ギャングパロ5 # ジョセフの家は郊外の緑の多い地域にある。クリーム色の壁紙は太陽の光を受けて柔らかく、よく手入れの行き届いた庭が見事だった。長さをそろえられた芝の上に白く華奢なテーブルと椅子が一組置いてある。承太郎はその椅子に座って、自分の膝の上に仗助を乗せて、何かを教えているようだった。面倒見の良い兄と、素直な弟の幸せそうな風景に見えた。 「それじゃあダメだ」 承太郎の声に仗助は首をかしげる。承太郎は仗助の手に触って、優しく握り方を正した。 「親指の付け根がグリップの後ろにちゃんとあたるようにしろ。照準がぶれる」 そうでないと反動をまっすぐに受け止められないから、指を痛めることも多い、と付け加えると仗助は真剣な顔で頷いた。承太郎が仗助に渡した銃はPPKで、小型のわりにグリップが握りやすくなっている。威力はそれほど高くなく、男一人を一発ではおそらく殺しきれないだろう。 「安全装置は外していても、引き金を引ききらなければ大丈夫だ。逆に撃ちたいのなら最後まで引き金を引け。一発目は重いが、二発目からは軽くなる」 ハンマーをコッキングしたままならば、シングルアクションと同じだ、と淡々と説明をして承太郎は仗助の手のひらに収まっている銃を優しく左手でなでた。その手は仗助がときどきはっとするほど優しくて、幼いながらも困る。首をかしげて、けれども銃に触れることは嬉しいので真剣に聞きながら頷く。 「承太郎さん」 「なんだ?」 けれども仗助は承太郎の左手に巻かれた包帯が気になっていて、承太郎の説明が途切れたところで話しかけた。綺麗に巻かれていたのに、仗助がPPKを振り回したからか、引っかかって外れかけていた。ちらりと見えた傷跡はまだ治りきっていない。 「これ、どうしたんすか?」 「…ああ」 仗助がそう聞いて初めて、承太郎は包帯が外れかけていたことに気がついて、仗助にPPKを持たせてするすると巻きなおした。随分と手馴れた仕草だった。仗助には甲しか見えずに、それはめくれて星型のように見えた。 「かみさまみたい」 「かみさま?」 仗助がぽつりと呟いた言葉を承太郎はそのまま返した。仗助の言葉のふわふわとした感じに気持ちが引っ張られているのをぼんやりと感じていた。 「十字架にかかったときの、手の傷みたい」 茨の冠、胸を刺されて、ユダヤ人の王よ。肩が外れて、横隔膜を肺が押し付け、息も出来ず、叫ぶ。かみよ、かみよ、なぜわたしをおみすてになったのですか。 承太郎は仗助の言葉を聞いて、何故だか笑ってしまう。 「よく聖書なんか覚えているな」 「じじいがよく読むんだ」 仗助の手の中にあった銃を承太郎は優しく取り上げる。承太郎さん?と仗助が不思議そうに聞き返した。なんと答えればよいものか、少しだけ困っているとジョセフと話していたらしい花京院がいつの間にかやってきていた。 「承太郎、ジョースターさんが呼んでたよ」 振り返ってああ、と良いタイミングで来てくれた花京院に承太郎は内心感謝をしながら、仗助を抱えあげて庭に下ろした。家のほうを見ると、ジョセフが陽気に笑って手招きをしている。太陽はそろそろ空の真ん中に差し掛かる。料理中の良いにおいがして、承太郎は口の端を緩める。 「なんだよ、じじい」 「あー、すまんがすこし料理を手伝ってくれんか?」 承太郎がキッチンにいたジョセフに声をかけると、ジョセフは粉まみれになりながらそう答えた。すでに生地はパスタマシーンで薄く延ばされて、後は具を入れて包むだけとなっていた。承太郎は、ああ、と答えて、ボウルの中に入っていた具を生地にのせて器用に包む。今日の昼はラビオリらしいな、と承太郎は手伝いながら思う。 キッチンの窓から見える庭では仗助と花京院がなにやら話しているようで、あの二人は気が合うのだか合わないのだか承太郎にはたまにわからない。