ギャングパロ8






 花京院は教会の木の長いすに座りながらため息をついた。ステンドグラスから差し込まれる光は、青く、赤く、色とりどりだった。薔薇が咲いていると視線を上にやる。囲まれたそこには聖女が聖人を抱いている。彼女の顔は美しく、深い嘆きのうちにあるように見える。木作りの茶色い椅子の前には棚がついていて、聖書と賛美歌が収められていた。花京院はまるで規定されていたように本をとり、ぱらぱらとめくる。旧約から新約へ、最後はヨハネの黙示録。
「君がくるとはめずらしいな」
 礼拝が終わったばかりなのだろう神父に花京院は声をかけられる。顔を上げると彼の恩人が柔和な顔で立っていた。彼以上に神父服が似合う男を花京院は知らなかった。立ち上がって、手を差し出す。
「ちょっと気になる噂を聞いたものですから、あなたなら何か知っているのではないかと思いまして」
 エンリコ・プッチ神父、と花京院は目を細める。彼の言葉にプッチはやわらかく笑って、もっと親しげに呼んでも良いのだと付け加えた。花京院は笑ったまま首を振る。
「いいえ、癖のようなものですから」
「君は出会ったときからそうだったな」
 花京院の言葉にプッチは少し困り顔をした。そうでしょうか、と花京院は答える。プッチと花京院が知り合ったのは一昔ほど前になる。孤児院からDIOに引き取られた花京院は一年あまり当時のアンダーボスに預けられた。その一年で花京院は生きて行く上でのほとんどを教わったと思っている。組織そのものや、人との関わり方、操り方、見分け方、銃の手入れも、人の殺し方も、音楽の趣味も、彼に影響された。当時アンダーボスだった男は花京院と同じ東洋系で、優しい顔をしていたことを覚えている。低い声は悲しみによって疲弊してはいたが、強い優しさが垣間見えていた。
「そう、花京院、最初君は私に敵意のようなものを抱いていたよ」
 プッチの言葉に、仕方がないじゃあありませんか、と花京院は仕方なさそうに笑った。
 花京院が引き取られて一年あまりたった夏の終わりに、男は花京院に言った。私はボスを許せないかも知れない、とつぶやいた顔を覚えている。もしも、と男の言葉を思い出しながら目を閉じる。もしも私が戻らなかったならそれは死んだと思いなさい。そうしたらお前はきっと次のアンダーボスに引き取られることになるだろう。私は候補を見たことがあるけれどね、あれは恐ろしい男だよ。狂信的すぎる。妄信的すぎる。気をつけなさい、と。
 優しい人だったのだと思う。それ以上に強かったけれど、結局男は帰ってこずに、花京院は空白の数週間を過ごした後に、エンリコ・プッチに引き合わされた。エンリコ・プッチは当時は神学生に過ぎなかったが、いずれDIOがもつ教会の神父になるように手配されていた。彼は真に神を信じ、世界の理不尽と不条理を受け入れようとしているように花京院には見えた。そしてそれがどんなに馬鹿らしいことか、幼いながらに花京院は理解していた。彼の理想が理想に過ぎないことも、それすらDIOは面白がっているのだろうと。しかしプッチは幼い花京院の目から見ても、DIOに心酔しきっていることが見て取れた。彼の瞳は理想を眺める男そのものだった。まるでイエスに対するユダのようだと花京院は思った。後に彼は花京院に述懐した。
 私は主を裏切ることのないイスカリオテのユダになりたい、と。
 任された教会の壇の上で、プッチがささやいたのは夢のような言葉だった。花京院は半ば目を伏せて、小さく言った。
 あなたはボスを本当に信頼していらっしゃる。プッチ神父。
 花京院の言葉にプッチは笑って答えたのだと。ああ、神と同じように彼を愛している。花京院は首をすくめて、自分を一年だけ育ててくれた男に会いたいと願っていた。花京院は彼の恩人を信じない。
