好奇心と猫
仗助はホテルの客室のソファに座って、承太郎と対面しながら困っていた。頭の中では普段言い慣れない言葉がぐるぐるぐるぐるとまわってもうなにがなにやらだ。すべからくすべき、あにはからんや、さもあればあれ、むべなるかな、天網恢恢疎にして漏らさず、人間万事塞翁が馬、覆水盆に還らず。ええい、なにがだ!わたわたとみっともなくうろたえてはみても、互いに相当量アルコールを飲んでいるので、汲み取るような機転も何も働かないのである。ビールにワインに、テキーラ、ウォッカ、さすがにショットグラスはやりすぎだったのに違いない。ぐるぐると回る思考に、仗助はようやく一つのことわざを思い出した。
好奇心は猫をも殺す。
さて始まりはうららかな春である。といっても仗助が承太郎と出会ったのは春の初めのことだったので、基本的にはじまりはいつだってうららかな春なのである。康一はお昼のお弁当をたらたらとつつきながら、仗助の話に付き合っていた。曰く、この間は承太郎さんがこうだった、その前は承太郎さんがああだった、とそれしか話題はないのかと思う有様で、いや、彼が楽しければよいのだけれど、と話半分に聞きながら思う。身長があまり高くない康一にとって、成人男子の平均を飛び出ている承太郎はたださえ高圧的に思えて、中々心情的なことまで慮るのがむずかしい。加えて承太郎は表情があまり変わることがないので、なんというか、感情が読めないのである。
仗助はそれをどうやら時間という量で克服したらしく、新しく発見した承太郎の一面(とてつもなく器用であるとか、意外と優しいだとか、横顔がふとした瞬間めちゃくちゃかっこいいだとか)をこうやって康一に話しているのではあるが。
「きいてるのかよー、康一ー」
「聞いてるよ、承太郎さんと飲んだんでしょ」
「そうなんだよ、それがさ」
承太郎さんは全然酔わないんだよなぁ、と思い出したように呟く。大体仗助君は高校生じゃないかとか、承太郎さんは飲むのをとめないのかとか、どのくらい飲んだのかとか、色々とつっこみたいことはあれど、別に深く聞いても不毛なだけだったので康一は黙って相槌をうった。
「酔ったところ、ちょっと見てみたい」
なぁ、と呟いた仗助はいたずら心満載の表情ではなくてそれはなんだか恋する少年のようなのだけれど康一は深く突っ込むのは諦めた。つっこんだって仕方ないのである。康一はお弁当を食べながらそうそう、と思い出す。
好奇心は猫をも殺すし、ね。
「潰すまで飲めばいいんじゃねぇの?」
そこまでだまって聞いていた億泰が、そう挟んだ。仗助はその言葉をきいて、うん、でも、そうだなぁ、と唸っている。だって見てみてぇじゃん、あの冷静な承太郎さんが酔うかどうかとか。まぁなぁ、なんて段々乗り気になってくる口調に康一は億泰君はもう、と思ったのだけれど口を挟まないことにした。
「仗助君?」
きらきらとやるきあふれる仗助にもう何を言っても無駄だと知っているからだ。
というわけで、作戦提案。
1.男なら黙って一気に飲み比べ!(億泰案)
「承太郎さん!」
「…なんだ仗助、その瓶は」
承太郎は学生服のまま日本酒の一升瓶をかついでやってきた仗助になんだかわけのわからない心意気をかんじながらも一応聞き返してみた。
「俺とのみ比べをしてください!」
男は黙って正面衝突なのだ。いやちょっと違うかもしれないが。ごとんとマホガニーを机の上に置かれた一升瓶は無骨で似合わないことこの上ない。承太郎は暫く考えてからおもむろに口を開いた。
「何でまた?」
全く真っ当な疑問だったので仗助はぐっとつまった。この間は俺一人でつぶれちゃったんで楽しく飲もうかと、ととっさに口からでまかせを零してみる。曜日は土曜で明日は休みである。承太郎はPCの中に入っている論文のことを少し考えてまあいいかと結論をくだした。
「無理するなよ」
コップを取り出しながらいうと、仗助は大丈夫っす!と陽気に返した。どう考えても仗助が先につぶれるだろうことを考えながら承太郎は、まぁそれならば泊まらせてやれば問題はあるまいとぼんやりと考える。
「じゃあ、えっと、よろしくおねがいします!」
仗助のその言葉にくっと笑って、乾杯をする。あまり早くのみすぎるのもあれなので、つまみもとりだしつつたらたらと飲んだ。
「じょ、うたろうさんー!」
仗助は満面の笑みでけらけらと笑っている。そういえば笑い上戸だったな、と承太郎はぼんやりと思い出しながら、べたべたとくっついてくる仗助をめんどうくさそうにあしらっている。すでに日本酒は二升と半。一時間でのんだなら急性アルコール中毒になるような量だ。若干感覚がおぼつかないな、と承太郎は思いながら、そもそももう感覚とかそういうものがどうでもよくなっていそうに陽気な叔父を見てため息をつく。
「ほら、仗助、今日は泊まっていいからもう寝ろ」
首にまとわりついて、キスをしようとする仗助をおしやって、ベッドに放り込む。それの何が面白いのかけらけらけらけらと笑い続けている。
「ねむいっすー」
じゃあ寝ろ、と承太郎は仗助に返して、どこから持ってきたんだが若干不明な日本酒の瓶を片付けて、シャワーで浴びてこようかと首をひねる。
報告会
「で、どうなったのさ?」
失敗したからこその報告だとはわかっていながらも康一はため息をついて、仗助に聞き返した。仗助は、頷きながら、うん、あのなぁ、と話し出す。