仗助を見ている承太郎にジョセフは気づいて、生地を伸ばしながら、最近どうだ?と承太郎に聞いた。 「かわらねぇよ。あー、でも寝床移した。DIOがうぜぇから」 そうか、大変だなとジョセフは返して、それに承太郎はいや、と簡潔に言った。別にいつものことであるし、またそういう事も起きるに決まっている。もう本棚は置かないし、本も詠み捨てていこう。どうしようもなければ、この家に置いておくのでも良い、と承太郎はぼんやりと考える。 「怪我をしたと聞いたが」 「もう少ししたら治る」 別にもう支障もない、と包帯の巻かれた左手をひらひらと振るとジョセフはそうか、と同じような答えを返した。しばらく無言でせっせと料理を作っていると、仗助の歓声が聞こえる。花京院がおでこをおさえた仗助を見ながらけらけらと笑っていた。承太郎は、仗助に先ほどまで教えていた色々を思い出して話しかける。 「仗助のやつ、筋がいいな。じじいは教えてないのか?」 「乞われたら教えるつもりなんだがな、どうもお前がいいみたいじゃよ」 承太郎はそれを聞いてため息をついた。どうも人にものを教えるのは得意じゃないのだ。なれないし、どうしていいかわからない。 「じじいのほうが、向いてると思うんだがな。俺はスパルタで教わったしな」 承太郎の言葉に反射的にジョセフは誰に?と聞き返しそうになって、けれども聞かなかった。 「そうか」 「ああ」 元々承太郎はあまり喋るほうではないから、ジョセフといても何かをしたりしながら(今のように料理を作りながらだとか、ポルナレフと遊んでいる仗助を見ながらだとかだ)ぼんやりとしていることが多かった。次々と出来上がっていくラビオリをゆでる準備をしながら、承太郎の意外な手際のよさにジョセフは今更ながら驚く。 「随分と慣れた手つきで作るんじゃな」 あぁ、と漏れるようなため息を承太郎がついた。 「母さんの得意料理だっただろ、よく手伝ったぜ」 ジョセフは伊達に長い間生きていないから、動揺も綺麗に隠すことが出来た。ジョセフの娘、承太郎の母親、について二人が語ったことはそう多くない。だからジョセフは承太郎に、ホリィは死んだのだと伝えたこともなかったし、記憶のなかった承太郎がそれを今どのように受け止めているかもまったく知らなかった。 「そうか」 「ああ」 承太郎も同じように、ジョセフがホリィのことをどの程度知っているかを知らなかった。承太郎の記憶の中にホリィの死体というのは出てこないけれど、死んでしまったのをおぼろげに知っていた。もしもジョセフがホリィのことをまだ生きていると思っているのなら、それがただの行方不明であると考えているのならそのままで良いと考えていた。今更、もう一度記憶を掘り起こすには今は何もかもが足りなかった。そして、承太郎が仗助やジョセフに会いに来るときは、いつも何かが足りない時だった。 「じじいが作るのと全く一緒で、ここで初めて食べたときはびっくりした」 その言葉がまるで幼い子供のようで、唐突にジョセフは脳裏で小さな可愛い孫の延長線上に彼が居るのだと納得した。それに今はじめて気づいたような気持ちだった。だがジョセフは長く生きていて、動揺を押し隠すのなど容易かったから、そうかと陽気に笑った。 ホリィ・ジョースター、あるいは空条ホリィは本当に無邪気で優しく、ジョセフにも仗助にもよく似ていた。いつのまにか庭で飛び回っている仗助とそれを仕方なさそうに追い回す花京院を見ながらジョセフは、承太郎はホリィが最後に言っていたあの良いニュースを知っているのだろうかとそんな事を考えていた。 仗助は承太郎が行ってしまった事が不満なのか、やってきた花京院に向かって露骨に詰まらなさそうな顔をしていた。 