読めるのはちょっと反則じゃないだろうか、そこんとこどうすか、承太郎さん?
「お前の能力だって、大概便利だろ」
「反則かどうかの問題っすよー」
「アルビノのクジラは浮かんでくると緑色に見えるんだ。海の色とまじってな。それと一緒だろ」
「あー、俺それ知ってますよ、名前、ミガルーって言うんすよね」
「白いやつ」
そういって承太郎さんは笑った。俺もつられて笑う。あはは。それでですね、聞きたいんすけど。
「なんだ?」
「その素晴らしく素晴らしい脱臼なおしてもいいっすか?」
肩からはずれて人にあるまじき長さの腕がちょっと怖いので。
承太郎さんは笑う、ので俺も笑った。焦点は合わない。
初夏だ。冷えこんだり暖かかったりを繰り返しては風邪や眠気をつれてくる。通学路ではめずらしく康一と億泰が連休明けのだるさを引きずって二人でてろてろいかにもやる気なさげに歩いている。
「最近、付き合いわるくね?」
「何が?」
「仗助の奴、なんか最近とっとと一人で帰るし、たまーになんか六時くらいからゲーセン行こうぜとか誘われて、俺もう家だし」
「仗助くんと億泰くん、家近いじゃないか」
「そうなんだけどよ、六時過ぎてゲーセン入るといろいろめんどうくせぇじゃん、仗助制服のまんまだしよぉ」
「へぇ」
「なんか興味なさげな返答だな」
「どうせ承太郎さんのところなんじゃないの?」
「んなこたぁ、わかってるよ。前からそうじゃねぇか、俺が言いたいのはな、なんかあれだよ、前と比べて!ってことだよ」
億泰の言葉に康一は頷きながらも、でも別に仗助君は学校にはくるし、吉良も一緒に探すし、本当にたまにだけれど承太郎さんと一緒だったりするし、そのときは相変わらず承太郎さんは無口だけど(っていうか前よりも寡黙になった。喋るところを見た記憶があまりない)変なところはないし、あぁ、でも確かに休日もあまり会わなくなったような気がする。
「たまに学校も休むしね」
「あいつ怪我が多いからなぁ」
「あ、僕、こっちだから」
じゃあね、億泰君と康一は今までの話をまるで聞いていなかったかのようにあっさりときびすを返した。ちょっと待てよーとのんびりとした億泰の声を聞きながらそのまま歩いていこうとした。
ガォン
「なぁ、康一」
「何、億泰君」
急に景色が変わったと思ったら引っ張られるように元の位置に戻っていた。これで抵抗を感じなかったら時が止まった!とか思うけれど、億泰君だしね、と康一はため息をつく。
「普通の人間にはスタンドって見えないよな」
「そうだね、見えないよ」
「ってことはよぉ、今のを普通の人間が見たら康一がいきなり飛んできたことになるよな」
「うん、そうだね、僕がいきなり億泰君のほうに後ろ向きで跳んでいったように見えるだろうね」
「なんか超能力みてぇだよな!」
初夏の日差しは暖かいが二人は連休のだるさからぬけきれずにだらだらだらだらと通学路を歩いていた。
「……まぁ、そうだね。っていうか多分そのものなんだと思うけど」
「俺が飛んでくことも出来るんだよなぁ、ハンドって便利だな!」
「まぁ、もしスタンドがただの超能力でスタンドヴィジョンがなかったら、億泰君はESPよりPKよりだよね。念力と擬似テレポテーション?」
もしくは物体消失ー、と陽気同様間延びした声で康一は答える。
「ぴーけー?」
あぁ、僕、SF好きなんだーと康一はぼんやりと呟いた。億泰はそうなのかーと間延びした口調で答える。平和だ。
「……で、何の話してたんだっけ?」
「……仗助君が最近付き合い悪いよねって話」
初夏の陽気は頭のねじを緩める。
歌を歌っている。英語の歌だ。鼻歌だけの時もあるし、論文を書いているらしいときに無意識に口をついて出ている場合もあるみたいだ。たまにじじいが嫌な顔をする。承太郎さんのお父さんのものなんだそうだ。ジャズプレイヤーの父って!すげぇな、なんか、と仗助はひとしきり感心した。
何を歌っているのかはわからない。でも、と勝手に想像するときがある。案外有名な歌だったりすんのかなぁとか。雲に腰掛けて海の美しさを語ろうみたいな、ベイビーブルーのベンツにのって、風の強い寂しい海へ。
「でも承太郎さん、別に脳腫瘍でも骨髄腫でもないし」
あ、でも広いホテルの部屋っていうのだけはあってるかも、と歌っている承太郎さんを見て思う。沈んでいく太陽の光が眩しいのか目を伏せて、波打ち際をゆっくりと歩いている。それについていく。ホテルっていうのはやっぱり非日常だなぁなんて思う。プライベートビーチには人がいないし、現実感ってわりとあっという間に薄れるものだ。で、わりとあっという間に戻る。あっち側には行けきれないので、いつも境界線をふらふらふらふら。決して行きたいわけじゃあないんですがね。
もう承太郎さん、電波受信してないですしね。
綺麗な歌だなぁ。
と思っていたら承太郎さんがこっちを向いて笑った。アンテナ壊れてから承太郎さんはよく笑う。でも前ほど喋らなくなって、それでも喋るけど、言ってることが嘘か本当かちょっとわからなくなった、家族に電話するようになった、論文と一緒でそのときは普通よりちょっと喋るようになったくらい。電話口のむこうで滑らかに英語が話されている。緊張した高い音、すすり泣き、低い声、子供の小さな声は結構胸に来た。この人には家庭があってでも帰らないんだなぁ、大事にはしてるみたいだけど、いや大事にしてるから帰らないのかも。
