ギャングパロ7
石畳に夕日の赤い光が注がれて、それはまっすぐに路地をどこまでも照らしている。承太郎はたった一人でベンチに座り込んで、広場にある噴水を眺めていた。観光客がこぼすパンを目当てにしている鳩がえさを探して騒がしく鳴いている。この広場に唯一いる人間がパンでもくれるのではないかとぐずぐずと承太郎の足元で戸惑っている。承太郎は膝に肘をついて、両手で顔を覆い、噴水から流れる水を眺めている。水の反射した赤い光が瞳に差し込まれて、痛みをつれてきそうだった。
「死神を見たことがあるか」
唐突に声がした。承太郎の、噴水をはさんで向かい側に、いつのまにかDIOの姿があった。DIOは手の中に銃弾を二発持って、冷たいその塊を左手でもてあそんでいる。DIOはいつも夕日を一日の始まりといって憚らなかった。夜は愛しい絶望のすむ暗闇。DIOの瞳は夕日のように赤いのだといまさらのように承太郎は思い出す。
「あぁ、それはお前の形をしていた」
「私の形か」
DIOは承太郎の言葉に愉快そうに目を細めた。承太郎はDIOの様子を身ながら淡々と言葉を続ける。
「お前のような髪をして、お前のような目をして、お前のような顔をしていた」
お前はどう思った、とDIOは告げた。承太郎は目を閉じて考えた。それは思いだすというよりも創造する行為ににていた。しばらくの沈黙の後で、観念したように承太郎は口を開く。
「美しいと思ったよ。骨ばった、白く冷たい手が、魂に触れる」
柔らかな魂を、躊躇なく握りつぶしたのだと、承太郎は続ける。聞きなれたDIOの笑い声がした。懐かしい、と思ってしまうことが承太郎は嫌だった。耐えられなかった。
DIOは決して噴水の向かい側からこちらに来ることはない。彼の頭上には申し訳程度にしげる樹木があったが、斜めから差し込んでくる夕焼けの光に対して木の枝は全く役にたってはいなかった。彼の肌や髪に光は投げ込まれて、瞳はよりいっそう赤かった。
むしろ承太郎のほうがこの場にはなじんでいないように見えた。
「だが、お前とは違って、その手には慈悲があった」
DIOは眉をひそめてから、静かな声で答えた。私の手が。
承太郎の喉から思わず乾いた笑いがこぼれる。
「そうだ、お前の冷たい手が、魂に触れる」
やさしい、と承太郎はつぶやいた。それは願望に似ていた。お前と違って、きっととても。
承太郎の言葉にDIOは笑った。穏やかで慈悲深い、暖かな笑いだった。
「お前の母親が死んだときのようにか? それともお前が初めて女を殺したときのようにか?」
黒髪の女のことを承太郎は苦もなく聞くから引っ張り出した。栗髪の女が足元にいたことも、今耳につけたままのピアスを初めて贈られたときのことも、その反動で腕が痛んだことも、初めて人をお前の手で殺したのだと祝われた事も、大抵を思い出した。
「死は誰にとっても安らかだ。俺にとっても」
「私にとっても?」
「そうだ」
夕日は沈むことはなく、依然として地平線ぎりぎりに居座り続けていた。そうしてただ噴水をはさんで向かいあって座る、二人を照らし出していた。くるくるとわめき続けていた鳩はいつの間にかみな死んでいる。残らず首を撃ちぬかれて沈黙している。
「それがお前の考えか、承太郎」
「いいや、違う、願望だ」
たとえば殺した者の最後の息が深く疲れるとき、もう酸素などいらないと肺があきらめ全ての力が抜けて、脳も心臓もなにもかもが停止する直前の深い深いため息に、承太郎はひとつ何かを殺したと知る。愛だ、とDIOは説く。愛は知ることだ。知るというのは理解につながる。疑うことは知るための手段だ。
「死神はお前の姿をしているんだ」
承太郎は手のひらで顔を覆う。声はこもって力なく響いた。DIOは微笑んだまま、胸にその冷たい手を差し入れて、弾丸二発分を抜き取る。20gと少し。
「私にとって死神はお前の姿をしているよ」
承太郎、とDIOはひそやかに笑う。承太郎の右手の中にはいつのまにかつめたい弾が二発握りこまされている。夕日がもう少しで沈みそうだ。夜は愛しい絶望のすむ暗闇。