「なにせ、貴方はあまりにも面識がなさすぎたのですから」
「それはDIOも言っていたよ、おそらく反発を生むだろうとね」
「ええ、貴方の台頭はあまりにも突然でした」
 アンダーボスの突然の失踪は、反乱の余韻だけを組織の中に落としていた。誰もがおそらく彼は反乱を企てて、ボスに殺されてしまったのだとささやいた。彼は何を調べていたと諜報機関が調べ上げる。それは一件の殺人事件だった。花京院が引き取られた年の夏に起こった、これといって特徴のない殺人事件だ。殺されたのは女性が一人、行方不明になった子供が一人。ボスの弱みにつながるものでは決してなかった。諜報機関の人間たちは首をひねって、ボスの周りの人間だけが嘆息した。
 そんな中でDIOはプッチをアンダーボスに指名したのだった。前の男の仕事をそのまま引き継いで、彼は傍らに神父をやる。花京院は彼の下について、そして時が流れた。花京院はエンリコ・プッチを恩人だという。そうしたほうが良いと思ったからだった。恩は少なからず感じてもいるし、服従の掟に逆らえはしないから、実質絆は深いのだろうと自嘲した。少なくとも承太郎とボス以上には健康的には違いない。
 ボスは相変わらず何をするにも突飛で、唐突に抗争を起こしたり、幹部を入れ替えたりしてはいたが、おおむね変化はない。勢力図も変わらず、三つ巴ままにらみ合っている。
「僕はこれでもおびえていたのですよ、なにせ小さな子供だ」
「そうかな、君は子供のときから聡明な顔をしていたよ」
 プッチのところに訪れるといつも、会話が上滑りしてしまう。プッチも花京院も笑いながら、自分とまったく関係のない話ばかりをする。決して傷つきもしなければ、感情も交換されない、ただの会話だ。
「聡明さは臆病にもつながりますよ」
「君には勇気もあったよ」
 プッチの様子に花京院は首をかしげる。
「今日は随分と褒めてくださる、プッチ神父」
「いや、何、そういう気分なんだ。私も年をとったね」
 もうDIOの方が若いように見えるよ、とプッチは疑問すらはさまずに肯定する。彼の神をあがめる。プッチは笑いながら、顔の前で手をふった。
「ききたい事があってきたのでは?」
 花京院はプッチの言葉に、ええ、と笑う。ええ、そうなんです、プッチ神父、としゃべりながら神父に近づく。懐に手を入れるのをプッチは黙ってみている。かちゃりと撃鉄の降りる音がする。
「貴方、何か、知っておられるのでは?」
「何についてだ?」
 動揺しないプッチに花京院は別段驚かなかった。花京院は黒い小さな銃をプッチの額に突きつけている。教会の扉に鍵はかけていなかった。プッチと花京院の横顔には平等に、ステンドグラスからの光がこぼれている。赤や青や、薔薇の連なるステンドグラスにかかれた嘆く聖女の姿。
「パッショーネとの抗争の噂を聞きました」
「ああ、起こすといっていたな」
 花京院は引き金に指をかけて、もう一度聞きます、と付け加えた。
「ボスは本当に抗争を起こすおつもりですか?新興ギャングはひとつつぶれて、こちらも一人死にました。ルートと品物は手に入れた。面目としては両成敗といったところでしょうね。パッショーネにはうまみはいっていませんよ、どうして、今、なぜ?」
「君は私を殺すつもりなのか?」
「さぁ、出来ると思いますか?」
 プッチは首を降った。どうだろうと花京院も思う。
「私は君に殺されるかもしれないが、君も長くは生きられないだろう」
「そうでしょうねぇ」
 報復は必至だ。今ここでプッチを殺せば追っ手はかかるだろう。それはヴァニラやボス自身の可能性さえあるけれど、承太郎かもしれない。承太郎と銃を交えるというのは気が滅入っていいかもしれない。もしもそうなったのならば(なる可能性なんて低いけれど)聞きたいことは聞いておこうと花京院は思う。