半分死んでしまった、弓と矢はDIOの遺物。じじいから聞いた話はけっこう酷いものだった。腹に大穴とか、腕しか残らなかったけどそれも残らなかったとか、全身複雑骨折肺にささって死亡とか、陽気でムードメーカなフランス人は音信不通で連絡が取れない、崖下に消えたかもとか。よく考えるとじじいと承太郎さんしか残ってないっすからね。
「何の、歌ですか?」
「海」
「海っすか」
歌が途切れた。勿体無いことをしたと思った。会話は前より通じるようになった。キャッチボールが出来てる感じ。ざぁざぁ寄せる波音は、アンテナに拾われなかった電波のようだ。どっちがましだったかなぁと考えて別にかわりゃしねぇかと仗助は思う。
まぁ、好きなんで、愛してるんで。
「あ」
「ん?」
「いります?」
ポケットに飴が常備されるようになった。承太郎さんは笑って受け取った。なんだか大事なものを渡すときみたいに慎重に嬉しそうに。あーあー。もうなんすか、それ。
「仗助」
「はい」
テレパシーよ、届け!と念じたら届いてみたいだった。
「緑のつきが見えるな」
夏目漱石は言ったらしいですよ。日本人なら愛してるなんていわないで、月がきれいですねって言いなさいって。
「月が綺麗っすよね」
見えませんけど。
あ、と康一は思った。そのとき康一は承太郎とたまたま二人で軒先で雨宿りをしていた。仗助が何か拍子に離れてしまってやむを得ず二人っきりになってしまったのだった。承太郎は相変わらず何も喋らなかったし、康一は康一で雨やみませんねとか、最近天候不安定ですよねとか話しかけては見たものの、承太郎は頷くだけで特に何も返さなかったので会話は立ち消えてしまっていた。
康一は正直とてもきまずくて、仗助くんは普段承太郎さんと何を話しているんだろうとか、やっぱり身内だと話は弾むものなのだろうかとか、それにしてもやっぱり気まずすぎるとかそんな事を考えて自分よりも随分高い承太郎を見上げて、あ、と思った。
承太郎の仗助と少し似ているでも日本であまり見ない目がゆらゆらと揺れてどこか遠くを見ている。承太郎自身のイメージと全く齟齬がなくてむしろ相応しいくらいだったので、それは康一を驚かせなかった。むしろ自分を見る承太郎の視線になにか優しげなものがあることと、その奥にすこしの不安が見て取れることが康一を驚かせていた。
承太郎は自分を見ている康一に気づくとかすかに笑って、ポケットからビニールに包まれた緑色飴を取り出して渡した。子供扱いされている、と康一は思ったが事実外から見れば変わりないのだと思うとなんともいえない気持ちになったままありがとうございますと告げた。視線の柔らかさみたいなものが増えて康一は少し困った。
と思っていたら向こうから仗助がやってきた。それに最初に気づいたのは承太郎で遅れて康一が気がついた。ゆっくりと視線が仗助のほうへと向かって、瞳の奥の不安みたいものが取れたことに、康一は驚いた。
「康一?」
どうした?と仗助が聞いた。なんでもないととっさに答えるとそうか?と仗助は笑ってから、ごめんなさい、承太郎さんと謝った。
「俺、この後ちょっと承太郎さんとこよって帰るから、じゃあな、康一」
はい、傘と渡されて、うんありがとうと受け取った。仗助の手には二本しか傘がなくて、一本を自分に渡したのなら、二人で一本さして帰るのかなぁとおもうとなんだかおかしかった。じゃあなーと手をふる仗助とその横で静かにかすかに笑っている承太郎さんはやっぱり一本の傘をさしてからだらだらと歩いていった。すごく目立っている。
それから、仗助君がポケットから何か取り出して言う。
「飴、あげますよ、承太郎さん」
「緑だ」
「月ですから」
雨はやまない。康一は首をかしげる。
後日。
「最近、承太郎さんと仗助くん仲良い」
「そんなことに興味ないわ」
「由花子さん…」
「あら、本当に興味ないのよ。飴を貰った話もね、康一君が飴を貰ったくらいで私のことをもっと好きになってくれるなら考えるけど」
「そんな事しなくても元々好きだよ、そうじゃなくてさ」
なんか、変なんだよなぁと首をかしげる康一に由花子は首をひねる。
「何がわからないの、康一君、どうでもいいじゃないそんなこと」
簡単すぎて、どうでもいいわ、と由花子は呟いた。いっそ吐き捨てる勢いだった。
○月×日
今日、治したもの。肩。
あんなに怪我をするのは身体感覚乖離しちゃってるからだろうか。
今日、渡したもの。飴と傘。
貰ったもの。
あめ。
「あめ、あめ、雨、飴、天」
「なんすか、それ。歌っすか?」
「いや、歌じゃない、飴いるか?」
「貰います、あ、青だー」
「青は海の色だからな」
「味はサイダーですけどね」
「飴は貰うと嬉しいからな」
「俺があげるからっすよー」
なにせ愛してるんで、と言ったら、そうだなぁと返された。壊れた承太郎さんは壊れてるので優しいし可愛いし、格好いいし、かわいそうだ。自分は嘆かないけれど、慣れたから。
そう思っていると承太郎さんは笑った。本当にこの人は良く笑うようになった。
「愛してるぞ、仗助」
「俺もめちゃくちゃ愛してます」
緑の月は見えないけれど、今は雨が降っているから同じ事。
|