顔を上げるとDIOの姿は跡形もなくなって、承太郎はまた一人広場に座り込んでいる。誰を待っていたのかも思い出せないまま、目が覚める。
コンクリートが打ちっぱなしの天井が飛び込んできて、ちかちかと光る電話のディスプレイは四時前をさしている。窓の外はわずかに明るくて、夜があけたばかりなのだと承太郎は気づいてため息をついた。頭が重いが、思い当たる原因も特にはない。右手がひどく冷たいような気がして、何度か握り確かめる。
部屋はがらんとして、承太郎は一人だ。けれどそれは、DIOの館にいるよりも何倍も心穏やかだ。
「ポルナレフがアサルトライフルの使い方を覚えれば、こんなことにはならないのにね、僕はこれから承太郎に会いに行こうと思ってたのに」
「こんなに朝早くからかよ」
突然に仕事に引っ張り出された花京院は、テベレ川沿いのホテルの屋上で明けていく空を見ながらつぶやいていた。花京院の愚痴に、あまり取り合うつもりもないポルナレフはそれでも彼の気性から律儀に反応して答える。
花京院の腕時計は午前四時五分前を指している。明け方と夜の境目の時間に、緑色の光が屋上を照らしていた。花京院は全うにも驚いているポルナレフの律儀さを馬鹿にしたように鼻で笑った。
「いいんだよ、どうせ承太郎は寝すぎなんだ」
いつ起こしたって平気なくらい寝ているんだから、と花京院はぼやく。夜中の三時に電話が来て、割増料金ご案内ギャラは通常の三倍だとかなんだとか。くればわかるよ頼むよと弱った声のポルナレフにうなずいたのは自分だと花京院もわかってはいる。
「こんなところで新入り潰しだなんて、涙が出るね」
「しょうがねぇだろ、縄張りを奪ったんだよ」
「麻薬の?」
「密輸入の手筈も完璧。ボスは出来るならルートごと手に入れたいのさ」
アサルトライフルを抱えなおして、花京院はため息をついてあきらめた声でつぶやいた。
「一挙両得?」
「一攫千金だろ」
「どっちも違うような気がするね」
そうかもな、とポルナレフは肩をすくめた。大仰なその仕草はポルナレフの陽気さとあいまって、貧乏くじを引いたような気分を薄めてくれるのは確かだ。花京院はライフルを肩にかけて、スコープを覗き込む。拡大して見える止まった車のスモークガラスの向こうにターゲットはいる。
「品物を渡す方は殺すなよ」
ボスはルートどころか品物までも、その今後も欲しいらしいと花京院は思いながらスコープに目を当てる。そろそろ朝日がさしこみはじめる。貪欲なのはすばらしい、生きるために必要な資質だ。
「早く終わらせて、承太郎に豪華な朝食でもおごってもらうんだ」
そうそう、それか、ホテルのアフタヌーンティーでもね。男二人はぞっとしないけれども。
「眠っているのをたたき起こしてか」
この時間じゃあな、とポルナレフがあきれたようにつぶやく。
「承太郎は寝すぎだからいいのさ」
そうかぁ?とポルナレフは首をひねる。それが当たり前で正しいかのように、そうだよ、と花京院は答える。承太郎はあまりにも基盤が希薄すぎる。ここにいようと努力しているのがわかる。その手伝いに過ぎない、おそらくは。
「大事なのは、承太郎の意志だよ」
「なんだか、矛盾してねぇか?」
ポルナレフの言葉にスコープに目を当てたまま花京院は笑う。車のドアがゆっくりと開く。若い精悍な男の顔をガ見える。額に照準を合わせて、花京院は引き金を引いた。空気の抜けるような間の抜けた音は、存外に響かない。
太陽は昇って、世界を祝福する。
「あ、起きてた」
時計はまだ七時前を指している。日の光が空気を暖めだした朝に唐突にやってきた花京院を承太郎は意外そうな顔をして出迎えた。花京院はスーツを着たままだったので、まるでいつかの逆だ、と互いに思ったのだけれど口には出さなかった。
「早いな、今日は」
「うん、ポルナレフに呼び出されたんだ」
その言葉に承太郎は合点がいったらしく、ああ、と短く答えた。承太郎の部屋にはテレビもラジオもないから、全く静かだ。音楽は心を和ませるらしいから、コンポくらいおくのはどうだろうかと提案したくなる。床に置きっぱなしの電話も、きちんと置かれているのに散乱した印象の本たちも寒々しい。