「やっぱ失敗した。しかも後片付けまでさせちまったみたいだった」
記憶ないの?と返すと、仗助はしょげた顔で頷いた。康一は半ば納得しながらも答える。
「だよねぇ、だって普通に飲んでて承太郎さんのほうが強いってわかってるのに、どうしてそんな提案のむんだろうって思ってた」
「どうしてその場で言ってくれねぇんだよ、康一!」
「だってそんな事わかりきってると思ったから、上手くセーブするのかなって」
怒鳴ろうとしてはすこし頭が痛むのか、仗助は眉をしかめる。そういう表情をすると、仗助と承太郎は結構似ているのだな、と康一は思った。
「どうすりゃいいのかね」
「あれじゃない、承太郎さんが飲んで、仗助くんがのまなきゃいいんじゃないの?」
例えば、と聞き返してくる仗助に、康一はしまったと思う。出来るなら、あんまり巻き込まれなくはないなと心の内で呟きながら、どうせ巻き込まれるのだから流れにのったほうが楽なのだろうかと意味もないこと考えていた。
2.みんなで飲もう!/康一案
とりあえず幹事をしたのは康一だった。正直面倒くさかったが、まぁ乗りかかった船である。花見を企画して、ジョセフ承太郎、露伴と、億泰がトニオにも一応声をかけ、高校生は高校生で呼んで、みんなでたのしもうという場を持ってみた。
大人は大人で飲むだろうし、高校生は高校生たちで集まってだらだらとジュースでも飲もうということだ。これなら仗助は飲まないだろうし、折を見て酒でも承太郎にすすめればいいのである。と言ったら、仗助はえらく感動して、康一お前ってすげぇ!と言ってくれたのであるが、どうも上手く進む気はしなかったが、まぁ物は試しである。
結果だけいえばこれは中々に上手くいった。仗助は酒を飲まなかったから酔わなかったし、承太郎は承太郎でやたらと仗助や康一がすすめてくるので断りにくかったようで、わりと順調に杯を重ねていたと思う。ジョセフは仗助とこういう場を持てたのを喜び、彼も承太郎に酒をすすめていたからなおさらだったのだろう。何回か眠そうにしていたが、別段普段とは変わらなかった。
夜も深くなる前に、老人の身体に夜風は毒だしなと、そうそうに解散宣言が出された。
反省点
「なんかふつうに楽しくやって楽しく終わっただけだった気がする…」
「…そうだねぇ、大人は承太郎さんとジョースターさんと露伴先生だけだったしねぇ。ふつうに監督させちゃったよね」
窓の外をみるとすでに桜が散って若葉が見え始めている。
「時機を狙うしかないんじゃないのかな?」
「時機?」
そうそう、と康一は答える。まぁ実際のところ康一にとってはどうでも良い話なのだから、つまりは諦めろという事である。
3.空腹と疲れにアルコールはくる。
仗助がその日ホテルに訪れたとき、承太郎はシャワーを浴びた後にくつろいでいたところだったようだ。髪がいくぶん濡れていて、テーブルにはビールの空き缶がひとつふたつ転がっている。
「論文終わったんすか?」
「草稿はな」
そういいながらまたプルトップを空けている。随分ピッチがはやいみたいだと仗助はぼんやり思いながら、ここ二三日あまり寝ていなかったらしい承太郎が休みをとるらしいとしってすこし安堵した。何せ彼は夢中になると寝食を忘れるタイプらしく、寝たり食べたりをあまりしなくなるのである。
承太郎にしてはめずらしく浮かれているらしく、すこしおぼつかない手つきで(これまたかなりめずらしい)缶をあけているみたいだった。仗助は時機を狙うしかないんじゃない?という康一の言葉を思い出して、うんそうだよなぁ、と頷いた後に笑った。
「じゃあ、承太郎さん、のみましょう!」
ビールにワインにテキーラ、ウォッカ。つかのまの息抜きに!
というわけで冒頭に戻るのである。正直なところ仗助はこういうものを予想していなかった。せいぜいガードが甘くなるか、眠くなるか、もしかしたらあわよくば笑ったり甘えたりとか!と思っていたのであるが、どうやらそれは違ったようだ。
「じょうたろうさんー」
自分の声も酒で幾分緩んでいるが、承太郎の涙腺ほどではあるまい。全く彼が泣き上戸なんて誰が想像するだろう。しかも弱弱しい泣き顔とかではないし、全く何を言うでもなくて、ほんとうにただ涙腺が緩んでいるだけの、そういう酔い方をするらしかった。最初はびっくりしていたみたいだが、もう今は何をいうでもなくするでもない。
「ごめんなさい、なんか」
酒でおぼつかない感覚のする指で涙を拭うと承太郎はぐらりと仗助の肩に頭を乗せた。随分突然で、また重かったので仗助は驚いて息を呑む。
「仗助」
「はい、なんでしょう」
声はしっかりしている。涙で肩が濡れる以外はまったくふだんと変わりない。少し前にやたらと眠そうだったときにねてもらえば良かったなと今更後悔をする。覆水盆に還らず。天網恢恢疎にして漏らさず。なにがだろう、全く。
「好奇心は猫をも殺す、ね」
肩に頭をあずけていつの間にか目をつむっている承太郎の顔をみながら仗助は呟いて、なんだか妙な気分になった。
報告/反省点/あるいは感想。
なし。
「で、結局どうなったの?」
「…なんかわるいことしてる気分になった」
ふぅん、と康一はつぶやいて、でも猫は九回殺されないと死なないんだよなぁとそんな事をおもいだした。
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