 どうしてこんなことをしているんだか、と全く疑問は尽きない。承太郎のため?と花京院は脳裏で思う。まさか、否定しきれないことがいやだな。
 プッチはため息をついて、別に隠し立てているわけではないんだ、と言った。
「聞かれれば答えよう。君は口も固いし、私の直属だ。私に話したということは、DIOは多少なりとも情報の漏洩を許すということだ」
「それはありがたい、ボスの慈悲に感謝して聞きますが、この噂は陽動ですね?」
 花京院の言葉にプッチはもう一度ため息をついた。花京院、とたしなめるように呼ぶ。
「なんでしょう、プッチ神父」
「私は君が賢いと信じている」
「ありがとうございます」
 花京院は笑って、照準をもう一度定めた。プッチの額の上に、しっかりと。
「そうだ、この噂は陽動だ。パッショーネはこちらの地区をギャングを噛ませたとはいえ侵したことで、噂には幾分かの真実味を感じているだろうな。疑っているものもいるだろうが、わかるだろう、花京院。DIOは冗談と本気の区別がつかないからな」
「ええ、それは、敵ではなくてよかったと思うばかりですよ」
 承太郎はどうか知らないけれどと花京院は脳裏でつぶやいた。
「まぁ、私ごときに彼が何をしたいかはわからないがね、組織を動かしたいだけだろうと思うよ」
「動かしたいだけ?」
「使わない銃はさびるだろう?彼はお気に入りのおもちゃを万全なままで取っておきたいだけさ」
 花京院はぽかんと口をあける。多分承太郎がいたら、眉をよせて嫌な顔をするか、神父の前だから無表情を押し通すかのどちらかに違いない。そういえばこのようなことは数年に一回おきているような気がする。新興ギャングと一戦交えてみたり、教皇に噛むための幾十かの暗殺も。
 花京院はめまいを感じて、銃口をさげ、左手で顔を覆う。指の隙間からやたらと高い天井が見えた。視界の隅には真っ白な十字架がかかっている。趣味の悪いことだ。
「…馬鹿らしい。抗争ひとつ、メンテナンス代わりだなんて」
 けれど承太郎がかわいそうだ、という言葉はかろうじて飲んだ。どうすることも出来ないのなら、嘆くことすら無駄だろう。ボスにはむかうことは出来ない。
「だがそれでも彼の組織は小さくなりはしない」
「ボスは有能ですよ。まさに君臨するお方だ」
 プッチにあわせるように花京院は言う。プッチはその言葉にただうなずく。神父の瞳に陶酔があるのが、花京院は嫌だった。気に食わない。先代のアンダーボスはそれこそ神父とは正反対だった。そして花京院はそんな男を好んでいたのだ。初めてであった、尊敬できる人間だったと思っている。
「私は主を裏切らぬイスカリオテのユダになりたいんだ、花京院」
 お前は私を殺す気などなかっただろう?とプッチは銃を懐にしまって教会を出て行こうとする花京院に声をかけた。花京院はプッチに教わった、よく似た柔和な微笑みを浮かべながらうなずく。もちろんです、プッチ神父。
「けれどユダに話を聞けば、貴方と同じことをいうでしょう」
 花京院の言葉にプッチは笑った。聖書を携えた彼ほどに神父服の似合う男を花京院は知らない。本当に見つけられない。
「どうして、そんなことを聞きにきたんだ。DIOは手に入れたものを決して手放しはしない」
 言外に承太郎のことを言っているのだと花京院は思った。見当違いにほどがある、と思いながらも口から出た言葉は思いのほかうそものの響きがした。
「……他人のものに興味はありませんよ、向こうから転がり込んでくるなら別ですが」
「私は君が、賢いと思っているよ、花京院」
「ありがとうございます、プッチ神父」
 花京院は恩人だと周りに嘯くプッチの教会を後にして、ポルナレフに文句を言おうとそればかり考える。それとも承太郎に会って、他愛ない話でもしようかとも。

 教会の鐘がつんざくように昼をつげる。