「密輸入のあれか」
「あれ、なんで知ってるの?」
「昨日ポルナレフが焦ってたからな。死んだんだってよ」
そういって承太郎は仕事仲間の名を上げた。なるほど、もともと彼に回る予定の仕事だったのだろうとぼんやり思いながら、ポルナレフの苦労を労わりたくなったが本人は今頃始末に大忙しだろうから後にしようと花京院は思う。
覚えていたら、ではあるが。
「へぇ、まぁいいや。そう、でね、臨時収入が入ったんだ」
「景気がいいな、ワインでもあけるか」
僕はお金出さないからねーというと、承太郎はわかってる、と済ました声で答えた。そろそろ通りがざわついて、市場もひと段落つく頃だ。何か買いに行っても承太郎の部屋にはテーブルひとつないのだから、寂しい話だ。
煙の匂いが喉に絡み付いてひどく乾いている。瑞々しいトマトでも、ソースのかかった肉でも、とったばかりの野菜、煮込んだスープでも、コルクを抜いたばかりのワインでも。
「よし、買い物に行こう、承太郎」
で、うちにきなよと付け足した。普段は買わないいろいろなものをこの際買ってしまおう。我慢していたチーズも、そろそろ減ってきたスパイスも、生まれたばかりの子羊の肉もねとそんな事を思いながら花京院は口を開く。
「ほら、行こうよ」
この間、うちを汚してくれたんだし、これくらい付き合ってくれよ、と強引に言うと承太郎は困ったように笑いながら、そうだなぁと答えた。なので花京院も答えて笑う。
「こういうのはさ」
なんだかいいよねぇ、と言葉はなじんで消える。
花京院と承太郎は市場に繰り出して、めぼしいものを買ってから、花京院の家へと行った。欲しいといったものをほとんど買って、承太郎が料理をしたものを二人で食べた。承太郎は花京院の家が嫌いではない。花京院の部屋にはいつだって何もかもがあるべきところにあるのだと思う。余分なものがなにもないし、欠けているものも何もない。
長くはいられないと思う。そう思う事が心地良い。
「眠いの?」
昼を食べ終わった後に、他愛ない話をしていた時、花京院がそう聞いた。別に眠くはなかったが、聞かれると眠いような気がした。
「なんでだよ」
「なんか、眠そうな顔してるかなって思って」
そうか?と承太郎は首をかしげる。
自分を見る花京院の顔が柔らかくやさしいので、こういうとき承太郎は花京院の体の中のちかちか働く脳の中にはたくさんのものが綺麗にしまわれているのだろうと考える。自分が遠い昔においてきてしまったものを、彼が持っているような気がしてしまう。
そういうものをどこに置いてきてしまったのだろう。自分の脳やあるいは精神の中身は何もなさ過ぎて片付いているようにさえ感じる。整理された真っ白な通路におかれた箱の中には何もないのだ。
「眠くなるのは、あんまり好きじゃないんだ」
承太郎はそういって、眉をしかめた。花京院はすこし意外そうな顔をしてから、口を開いて、そしてまた閉じた。承太郎は何かを言わなければならないような気がして、もう一度口を開く。
「嫌な夢ばかり見るような気がする」
「気がする?」
泥のような眠りの中で承太郎は夢を見ない。いや、見るかもしれないが覚えていない。欠片のような色彩をつかむ事はあるけれど意味は判然としない。嫌な夢であるような気がする。承太郎には夢と記憶の区別がつかない。どちらもおぼろげでつかみきれない。
足元があやういのだ、いつも。どこに立っているかわからない。どういう風に生きていたのだかわからない。母の顔は覚えている。祖父のことも思い出せた。幼い叔父はかわいいと思う。けれど過去と現在はつながらない。
この手はどこにもたどり着けない、ような、気さえ。
「承太郎、大丈夫?」
花京院の問いかけに承太郎はふっと安堵した。
「……ああ」
けれど花京院のことは出会いから記憶がたどれるのだと承太郎は思う。祖父のことを思い出す前から、仗助に出会う前から。もしも、と時折思う。もしも、DIOに出会う前に、花京院に会えたなら、と。