「かきょういんー」 やってきた花京院に向かってそう呟くと花京院はほほえましそうに笑って(その余裕なところがまた仗助には気に入らない)、仗助の額を人差し指ではじく。いてぇ、と目を瞑って叫ぶ仗助に花京院は更に微笑みを深くした。 「仗助、目上の人には?」 「花京院、さん」 はい、よろしい、と花京院は笑って椅子に座った。仗助は今度は花京院の真向かいの椅子に座って、なにやらジョセフと承太郎のことを見ているようだった。花京院はそんな仗助の素直で一生懸命な顔を見ながら何をやっていたの?と聞く。 「銃の撃ち方ならってた」 「撃ち方?」 「グリップの握り方とか、安全装置の外し方とか」 ふぅんと花京院は頷いて、わかりやすい?と尋ねた。仗助はそれに頷いて、優しいし、と付け加えた。花京院はなんとなくおかしくなってしまう。承太郎は年の離れたこの叔父になぜか甘い。 「俺、早く承太郎さんと仕事とかしてみたいなー」 仕事?と花京院は首をかしげる。頭の中でどんな類のものが仗助にはイメージされているのだろうと考えたけれど、仗助の視線がまっすぐとジョセフと承太郎に向いているので、まぁ割としっかりとした想像なのだろうと花京院は思った。そしてジョセフのちょっとした仗助に対する過保護を考えてどうだろうかと思う。叔父に甘い承太郎や、息子を愛しているジョセフがそういう職業に仗助をつかせたがるとはあまり思えなかったからだ。 「でも、ジョースターさん許すかな?」 花京院の言葉に仗助は一瞬目を見開いて、少し考えた後に落ち込んだそぶりで、俺、たよりないのかな、と呟いた。花京院は仗助のそんな素直さにほほえましいものを感じながら、そういう事じゃないと思うけどねと返した。快晴の空は暖かい陽光を注ぎ込んで、まったく風景は幸福そのものだ。 「多分ね、怖いんじゃないかな?」 こわい?と仗助は首をかしげて呟いて驚いたように口を開く。 「じじいにもこわいことがあるのかー」 「なに、ジョースターさんは仗助から見ると怖いもの知らず?」 「うん、そんな感じ」 じじいは、いつも陽気で楽しそうで、夜中も元気だし、ホラー映画見ても怖がらないし、淡々と仕事をしてる、と仗助は喋る。そうかな?と花京院は返しながら家の中でなにかを喋っているジョセフと承太郎を見た。ぎこちなくはない、幸せそうで、でも承太郎はこの家には帰らないんだよなぁと花京院は思う。仗助がいるからでもなく、居所がないわけではなく、でも何かが彼をここに引き止めないのだろう。 二人の間をつなげる存在の不在を二人はどう感じているのだろうと時折花京院は思う。仗助の朗らかさは、いつか彼ら二人が言ったとおり、その人によく似ているのかもしれない。そしてそれを失うのが怖いのかも、とそこまで考えて花京院はため息をついた。いくらなんでも邪推がすぎる。 「大人になるとね、怖いものが変わるのさ」 「変わるの?」 仗助の不思議そうな顔をみて花京院はほほえましく思い、つい頭をなでる。 「そう、変わるの」 花京院がそういうと、仗助はしばらく何かを考えた後、じっと花京院の顔を覗き込んだ。仗助の瞳は承太郎と違って、綺麗な青色だった。ジョセフと同じ色している。 「俺、承太郎さんのこと好きだけど、承太郎さんはなんだかときどき困ったように見える」 「…へぇ…、何に?」 花京院は仗助の言葉にすこし驚きながらそう聞き返す。仗助はうーんと小さくうなって、自分の心の中にあるそれに正しい言葉を捜しているように目を細めた。それから弱弱しく呟く。 「俺に、じじいに、この家とか、わかんないけど」 ふぅん、と花京院は顎に手をついて答える。そして困ったように笑ってしまった。その言葉を自分が聞いても本当に意味がなくて、そんな花京院をみて仗助はもう一度首をかしげた。昼の料理の良いにおいが、二人のところに漂ってくる、優しい昼だった。 |