けれどそれは具体的な想像にすらならないし、どんなに願っても不可能だと知っている。
花京院はよく晴れたその日に、ポルナレフと二人でカフェでお茶をしていた。一昨日からの後始末に追われて寝ていないからか憔悴を通り越してナチュラルハイに全身を浸しているポルナレフを相手にたらたらと話を聞いていた。
「オレンジ?」
「密輸入の品物な。果物の麻薬なんて聞いたことあるか?」
「ないけど、麻薬は僕の管轄じゃないしなぁ」
人殺しならまぁ、協力はするけれど、と気のない口調でいうとポルナレフはその反応の薄さに少しだけ落胆したように肩を落とした。
「ジョースターさんに振った方がいいんじゃないの、この話。もしくはボスに報告とかさ」
「報告はもうしたよ。これは単純な雑談」
「あー、なるほどね、僕はポルナレフの暇つぶしに付き合ってるわけね」
そんなつれない事を言うなよ、と寝不足のテンションで肩をたたかれて、花京院はその強さに驚く。
「っていうか、一昨日は結局承太郎んちにいったのか?」
「行ったよ。ついでに食材買わせて、僕の家でご飯作ってもらった」
ふぅんとポルナレフはエスプレッソに口をつけてからしばらく考えてぽつりとつぶやいた。
「お前らはあれか、恋人ごっこでもしてんのか」
「まさかー。ボスのお気に入りに手を出す気はないよ」
腐れ縁ってやつだよ、と陽気に答える。ポルナレフはどうだかねぇ?と肩をすくめた。
「だってお前、絶対ボスに目つけられてるだろ」
「あぁ、館に帰らないのが僕のせいだって? 本当に迷惑だよねぇ」
実際のところがどうなのか、花京院は知らないし、知っている事といったら承太郎の記憶が虫食いのようにかけているのとジョセフの事さえ覚えていない時期があったこと、妙な角質じみたものがボスと彼の間にあることくらいだった。
「だってお前、アンダーボスの気に入りだもんなぁ。ボス直属の承太郎とつるんでると目立つからな」
ポルナレフの言葉に花京院はため息をつく。
「気に入りっていうかね、恩人なだけだよ。承太郎はボス直属だけど、ボスの忠臣って訳でもないだろう。僕も同じ。意味ないって」
「でも割れたら、敵対するだろう」
ポルナレフ、と思いのほかたしなめる声が出てしまったことに花京院は驚く。
「顧問が自分のファミリーの分断を仮定してどうすんの」
「ボスが君臨して長いからな。それなりに反乱分子はあるんだよ」
「どうせボス自身が、ヴァニラか、嫌がる承太郎でも使って粛清するじゃないか」
ポルナレフはつまらなそうに、口を尖らせる。
「お前が悩む様が見たかっただけだよ。別に本気で考えてるわけじゃないさ」
そう?と花京院はため息をつく。
「でも、そうだな、もしもそうなったら、逆に新しいマフィア作っちゃうかもね。承太郎をボスにして」
大胆な発言だなーと、目を丸くしているポルナレフに花京院はため息をつく。
大体承太郎は自分とつるんでいるから、というよりは、ジョセフや仗助がいるからというのの方が大きい気も花京院はするのだ。自分は半分はボスの側に立っているし、承太郎との間に気安さはあるが執着に変化はしない。それが重要なのかもしれないが、と花京院はぼんやり考える。
「でも、承太郎についてはさ、もうしばらくは放っておくんじゃないの、世の帝王とも言われる方はさ」
「でも、今いろいろごたついてるんだよ、知ってるか、ほらパッショーネの」
「ああ、なんかこっちで抗争しかけようっていう」
だからなー、とポルナレフは面倒くさそうに伸びをした。
「密輸入のルート洗ったらパッショーネも一枚噛んでてな。こっちで巻き込まれた形で一人死んだし、めんどくさいことになりそうなんだよなあ」
ポルナレフがそう呟くと、花京院はティーカップに手をつけながら呟いた。
「面倒くさいことを聞いたなぁ、ホントに」
ポルナレフが仕事がらみで喋ることの六割は本当に聞きたくない事ばかりだ。
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